社号標
式内 村社 走田神社
大正2年10月 建立 施主 山下忠兵衛
石鳥居 昭和3年11月 建立
石鳥居 前回の記事 ➡ 石鳥居242基 諸羽神社の石鳥居
五七五
青空に 疑問符なのか 雲ひとつ /古崎
ことわざ
馬鹿のひとつ覚え
社号標
式内 村社 走田神社
大正2年10月 建立 施主 山下忠兵衛
石鳥居 昭和3年11月 建立
石鳥居 前回の記事 ➡ 石鳥居242基 諸羽神社の石鳥居
五七五
青空に 疑問符なのか 雲ひとつ /古崎
ことわざ
馬鹿のひとつ覚え
左は 後白河天皇王子 以仁王御墓
右は 治〇〇高倉宮以仁王舊蹟
昭和〇〇11月 〇京都 三宅安〇〇 建立
三宅安兵衛 のいしぶみだ
後白河院天皇皇子 以仁王御墓
切株から 成長してきています
高倉神社は、後白河法王の第2皇子以仁王を祀った神社で、隣接して以仁王の御墓がある。
「平家物語」によると、以仁王は、治承4年(1180)源頼政のすすめにより、
平清盛とその一族の追討を命じる令旨を諸国の源氏勢力にあてて出していた。
このことが露見したため、平家の追討をうけ、南部の興福寺をたよって都を落ちる途中この地に至り、
光明寺山の鳥居の前において流れ矢にあたって落命されたという。
後に、この地の春日神社境内に葬りに王の御霊を祀ったが、
明治18年(1885)社名を高倉宮神社に改めたと伝わる。
趣の変わった 灯籠です
昭和41年11月建立
本殿です
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五七五
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