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2019年11月4日 撮影
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0025 2020年6月
京都所司代屋敷跡・二条城北
庭池遺構に木製地下水路
江戸幕府が二条城北側に置いた京都所司代の屋敷跡で、木製の水路「木樋」を備えた庭池の遺構が発見された。
池底より深部の地下に、水面の高低差を生かして水を流す「逆サイホンの原理」で導水するように埋め込まれている。
江戸時代の京都所司代は関ケ原の戦い(1600年)後、実質的な初代に板倉勝重が任じられ、幕末の1867年に廃止された。
朝廷の監視や上方の訴訟処理の役割りを担い、幕府老中に次ぐ格式とされた。
庭池の遺構は政庁があった上屋敷跡にあり、17世紀後半以降にでき、明治時代に埋まったとみられる。
今回の遺構は、所司代を描いた絵図によると、池を意味する「泉水」の南端に当たる。
他に、上屋敷の「塀中門」や馬をつなぐ「馬立所」、弓道場の「射場」も絵図通りに見つかり、
天明の大火(1788年)で焼失し、再建されたことも裏付けられた。
ここは、平安京右京二条二坊二町に当たる。
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木造天部形立像
平安時代中期・10世紀 一木像 彫眼 像高 127.5㌢
穏やかで丸顔の相好をもつ像で、寺では「観音さん」と呼ばれています。
吉祥天に似た天部像ですが、左手には吉祥天のもつ宝珠ではなく、未敷蓮華(蓮の花の蕾)を持っています。
吉祥天は奈良時代、福徳をつかさどる女神として厚く信仰され、
五穀豊穣・天下安穏を祈る吉祥悔過会の本尊としてまつられていました。
この像は桧材で作られ、頭には宝冠を戴き、法衣は深くはありませんが、鎬立った彫りの様子がうかがれます。
また、内ぐり(乾燥によるひび割れを防いだり、重さを減らすために内部をけずる事)のない一木造で、
下半身の奥行きは深く、重厚な感じがあります。
また、天保6年の文書の中に、この像は享保年間の木津川大洪水で隣村の富野村領の堤が切れた時、
寺田村山川堤に流れ着いた像であると記されています。
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2020年3月
この本尊は創建時から西御堂に安置されていた。
像高2.3㍍、寄木造り、漆箔、定印をむすび、透かし彫りの飛天光背を負い、八角九重の蓮華座上に結跏趺坐する。円満な顔容は、定朝様の流れをくむ格調高い藤原仏。
衣文は形式的にやや硬い。その面相姿から鎌倉に近い様式は、承安元年(1171)供養の東御堂の阿弥陀像とする説の生まれる所以である。台座の蓮弁以下の各部には精巧な
宝相華文がきざまれ、浄土の花の夢幻的な気分をよく表している。
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平成20年3月
彫刻 木造観音菩薩立像 重要文化財に
平安前期のカヤ材を用いた一木造の優品、頬の締まった顔立ちや衣のひだの鋭い彫は、9世紀前半の特色を示す。
抑揚に富んだ肉付けと腰を強くひねった構えにはこの時期ならではのインド風が濃厚に漂う。
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