すずめさんをボールペンでらくがきです…

リクエストのすずめさんの絵はまだぜんぜん描けません…

絵が思い浮かべば、手がすらすら動いて下手は下手なりに描けるのですけれど、絵が思いつかないと手が全く動きません。

まあ、当たり前のことなのです。


そして、今年も予定通り(?)夏バテ中です…

以前、わたしの「絵の調子が悪い」という発言に対して、「そう言いながらしっかりと上手に描けているではありませんか。とても調子が悪いとは思えません」とご指摘を受けたことがあります。
当ブログをよくご覧いただいている皆さんにはご理解いただいていることと思いますが、わたしが言うところの「絵の調子」とは、わたしが絵を描くときの「気分」のことであって、描いた結果であるところの絵の出来具合のことではありません。
(たとえ、結果としてぐちゃぐちゃな絵になったとしても、気分良く描けたなら「絵の調子が良い」と言うことです)
言葉が足りない、それに加えて、わたしの言葉の用法や認識が一般とは少しずれたところにあるようで、誤解を生じることも少なからずあります。
もうすこし詳しい説明を書くべきかと思わないでもありませんが、絵を主とするブログで言葉が勝るのはあまり好ましくないと思い、なるべく言葉少なめにしております。
それでも、ときどき(?)言葉の方が勝ってしまうことがありますけれど…
今は雑念が優勢で絵の調子があまり良くありませんが、それを憂へたところで仕方ないので、前向きに考えることにしたのは前回書いたとおりです。
それをさらに積極的に活用してブログの記事にしてしまおうというのが『らくがきの雑念』と題した本稿の目論見です。
「絵が主でそれに文を添える」のではなく、「雑文を書いて、気が向いたら絵を添える(絵なしでも可)」くらいな感じで、しばらくやってみようかと思います。

当ブログをよくご覧いただいている皆さんにはご理解いただいていることと思いますが、わたしが言うところの「絵の調子」とは、わたしが絵を描くときの「気分」のことであって、描いた結果であるところの絵の出来具合のことではありません。

(たとえ、結果としてぐちゃぐちゃな絵になったとしても、気分良く描けたなら「絵の調子が良い」と言うことです)
言葉が足りない、それに加えて、わたしの言葉の用法や認識が一般とは少しずれたところにあるようで、誤解を生じることも少なからずあります。

もうすこし詳しい説明を書くべきかと思わないでもありませんが、絵を主とするブログで言葉が勝るのはあまり好ましくないと思い、なるべく言葉少なめにしております。

それでも、ときどき(?)言葉の方が勝ってしまうことがありますけれど…

今は雑念が優勢で絵の調子があまり良くありませんが、それを憂へたところで仕方ないので、前向きに考えることにしたのは前回書いたとおりです。

それをさらに積極的に活用してブログの記事にしてしまおうというのが『らくがきの雑念』と題した本稿の目論見です。

「絵が主でそれに文を添える」のではなく、「雑文を書いて、気が向いたら絵を添える(絵なしでも可)」くらいな感じで、しばらくやってみようかと思います。

はさみをモデルにした鉛筆らくがきです…

先月末にらくがきを再開して以降絵の調子はあまり良くありません。
集中力が足りなくて、描いている間も雑念がわいてきて邪魔をします。
現在のところは、描く楽しさが若干勝っているという、最低水準の調子です。
これ以上調子が悪くなると描いても楽しくないどころか、そもそも描く気もおこりません。
そんなわけで、昨日は絵を描きませんでした。
けれども、それはまったく問題ではありません。
この世の中、絵を描くことだけが楽しみではありませんから、ほかのことを楽しめばよろしくて、絵はまた描きたくなった時に描けば良いのです。
長年にわたって、心身の状態が悪かったりなどして、描きたいのに描けなくて苦しい思いをすることが多々ありました。
そのことに比べたら、描きたくないときは描かなくて良いのですから、なんと気楽で開放的なことでしょうか。
わたしは今自由を得ているのです。


先月末にらくがきを再開して以降絵の調子はあまり良くありません。
集中力が足りなくて、描いている間も雑念がわいてきて邪魔をします。

現在のところは、描く楽しさが若干勝っているという、最低水準の調子です。
これ以上調子が悪くなると描いても楽しくないどころか、そもそも描く気もおこりません。

そんなわけで、昨日は絵を描きませんでした。

けれども、それはまったく問題ではありません。
この世の中、絵を描くことだけが楽しみではありませんから、ほかのことを楽しめばよろしくて、絵はまた描きたくなった時に描けば良いのです。

長年にわたって、心身の状態が悪かったりなどして、描きたいのに描けなくて苦しい思いをすることが多々ありました。
そのことに比べたら、描きたくないときは描かなくて良いのですから、なんと気楽で開放的なことでしょうか。
わたしは今自由を得ているのです。

なんとなくな鉛筆らくがきです…
何を描こうか迷ったときはすぐ目の前にある手近なものを描きます。
迷ったあげく時間だけが過ぎて絵が描けなかった…ということでもったいないので。
カッターナイフは鉛筆を削るのに使いますし、ミルクカップはらくがきのお供…
そんなわけでモデルとしての登場頻度が高いのです。

何を描こうか迷ったときはすぐ目の前にある手近なものを描きます。

迷ったあげく時間だけが過ぎて絵が描けなかった…ということでもったいないので。

カッターナイフは鉛筆を削るのに使いますし、ミルクカップはらくがきのお供…

そんなわけでモデルとしての登場頻度が高いのです。
