このは紅葉のお絵かき日記

トランプ大統領・たつき監督・irodoriの味方だよ

#344 市電に乗って

2007年04月20日 | 鉄道
今日は久しぶりに中央図書館に行ってきました。

行って帰ってきただけで疲れてしまいました。
体力無さ過ぎです。
絵を描くのはお休みしようと思ったのですが、プリンスさんに元気をもらったので、少し描いてみました。

市電の中のつもりで描いたのですが…

#339 鉄道絵まとめ

2007年04月11日 | 鉄道
なんだか鉄道の絵が人気のようですので、ちょっとまとめてみました。
上の絵は#82たまには風景画をに掲載したものの再掲です。
タイトルに使った絵は#165暮れなずむローカル線の再利用です。

ほかにもたくさんありますが、ここには載せきれないので、このは紅葉のお部屋の「絵の展示室」にまとめてありますので興味のある方はご覧になってください。

しばらく放置していたホームページをぼちぼち更新中です。

#338 酒酔いお絵かきは危険?

2007年04月11日 | そのほか
今日は内地から親戚のお客さんが来まして、ビールと日本酒を飲みました…というか、飲まされました。
飲み過ぎて…具合悪いです。

その酔っぱらい状態で描いたら変な絵になりました。
1枚目がこれです。

なんだか変な顔なので、もう一枚描いてみました。
2枚目がこれです。

余計に変な顔になってしまいました。

なんで、こんな変な顔になってしまうの?
…と思って、モデルの写真をよく見たら、絵が写真と非常にそっくりだったので驚きました。

なるほど…
そういう顔なのでそれ以上は描きようがありません。
仕方がないので、かなり美化して描いたのが3枚目で、一番上の絵です。
これは全然似てないのですが、比較的見られる顔になったでしょうか。
かなり人気の芸能人のようなので、ファンに知られたら怒られそうです。…なので誰なのかは秘密です。

酔っぱらい状態で絵を描くととても変な感覚になるようです。

#333 また…貝殻

2007年04月06日 | 透明水彩
同じ貝殻を描き続けていて、いつも違って見えることに驚嘆しています。
昨日の貝殻と今日の貝殻がまったく別の物のように見えます。
(もしかして、わたしの目がおかしいの?
こんな貝殻にもまだ多くの可能性があるのだと思っています。

その貝殻の可能性を見いだしているわたしにも、まだ何かの可能性が眠っているのかな?

もし、自分の中にある可能性を自分自身で否定してしまっているとしたら、とてももったいないことですね。

#331 かいがら

2007年04月05日 | 透明水彩
筆の戯れです…

紙の上の大冒険
同じ貝殻ばかり描いていて飽きないのか?
…と思われる方もいらっしゃるかも知れませんが、飽きないから何度でも描きたいのでしょうね。

わたしは絵の描き方を知りません。
知らないのでいつも試行錯誤の連続です。

以前に何度か、絵の制作途中経過をご覧いただいたことがありましたが、あの描き方をしたのはその場限りのことです。
いつも違うことを試み、予想外の結果に遭遇しています。その結果をもとにまた新しいことを考え工夫していくのがとても面白いです。

この先どうなるかわからずにハラハラドキドキしながら描いております。
一応、先のことを頭の中で考えてはいますが、実際に考え通りに進むことはほとんどありません。

むしろ成功してしまうと、描き上げたときの達成感はありますが、次に描くときからはそのことに対する興味を無くしてしまいます。そして、また別の新しいことを探求するようになります。

貝殻という、いつも同じ題材を扱っていても、紙の上では常に未知の冒険が繰り広げられており、新しい発見の連続で、まだしばらく飽きることはないと思います。

わたしの絵をご覧になる方は、わたしが冒険した「足跡」をご覧になっているのですね。

#330 すずめ

2007年04月04日 | 
ボールペンでらくがきしました。

絵の勉強をしなければいけない?
こういう話を聞きました。
「デッサン教室に通っているのですが、毎回課題が出されて、次回までに完成させて提出しなければならないのです。仕方なく続けていますが、もうイヤになりました」
くわしく話を聞いてみますと、こういうことらしいです。

1.素晴らしい絵を見て自分も描けるようになりたいと思った。
2.自分が絵を描けないのはデッサンが出来ないからにちがいない。
3.だからデッサン教室に通わなければならない。

わたしはこの考え方を「デッサン教信仰」と名付けました。
どうやら、絵をほとんど描いたことがない人がこれから絵を趣味にしようと思ったときに入信する傾向があるようです。

絵を描くということは、決して「しなければならない」ことではありません。
農作業をしなければならない、あるいは、漁に出でなければならない、ということはありますが、絵を描かなければならないということはありません。

絵を描くということはしなくてもよいことですから、「絵の勉強」など当然する必要なく、嫌々デッサン教室に通うということもまったく必要ありません。

デッサン教室に通ってはいけないということではありません。
通いたい人が通うのは当然のことです。どんどん通ったらよいと思います。
通いたくないのに通わなければならないと思いこんでいる人は、通うべきではないということです。
「デッサンを勉強したいからする」ものであって、しなければならないということはありません。

「プロの絵描きになりたいから絵の勉強をしなければならない」という人も散見しますが、そういう人は専門家には向いていないでしょう。
絵を描きたくて仕方がない、どうしても絵の勉強を続けたい、という人が専門家に向いていると思います。

わたしがなぜ絵を描くかというと、描きたいからです。義務や強制で描かされているわけではありません。気分が悪くて描きたくないときは描きませんし、また、描けません。
「絵の勉強・練習」はしたくないのでしていません。
楽しむために絵を描くのですから、自分が楽しくないことはしない方がよいのです。
楽しく自由にのびのびと「らくがき」を描いているならそれに勝るものはなく、堅苦しい「勉強・練習」など必要ないというのがわたしの考えです。

もちろん「勉強・練習」も好きでするのであれば結構なことだと思います。

「やりたいからどうしてもやる」と「やらなければならないから仕方なくやる」とでは雲泥の差があります。
同じことをしているように見えて、片方は「幸」、もう片方は「不幸」なのです。
自ら不幸を背負い込むことはありません。