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まち歩き左0550 京都一周トレイル 東山コース 58-2  清沢口石切り場

2017年07月23日 20時32分28秒 | まち歩き

 

清沢口石切り場

7千万年という遥かな昔のはなし、この瓜生山のあたりに地下のマグマが噴き昇ってきて地層の隙間に貫入した。つまり噴火しないで溶岩が地表を押し上げて夥しくたまってしまったのである。その範囲は比叡山の南半から大文字山北半と言われる。しかも高さは比叡山を眼下に見おろす程であった。

この溶岩は徐々に冷却して巨大な一塊の花崗岩の山となった。押し上げられた表面の古生層の土や岩は陶磁器のように焼き入れられて、大部分は崩壊流失し、一部は変成岩(ホルンフェルス)となって残った。四明岳山頂の『将門岩』がその動かぬ証拠である。

この山の花崗岩は化学組成とその比率や冷却期間の長かったせいなど相俟って、特に結晶粒子が大きく美しい「白川石」となったのである。しかも風光明媚な京都は平安京以前より貴紳の住む土地なので、大建築に必要な石材の需要が永く途絶えなかった。白川は最適の供給場所てあり、礎石や敷石から始まって燈籠、庭石、さては石仏、石鳥居に墓石にと最も細工に適した石材が無尽蔵であった。そして風化のため粉砕された『白川砂』さえも枯山水庭園に欠くことのできない化粧材料となった。白川の人々は先祖代々石工になった。

山全体が花崗岩だといっても、場所によって多少の違いはある。石材を取る技術の幼稚な昔のこと、風化した表面や地価の石は取れないので、街道沿いや谷間が採取場となり、ここ『清沢口』や『石部谷』、『蓬谷』一乗寺の『雲母坂』が知られている。江戸時代の名所だった白糸の滝、船石などもそれ故に消滅してしまった。土地の人々が採石よりも細工に優れていたことや、風致保護の土地柄から現在は採石されていない。

大体噴出した溶岩は玄武岩や安山岩となるが、花崗岩は地中で徐々に冷却されてできる。このため石英と長石が十分結晶して大粒となり、これに黒雲母や角閃石が色どりを添えた美しい石となるもので、白川石は稀有元素を含む褐簾石も混ざっている。

火成岩は冷却の過程で規則的な独特の割れ目ができるが、緻密な花崗岩にも専門家にしかわからない節理があり、これに沿って『矢』(くさび)を打ち込むと巨岩も思うように割れる。ここで採石した石は、狭い道は台車、それより牛に曳かせて運んでいた。この清沢口では、途中である程度細工を施してから平坦地へ運ぶことも多かった。 北白川愛郷会

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まち歩き左0549 京都一周トレイル 東山コース 58-1  石碑左0123 白幽子厳居之跡

2017年07月23日 06時47分28秒 | まち歩き

 

白幽子石川丈山(1583~1672)弟子の弟で,医道に精通していたと伝えられる。禅僧白隠(1685~1768)が疾病を患い苦悩していた折,白幽子を訪ね内観の法を修めて難病を克服したという。

白幽子厳居之跡

夜船閑話発祥之地

ここは白川の隠士 松風窟白幽子が厳居した跡である。白幽子の名は慈俊石川丈山の弟子となり、兄の克と共に丈山に事え丈山の死に水を取り、晩年ここに隠棲した。又ここは白幽子が内観の法を白隠に伝授した所謂「夜船閑話」発祥の地でもある。

「夜船閑話」は、後に臨済宗中興の祖と尊崇される白隠禅師(1685~1768)が白幽子によって肺病を治癒した体験の名著である。この著書で白幽子の名と内観の秘法とは日本中に広まった。

白隠は26歳頃打ち続く寝食を忘れる猛修行で身心の調和が破れ、肺金焦枯の病を患った。今の肺病である。旅で美濃に在った白隠は人口から、京都比叡山麓白川に白幽子と名乗る一仙人があって稀代の医方により肺金を救うと聞き、直ちに白川に来て山中を尋ねこの巌窟に至った。巌窟の奥深く白髪は長く膝に垂れ、軟らかい草のしとねに座る白幽子に相見を許された。一見して白隠の偉相を観た白幽子は初めて白隠に内観気海丹田の法・・・人身長寿の秘訣を余すことなく伝授した。時に宝永7年(1710)正月半ばのことである。白隠はこの秘法によって起死回生して明和5年(1768)84歳まで長生した。

明治の南画家富岡鉄斎百錬居士は夙に禅を学び、白幽白隠両祖対面の霊地保存を発起して、明治39年10月自ら建碑して、表に「白幽子厳居之跡」と書し、裏にその事積を記した。そしてこの厳居と白幽子が日常飲んだ清泉の不朽を計った。

今も厳居の前に建つ碑がそれである。残念なことに戦後心無き者がこの碑を傷つけた。然し禍を転じて福となすことになって、これを機にこの霊跡の保存と顕彰が、京都円町の臨済宗妙心寺派法輪寺の前住職伊山和尚によって進められた。今の臨済宗の発展は白隠禅師を外して語ることはできない。その白隠禅師蘇生の大恩人が白幽子である。ひしひしとこの霊跡の重みを感じる。北白川愛郷会

白幽子名慈俊石川丈山之弟子石川克之弟也晩年隠居

 此処嘗為白隠禅師説内観修養之法焉往年余与同志相

 謀修其墓而余亦恐其巌及清泉之湮滅再議建石以謀

 不朽

    明治三十九年十月   鉄斎富岡百錬識并建

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              詩仙堂  石川丈山の隠棲地

        石川丈山先生旧蹟詩仙堂   道標・今出川北白川にて

                 関連0014  富岡鉄斎

             神社左0110  北白川大山祇神社

             ポスター0093

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まち歩き左0548  京都一周トレイル 東山コース  57-1

2017年07月23日 06時40分54秒 | まち歩き

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