これでいいのダ

心をラクに生きましょう。どんな日々もオールOKです!

光あるところに影がある(改)

2016-12-25 23:04:07 | 世界を旅する
このタイトルを聞くと「まこと栄光の影に数知れぬ忍者の姿があった」と頭に流れてくる方も多いのではないでしょうか。

私たちは何度も生まれ変わりながら、毎度初心に戻って初心者マークでおっかなビックリ旅行を楽しんでいると以前書きました。

何千回と旅を重ねますとかなり擦れまくって感動も何も無くなってしまうところですが、誰ひとり例外なく真っさらな純粋無垢に戻して
新鮮な喜びを味あわせて貰えるのは本当にありがたいことです。
今この人生を振り返ってみても、食事や旅行で喜びが大きかったのは、ほんの少し背伸びをしたり足を伸ばしたりした時だったのでは
ないかと思います。
それというのは値段や見た目の豪華さによるものではなく、未知の喜び、好奇心を満たされた喜びだったわけです。

知らないことだらけというのは、天の祝福に他なりません。

想像してみれば分かることですが、何もかも知っていたり、やったことばかりだったら、あまりの退屈さに毎日がツラくなるでしょう。

それにしても何千、何万回とある記憶を漏らすことなくリセットさせているというのは考えてみると本当に凄いことです。
隠されていると知りたくなるのは私たちの性分ですが、そのくせタネを明かされてしまうと『何だ知らないままで居たほうがもっと楽しめ
たな』と思ってしまうものです。

とはいえ、何千、何万とありますと、中にはあちこちからポロポロとこぼれ落ちることもあります。

そうした一つ一つの記憶にクローズアップして深掘りするのは大概は意味のないことですが、それでもタイミングや流れによって自然と
そこに繋がることもあります。
そうした場合、それは好奇心を満たすためではなく、それによって今この瞬間をさらに味わい深くさせるためのエッセンスとなるかも
しれません。

私たちは今の時間軸に乗った水平方向だけの見方だけでなく、そうした過去世の断片に触れることで今この瞬間を立体的に俯瞰することが
出来るようになれます。

もしも普段から過去世ばかりに目をやってしまうと焦点は今ココから離れてしまい意味を為さなくなりますが、自然のうちに過去に身を
置かされる分には焦点は今から離れることはありません。

カーナビに例えると、前者はカーソルを過去に置いてしまうことになるため現在地がそこへ移動してしまいますが、後者はカーソルの
位置は今ここにそのまま変わらず残り、画像だけが俯瞰画面に切り替わるようになります。

ですから天地や真我がそこへ導くことはあっても、自らそれを求めて訪れるものではないということになります。

そうしてその流れがやってきた時には、それをカルマの解消などと言ってしまうのは野暮というものですし、重苦しいだけでしょう。
むしろ新しい機能を面白おかしく楽しむというのが近いような気がします。

前置きが長くなってしまいましたが、今日はそんな流れで行きたいと思います。


少しばかり厚手の皮で作られた古代の靴がありました。
足のスネのところまで格子状に編まれた靴です。
そして白というよりもクリームに近い色をした布の服。
こうしたものを身につけている肌感というものが、ふとした時に蘇ることがあります。

それは映像ではなく、たとえば布地が肌に触れる感触とか、歩く時に舞った砂が肌に当たる感触とか、靴底で土を踏みしめる感触とか、
そうした皮膚の感覚であることがほとんどです。

でも、いちいち意識を向けることでもないので『またか』と思って放っとくとスーッと消え去っていきます。

脳の記憶というのは意外と浅いものですが、やはり肉体の記憶は芯まで染み込むものなのかもしれません。
この世で生きるからには、やはり実際に肉体を通した経験というものがどれだけ大切かを再認識します。


舞台は現代に戻ります。

イタリア出発の3日前、仕事の忙しさもさることながら、メタクソな体調不良で丸2日寝込んでしまいました。

それはこれまであまり経験したことがないシンドさで、一度トイレに立った以外はほとんど気を失ったように臥していました。
とりわけ頭痛というか目の奥の痛みが激しく、わずかな光でも頭が割れそうなほどだったので、目をタオルで強く縛って暗闇のなか1日半を
過ごしました。

もしかしたら新型インフルエンザか何か新種の病気かもしれないと思いましたが、その一方で旅行の不安というものは全くありません
でした。
それは、行けるという信念があったということではなく、出国3日前だったのでもう俎板の上の鯉だったからでした。

ダメならダメですし、行くなら行ける。

この時イタリアでは1週間前に大きな地震が起きていましたし、仕事の方もますます収拾のつかない忙しさになっていましたので、
こうなるとすでに「行ってはいけない」一歩手前でもありました。
止められる材料は山ほど揃ってましたので、変な話、心配しなくてもちゃんと止めてくれるだろうという妙な安心感で完全にお任せする
ことができたのでした。

そもそも今回の旅先をイタリアに選んだところからしてコレといった衝動があったわけでもなかったので、この選択で良かったのか?と
自分の中でもフワッフワとしてお尻を据えかねている部分がありました。

そんな中でのこのヤマ場でしたので、逆にどっちに転んでも割り切れるというものでした。

結果的には行かせて貰えて、気持ちもスッキリ割り切れたわけですが、その代償として著しく体力が低下してしまいました。
久々に歩いたときは力が入らずフラフラと、最寄駅で息を切らしてしまう有り様でした。

そして出国当日までほとんど何も食べられずゲッソリ生気がなくなってしまい、この時まわりの人たちは海外は無理だろうと思っていたことを
あとになって知らされましたが、実際、自分でも当日起きてダメだったら東北あたりの湯治場で1週間過ごそうと考えるようになっていました。

とはいえ、イタリアも湯治場も完全に価値としてはイーブンでした。

どんなにありふれた土地であっても、自らの中心によって導かれた先には、ビックリ仰天のパズルゲームや噛めば噛むほど味わえるものが
用意されていたりします。

逆にどれほど物珍しい場所であろうと我欲をナビゲーターに辿り着いた先というのは、ガイドブックの範囲を超えないありふれたものに
しかならなかったりします。

何処にマーク設定されるかは神のみぞ知る。
いや「私の中心はそれを知っている」です。

これは誰にとってもそうです。

そしてそれが絶対にハズレ無しであることは確信というか、完全な事実であるわけです。
ですから絶不調だった身体とは裏腹に、心のほうはこれ以上ないほど晴れ渡っていました。

そうして出発の日を迎えました。

幸いにしてこの日を迎えられた時点で、もう途中で倒れたり引き返すようなことは無くなりました。
ようやく心身が定まった瞬間でした。

そんな流れでイタリアに着いた一発目が国旗掲揚、国家斉唱だったのはとても感慨深いものでした。


さて今回の旅はほとんどノープランの風まかせでしたが、それでもいくつか定められたポイントはありました。
その一つはコロッセオでした。
詳細は割愛させて頂きますが、触れられる範囲で触れたいと思います。

常識というものは時代が変われば全く違ってきます。
集団生活がすべてのベースとなりますので、環境が変われば育ちも変わります。
持って生まれた個々の資質以上に、そうしたものの影響は大きいものです。
実際、今この現代にあっても、国が違うだけで驚くほど価値観が変わってくるというのが事実です。

今の価値基準でもって、過去の時代の暮らしや歴史を「良い悪い」と判断することは全くのナンセンスだと言えます。
今の自分が絶対正しい、正義であるという考えは傲慢以外の何ものでもありません。

ですが、そこまで理解できて居たとしても実際に殺戮のような出来事を許容できるほど私たちは大きく成ってはおりません。
自我の枠の中に居るうちは、そうした記憶は自らを傷つけ、数多くの可能性を狭めることにしかなりません。
私たちは贖罪のために生まれてきたわけではないわけです。

そのためにこそ、前世の記憶は抹消されてから此処に来ています。

ただ自分としてはその場所のことを頭に浮かべただけで肌に緊張が走り、全身が拒絶感に包まれました。
それと同時に「フタをしてはいけない」という極めて強い思いが湧きあがるのでした。

記憶を呼び起こせないよう私たちは非常に強いロックがかけられています。
でも、ある体験を事実として知っている感覚というものがあります。
自分はそこでそれをやったのだという。
それは喩えるなら、ややピンボケの景色が意識の奥に広がっているような感じと言えるかもしれません。

ただ、そこに光を当ててはいけないという本能的な感覚が全身を覆っています。
それを無理にピントを合わせようとすると様々な形で身体にストップがかかります。
鮮明に見えなくとも、その事実を実感しているということだけで十分であるわけです。

そして現実としてその場所に行った時、言葉には表せられぬ感覚のなか、全身の細胞一つ一つの奥底から、申し訳なさとお詫びの思いが
湧き出しました。

決してその氣を忌み嫌うことなく、その思いをそのまま受け入れ、自然と出てきた祓詞に身をまかせました。
遠い位置や上方からではなく、同じところに立ち、受け入れ、共におさまる。

ピンボケの景色が何であるかは分かっている。
知っています。
ただそれをそのままクリアにはさせずに、心の思いだけを救い上げるというのは、いま思えばまさしく天の慈愛そのものだったと思います。


さて、道中そのように胸がグーッと苦しくなる場面が結構あったのですが、パンテオンだけは別でした。

パンテオンはローマ市街にある神殿で、古代ローマ時代に様々な神を祀るために作られました。
ご存知の通り、古代ローマは日本と同じような多神教の国だったわけですが、キリスト教が広まっていくにつれてこうした多神教の
建築物はみんな壊されてしまいました。
パンテオンも本来なら破壊されるはずでしたが、教会として利用されたことでかろうじて残った珍しい例だそうです。

前情報なしに廻っていましたので、最初に訪れた時は自分もそこは教会だと思っていました。
実際、パンテオンの中には王族やラファエロの墓がありました。
ですが行ってみるとそこにはスッキリした精妙な空気が流れていて、中に入ったときは言葉を失いました。

なんというか、一言でいえばホッと落ち着く感じでした。
石造りなのですが、そこはまるで古い神社の境内のような静けさに包まれていました。

そして何故かそのとき『君が代』が頭に流れてきました。
よく分からないまま、流れのままに小さな声で『君が代』を謳いました。

それが国歌としてのものでないことは分かりましたが、それ以上は何のことやらよく分かりません。
分からないことは分からなくていい。
必要であれば必要なときにポンと出てくるものですから、下手な考え休むに似たりです。

その一方で、短い歌で良かったとホッとしている自分も居たのでした(笑)


その日の予定として、もう一つ行かなくてはいけない場所が××××でした。

(中略)

さて、こうして××××をあとにした時には文字通り生気が抜かれたようになってしまったため、どこかでひと休みしようということに
なりました。

そしていま行きたい場所として瞬間的に浮かんだのがパンテオンでした。
喫茶店でなくパンテオンかよ!と自分でも思いましたが、なんでか分からないけど素直な気持ちでした。

実際パンテオンに行ってみますと、その中へ入るなり指先や爪先までスーッと氣が通っていくのが分かりました。
それは腕や足の付け根で止まっていた血流が、五指の毛細血管の先にまで流れていくような感覚でした。

ここはいったい何という場所なのでしょうか。

ドーム状になった天井の中心はポッカリと穴が空いています。
これは「太陽の光が差し込むことで日時計になっている」と説明されましたが、果たしてそうなのでしょうか。

その天井の中心の真下に立ちますと、自分の正中線にスーッと太いものが流れ、そのまま自分の外へとグルグル回っていきました。

パンテオンは天地の万物を神々として崇める古代ローマの教会だと言われています。
しかしここは、あらゆる存在がこの世に存在するために無意識のうちに行っている『天地の呼吸』すなわち『エネルギー循環』というものを
そのまま体現させた場所、言い換えれば「天地の姿をそのままに表した場所」なのではないかと思いました。


万神を崇める古代ローマの考え方に対して、その後の人々はそれを排除するような格好になってしまいました。

私たち日本人は古代ローマと通じる部分を数多くもっており、実際多くがその時代を体験してきたことでしょう。
自分もまたそれを強く持ったまま、思いやエネルギーが残る場所を訪れ、その相剋によって苦しさを感じることとなりました。
過去に経験したことのない目にもあいました。
しかし、だからこそその本当の意味を知ることも出来ました。

何も考えずあちらこちらを訪ねていましたが、重要な場所を素知らぬ顔でシレッと行けるというのは凄いことです。
自身が何者であるかを知らないという点で私たちは本当に隠密忍者のようなものと言えるかもしれません。

出国の前にフラフラになるほど倒されたのも、もしかしたら色々な経験を通るための準備だったのかもしれません。
そうでなかったらどうなっていたのか、考えただけでゾッとします。


今日は世界中でお祝いがされるクリスマスです。

様々な存在のお蔭で、世界はこうして今を生かして頂けています。
直接的に関係なくとも、他岸の安息は、此岸の安寧と成っています。

日本人は信仰心もなくただ面白おかしくクリスマスを騒ぐと言われますが、それは何でも愉快に楽しもうもするお祭り習慣の為せるわざだと
思います。

そして祭りとは本質的には、祀りであります。
祀りとは、その対象へ感謝を示すことです。

楽しんでいる瞬間というのは、一番に今を生きていることになります。

八百万の神々に敬意を払う私たちが、今日という日に感謝を表してもそれは不自然なことではありません。

この世界というのは、人知れず様々なことが陰に働いて成り立っています。

どちらが正しいとか、どちらが間違っているとか、そういうことはありません。

たとえ正反対のものであっても、そのどちらも全世界として見れば調和の支えとなっているということです。

唯一絶対神たる一神教も、八百万の神々の多神教も、どちらもあって今があるということでしょう。

正面から衝突してしまうと、ゼロか100か、全か無か、ということにしかなりません。
実際には、大きな大河がぐるりんと循環しているだけです。

これにて長きにわたる相剋が一件落着となることを願うばかりです。


(おわり)





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私たちを包むゆりかご

2016-12-10 12:06:03 | 世界を旅する
フィレンツェは文化的な観光地ということもあって、道ゆく人たちや街全体に穏やかな雰囲気が漂っていました。

出国前の過労と体調不良で薄氷を踏むような危うさで旅行していましたが、おかげで何事もなく無事に通らせて頂けました。
今更ながらあの状態で襲われたら一巻の終わりだったと思います。お護り頂いて心から感謝です。

そうして少しずつ体力を戻していきながら、次のローマへ移動する日となりました。

フィレンツェの中央駅は前日に下見をして、すでに駅の造りや混み具合は肌にインプット済みでした。
国内のホテルでもチェックインすると階段と非常口を確認して暗闇でも逃げられるようにしていますが、それと同じ話でありました。

こうしておけばテロや銃撃事件に巻き込まれて逃げる時や、スリや暴漢を追う時も、暗闇パニックにならずに冷静に判断できます。
もちろん後者については命の危険もあるので、余程のことが無ければ深追いせず諦めるつもりでいました。

感情のまま闇雲に走っても、その先の道や曲がり角がどうなっているか分からないと行き当たりばったりになってしまいます。
特に、大勢が慌てて逃げる時の群衆心理に巻き込まれたらアウトです。
自分の身は自分で護らなくてはいけません。

これはまさしく日頃の生き方と同じことです。
マスコミやネットの情報に煽られて突っ走ったり、様々に沸き起こる感情に流されるのは危険であるということです。

さてそのようにして中央駅に着きますと、そこには同じホテルで見かけた日本人カップルが居ました。
年齢は40前後で、見た目も落ち着いた感じだったのですが、まずお連れさんを待ってる時の姿にギョッとしてしまいました。

大きなカバン2つに申し訳程度に手を置いて、下を向いたままスマホをいじっているその姿は完全に気が抜けていて、カバンも手もとで
氣が切れていました。
そして連れ合い女性が合流したあとは2人だけの世界に入りこんで、まわりが見えなくなっていました。

といってもその人たちが特別おかしかったというわけではなく、日本であれば普通に見かける姿だったのは間違いありません。
同国人だから気になったというのもあるかもしれませんが、それでもやはり海外の空気の中では明らかにそこだけが異彩を放っていました。

その異質感は彼らの醸し出したものというよりも、まわりの空気が作り出したものと言えました。

あらためて全体を見渡してみますと、駅の雑踏を行きかう人たち、そこで電車を待っている人たち、そうした一人一人がハッキリと
くっきりしていました。
これに比べれば、日本で見慣れた雑踏にはその向こうに全体を包む柔らかいものがあることに気づかされました。

非常に感覚的なものなので言葉で表現するのは難しいのですが、例えば日本もイタリアも同じように一人一人の「氣」というものが
独立独歩に好き勝手にまとまりなく動いているものの、その足元の水面は日本の方がかなり浅いところにあるような感じでした。

その水面というのはイタリアでは足もと遠くにあって、長い竹馬に乗って歩いているような距離感であるのに対して、日本はもう膝の下に
まで水が来ている。
喩えとして足元で表現しましたが、実際のそれは360°四方八方に在るという感覚でした。


ひも理論では「四次元以上の多次元は、極小の形で空間の中に無限に織り込まれている」と表現されますが、まさにそんな感じです。
もう詰まり詰まっている、本当に高天原に神詰まっているのでした。
ただそれはその中にいる間は気がつかず、外に出て初めて気づけるものでした。


イタリアではそれをかなり遠くに感じたため、手前の空間はスカッとしてるというか、その分そこに居る一人一人はよりクッキリと
存在していました。
つま先の先の先までがクッキリしている。
まさに「在る」という感じ。
それに比べると日本は膝下あたりがもう波打ち際となっているため、そこから先は何となくモヤンとしていると言えました。

言い方を変えれば、日本で無意識のうちに当たり前に感じていたその柔らかい何かがイタリアには無い。
そこに在るはずのものが無くて、いきなり空間の中に私たち一人一人が存在しているような感じなのでした。

だからなのでしょう、その中に身を置くと「自分」というものをつま先の先までクッキリと描き出させないと、地面までしっかり届いて
いないというか、足元からフワフワ浮いてしまっているような感覚に陥りました。

その、日本で身近に感じた私たちを包む柔らかいものとは、もしかしたら国魂なのかもしれませんし、ユングのいう集合的無意識なのかも
しれません。

ふだん私たちは他人に無関心のまま好き勝手に生きていますが、それでも日本はとても近いところに一つの海のようなものが存在している
ことを、このとき肌身に感じました。


その母なる海に包まれていればこそ、彼ら日本人カップルのスマホいじりも、日本では決して無防備なんかではなくなるわけです。
今も電車の中で多くの人たちがスマホいじりの世界に入り込んで隙だらけになっていますが、そこにイタリアで見たような危うさは全く
感じられません。

外国の人たちが日本に来た時に、電車の中で熟睡している人たちを見て大変驚くそうです。
うつらうつらする人は居ても、そこまで爆睡するような人は海外には居ないからだと言います。

寝るというのは最も無防備な状態です。
生き物として本能的に一番強固なロックがかかる場面だと言えます。
それが、見知らぬ人たちに囲まれてそこまで安心しきれるということ自体が想像つかないのだそうです。

しかし、それを聞いても私たち日本人は何が不思議なのかいまいちピンときません。
私たちは「見知らぬ人たち」=「危険」という発想が起きないほどに、とても近いところで周りと一体となっているからです。

そしてまた、外国の人たちが日本に来ると一様に「これほど自分が外人であることを自覚する国は無い」と感じるのは、まさにそこに
あるのではないかと思います。

さらに私たち日本人の一体感、繋がりというのが極めて近くにある証拠に、何か大事が起これば表面を覆っている薄皮一枚の個々の自我は
あっという間に吹き飛び、その真下にあるモヤンとした一体感がすぐに現れ出ます。

大震災がそうですし、先の戦争でもそうでした。
その海のように広がる一つの感覚が剥き出しになると、海外の人たちが驚くような静かに秩序立った姿が現れます。
それは決して教育や理性によるものでは無く、私たちは特に考えずともやってしまう自然行動であるわけです。

自我の土俵が吹っ飛んで一つ海に等しく浸かる状態となった時、『天地が我か、我が天地か』という皆一つの状態となって、足並み乱れる
ことのない同じ感覚となるのでしょう。


つまり、個々人は自分で行動しているのですが、その自分というものが大海と等しくなっている。
そうなるともはや大海の意思なのか、自分の意思なのか、その線引きは無くなるということです。

平時においても私たち日本人が空気を読んだり、人の気持ちを感じ取ることを自然に行なえるのは、一つの大海が極めて近くにあるから
なのかもしれません。

ということは逆にそれが遠くにある国では、一人一人がハッキリくっきり存在し、主張し、生きるのは自然な流れと言えます。
世界に誇る日本の安全というのは、そうした目に見えない柔らかさのお蔭にあったということです。

今回の旅では幸いにしてスリや犯罪など危険な目に合うことはありませんでしたが、気が張るような場面は多々ありました。

フィレンツェでも、中央駅の雑踏にあって大荷物を抱えつつ、乗り間違えないように掲示板を見ている時というのも気が張る場面でした。

ちなみに、海外では遅延が当たり前なので、どのホームに入線するかは直前まで決まらないものなんだそうです。
到着してからわずか10分ですぐに出発してしまうため、ホームを間違えたら一巻の終わり。
ですから、どうしても心配しながら見逃さないよう真剣に掲示板を見てしまいます。
すると、意識がそこだけに向いているわけですから非常に危険な状態にあることになります。

そのようなわけで地図を見たり、カバンを開けたりして周囲から意識を外すような時には、まず壁や隅へと移動して壁に背を向ける
ようになりました。
そうすれば背面の視界や気配はひとまず切り捨てても大丈夫だからです。
これはほとんど無意識にやっていたのですが、ふとそれに気づいた時はゴルゴ13の真実味を実感して驚いたものでした。

海外の暮らしが長いと言動が突き刺さるようになるというのは、生活習慣や民族の違いというよりも、深くにまで足先を届かせずには
居られない、根を下ろさないと不安になってしまうという空気感に原因があるのではないかと思いました。
帰国子女などに見られる一種のキツさというのは、そうした感覚に馴染んであちこちが伸びた状態で日本の浅瀬に来ているわけですから、
知らず知らずあちこちにザクザクと刺さるのは当然の話と言えるでしょう。
まさに感覚の問題ですので、デリカシーの問題ではないということです。

自分自身にしても、そのような空間に身を置いたあと、日本に帰って来た時にはその包み込む感覚に皮膚がホッとしているのを感じました。

私たちには、まず自分という海があり、その下には家族と繋がる一つ海があり、さらにその深みに民族と繋がる一つ海があります。
その先には民族を超えて人類で繋がる海があり、さらには生き物として繋がる海、そうして天地という大海があるわけです。

個の存在というのは非常に大切なものです。

ただその「個」というものをどの視点から見るかによって、その中身も大きく変わってきます。

あくまで個の中からそれを見ている状態と比べますと、小なる一つ海、中なる一つ海、大なる一つ海の上に立った「個」というのはさらなる
重みを増します。

その両方があって共に活きるわけです。
どちらかに偏るような見方では窮屈なものにしかなりません。
大なる一つ海が大事だからといって個を軽んじるのでは本末転倒ですし、逆に、個に特化してそこに囚われてしまうというのも狭い世界の
中で息が苦しくなるだけです。

私たち日本人が、その繋がりを身近に共有しているのは本当に幸せなことです。
個を安定させるために自我は根を張ろうとしますが、深くまで伸ばさなくとも、すぐにそこに大きな足場がある。
つまり、自我が肥大しにくい環境にあるということになるわけです。

小なる一つ海が近しく感じられているということは、その先の大なる一つへの障壁がそれだけ薄まっているということでもあります。


もちろんここでの「繋がる」というのは一つの比喩で、もともと私たちはすべてに繋がっています。
あくまで霞の翳りによりその繋がりが掻き消されて見えなくなってしまっているに過ぎません。

「自分のことだけ」ではいつまで経っても小さな世界のままとなります。

気づかず自由奔放にやれると思いきや、所詮は小さく狭い世界ですから、そのうち窮屈さに息苦しくなって、生きること自体が苦しく
なっていきます。

家族や友人、仲間へと心を向けることで足もとは広がっていきます。
すると霞が晴れるように翳りが消えていき、伸び伸びと手足を広げられるようになっていくことでしょう。

そうして国全体や、過去のご先祖様たちへと心が広がれば、ますます伸びやかな海に浸ることになるのではないかと思います。

これまで幾千億ものご先祖様たちが、自分以外の誰かのこと、家族のこと、仲間のこと、さらに昔のご先祖様たちのこと、国のこと、
国を護って下さっている存在のことを思い、感謝し、そのようにして心を広げていかれたことでしょう。

今この私たちを包むやわらかな海というのは、そうした思いの一滴一滴が集まったものと言えます。

そして私たちもまた、そうしたうちの一人であるわけです。

私たちから溢れ出る一滴一滴が集まり大海となり、その大海に私たちは優しく包まれています。

母であり子である私たちは、母なる揺りかごにゆらされながら今を生かして頂いているのです。



(つづく)


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天地の心こそ最強

2016-11-28 00:15:06 | 世界を旅する
今回は武道的な話を交えながら進めたいと思います。

日本というのは奇跡的なほどに平和で安全な国と言われますが、そのことは海外に出ると骨身に染みて感じるものです。
先進国であろうと、都会の駅前であろうと、とにかく海外は物騒な雰囲気が当たり前に漂っています。

そしてイタリアというのはとにかくスリが多くて有名な国です。

日本でスリと言えば手練れな単独犯を想像しますが、海外では複数犯で連携するのがオーソドックスなんだそうです。
そのやり方はとても巧妙で、たとえば昔よくあったアイスを服に付けるという手法は今ではオイルやインキを使ったものへ代わっている
と言います。

このタイプのスリというのは、ターゲットを慌てさせたり怒らせたりして注意を逸らそうとします。

アイスがあまりに有名になりすぎたというのもあるでしょうが、ターゲットの冷静さを奪うのならば、よりショックを受けて激怒する
ような内容に変わっていくのは自然な流れと言えるかもしれません。

私たちは誰しも、動揺したり怒ったりすると、瞬時に落ち着きが消えて、囚われの世界に入ってしまいます。
「どうしようどうしよう」と頭がぐるぐる回ってしまったり、カーッと怒髪天を衝いて周囲が何も見えなくなってしまったりです。

全身が感情に染まると、心は分厚い暗雲に覆いかぶされて、岩戸の奥深くへと追いやられてしまいます。
すると、目に映る景色というのは頭だけの世界になってしまいます。


パニックで頭がぐるぐる回っている時は、目に映る景色も焦点が定まらずぐるぐる回ってしまいますし、怒りに我を忘れている時は、世界は
怒り(=怒りの対象)しか存在しなくなります。

実際、観光地の綺麗な景色や建物などを前にして晴れやかな気分に浸っている時に突然オイルやインキをつけられてしまうなんて、もう
想像しただけでも頭に来てしまいます。

まわりが見えなくなっている人間など、スリからすれば赤子の手をひねるようなものでしょう。

スリの手口というのは他にも様々あるようで、例えばそうした観光地で「写真を撮りましょうか?」と親切に声をかけてきて、
ご機嫌な気分でカメラの方に意識を向けていると、その隙に仲間が背後からスってしまうというのもあるそうですし、また小銭や荷物を
ワザと近くで落として、人のいい我ら日本人がそれを拾っている隙にこれまた背後から仲間がスってしまうというのもあるそうです。

いずれもターゲットが「心ここにあらず」になってしまっている点が共通しています。

心が何か一つのことに囚われてしまっている時、目に映るのはその景色だけになってしまいます。
自我が意識したものだけしか映らなくなる、自我の外のものは映らなくなる、ということです。

逆を言えば、心が今ココにある時は、天地の景色はすべて映り込んでくるということになります。

スリにせよ、犯罪者にせよ、ターゲットに選ぶのは、見るからに「心ココに非ず」になっている人間です。
普段から心が散漫な人間なほど、当然、先ほどのようなトリックには引っかかりやすいわけです。
つまり、ボーッとしていたり、何かに心が奪われているような姿を見つけたら、それこそ格好の獲物ということです。

それは言葉を変えれば「スキがある」ということになります。

スリにしても、あるいはそれ以外の犯罪にしても、そもそもターゲットにされた時点でアウトです。
隙を作った人間が、いくらその時その場で速やかに心を切り替えても、ほとんど手遅れです。

武道においてもそれは同じで、組手をする際に互いに礼をしてからスイッチを入れるのでは遅すぎます。
何故なら、オンとオフという切り替えを行なう時点ですでに自我の作為が入り込んでしまっており、天地からは断絶してしまっている
からです。


さらには、最初にオン・オフという「上げ下げの波」を生じさせてしまっていること自体、その後の波立ちの因子となります。

上げっぱなしをキープするというのは、要は、気が張った状態を保つことであり、それはつまりプツリと切れたらお仕舞いということ
でもあります。
そして、仮にそれが切れなかったとしても人為的に支えてるという不自然な状態には必ず緩みが生じます。
それがすなわち隙となるわけです。

オン・オフのスイッチを握った状態というのは、言い換えれば、我の張った状態であり、それは相手と接触した時に「力対力」の世界
になるということでもあります。
相手という我と、自分という我のぶつかり合いは、刀と刀が一点でぶつかり合っている状態と同じですから、結局は筋力が強い方が
勝つという論理になってしまいます。

人を襲おうなんて考えている連中は、もとより腕力に自信のある人間ばかりです。
あるいは武器を使ってその腕力をさらに強めようとすら考えることでしょう。

そんなのと同じ土俵に立ってしまうのはリスキーでしかありません。
いつも一対一になるとは限らず、また素手とも限らないのですから尚更です。

相手と違う土俵、つまりオン・オフの無い状態、最初からスーッと広がっている状態、つまりス(素)の状態というのが大切になるわけです。

それは相手から見れば、捉えどころの無い状態。
引っかからない状態。接点の無い状態。
すなわち、隙の無い状態に映ります。

そして、オフを無くすためには、そもそもオンが無ければ良い。
逆にオンを無くすためには、オフが無ければ良いということになります。

つまり、気張らなければ気が抜けることもないわけですし、逆に気の抜けた状態が無ければ、気が張った状態というものも起きないと
いうことです。

そうした気の抜けた状態や、気が張った状態、そのどちらの状態とも対極にあるのが、落ち着いた状態です。
言い換えれば、リラックスした状態こそが、争いとは無縁の土俵となります。

赤ん坊を見て、攻撃しようという気が起きないのもそうした理由によるものでしょう。
決して、か弱いからやってはいけないという理性だけによるものではありません。
それは人間以外の動物であっても、人間の赤ん坊を前にして攻撃しないことでも証明されています。

赤ん坊にせよ、高僧にせよ、天地と一体になっている存在を前にすると、あらゆる存在は心が穏やかになっていきます。
まるで、ポカポカ陽気の日なたに触れたように。
何故ならば、あらゆる存在も、そもそも天地そのものだからです。

オン・オフというのは、自我がスイッチを入れることで発生するものです。
すなわち、オンないしオフというのは、自我の現われということです。

天地に溶け込んでいく状態というのは、自我が薄まっていくことと同意です。
そして自我の濃淡というのは、心の波立ちによって知ることができます。
波立ちが無くなれば、それだけ天地に近づいた状態になっていくということです。

ですから、心が落ち着いていれば、オン・オフとは異なる次元に身を置くことになります。

スリや暴漢のように我欲が全身に溢れている人たちは当然スイッチがオンの状態になっていますので、そんな人たちと同じ空間の中に
オフの状態の人間が居ようものなら、彼らは肌ですぐその存在を感じ取り、カモとしてその目に映りこむことになります。
それは空間の歪みというか、揺らぎというか、空気の波立ちとして、スッと感じ取られることでしょう。
まさしく蜘蛛の巣のようにです。

目で追って探そうとしなくとも、その違和感、その揺らぎを皮膚でキャッチする。
そして目に映り込んだ時にハッキリとターゲットとして確認されることになります。

しかし、こちらが心の落ち着いた人間であれば、その自我の網とは違う次元に居るために、目に止まることもなくターゲットになる
ことも無くなるでしょう。

つまり、事が起こる前の状態というのが、全てを決めることになってくるわけです。

静かな状態を求めるなら、その状態を追うよりもまず先に、波立ちそうな様々な状態をあらかじめ身体に通しておくことが有効となります。

例えていうならば、力みを手放すためには、最初に思いっきり力を入れれば、そのあとスーッと力みが消えていくのと同じ原理です。
力みを遠ざけようとすればするほど力みを意識してしまうように、波立ちを遠ざけようとすればするほど波立ちは心の中でその存在感を
増します。

静けさばかりを追っても、いざ事態が波立った時には頭や身体はその波に引っ張られやすくなってしまうということです。

ですから、事前に体験済みとなれば、実際にコトが起きても心は波立ちに影響されず、落ち着いて対処できるようになります。

何事もそうですが、あらかじめ酷い状況を様々にシュミレーションして、キチンとその解決法までを心に落とし込むことは実際に危機を
招かないコツとなります。


さて防犯の話に戻りますと、その場合の最悪想定というのは「こちらが隙を作ってしまい、気の緩んだ状態からスイッチをオンして
対処せざるを得ないような状況」となります。

それは、力対力になってしまい、相手と力がぶつかってしまった時でもあります。
そんな時は、力を外すか、その力を利用することになります。
つまり相手の力に対して技術でしのぐということです。
いなす、と言っても良いかもしれません。

ちなみに合気道というのは相手の力を利用する武道と思われていますが、この場合の「相手の力」というのは、いわゆる筋力的な力や
物理的な勢いを指す流派もあれば、目に見えない氣を指す流派もあります。

後者に関しては自分が氣の抜けた状態にあると全く技が掛かりませんので、先ほどの最悪想定の場合は前者のやり方を使うことになります。
柔道も高段者になると前者と後者の両方を合わせた形になりますが、ここではあくまで前者の方を使うことになります。

四つ相撲からのドタドタした崩し方になってしまいますが、心が相手と同じ土俵に居るのですからそれが当たり前となります。
子供の喧嘩状態です。
そしてここでの落とし所としては、スマートさは必要なく、最後に逃げられればOKということになります。
相手を制圧することなど考えたら絶対にアウトでしょう。

取り分け、拳で殴るというのは最悪の対処法と言わざるを得ません。
本能的に、やられたことをやり返すのが人間です。
自らドロ沼を呼び込むことはありません。
ここでは相手を崩してその隙に逃げるというのが、相手の土俵から降りる最上の道となります。

そのようなわけで、出国前は忙しさと体調不良とでほとんど旅行支度はやれなかったのですが、唯一、有事の備えとしての心の準備だけは
しっかりやることにしました。


それは具体的には、襲われるパターンをいくつも想定し、長くやってきた流派だけでなく他の技術もおさらいして身体を通すというもの
でした。

一つのやり方だけにこだわると、いざという時に技が掛からないと頭が真っ白になってしまいます。
頭の中に道が一つしかないとそのまま進もうとしてしまい、我執の世界にズブズブと沈んでいって絶対に掛かることはなくなります。

この技を掛けよう!これしか無い!
と頭の中がそれ一色になってしまっている時というのは、相手にもその心が伝わり、それとは正反対のベクトルに全力で抵抗されてしまいます。
無意識のうちに本能的にそう動くように私たちの身体は出来ています。

バックドロップをかけられそうになったら前屈みになって堪えますし、払い腰をかけられそうになったら後ろに重心を移して堪えようと
します。
これは子供であろうと女性であろうと同じです。

そのような状態から、ぶっこ抜きのジャーマンをかけるというのは、よっぽどの実力差、筋力差が無ければ出来ません。

ですから、いつでもいくらでも切り替えが出来るという心の冷静さが必要になります。
そしてその冷静さというのは、日ごろの心構えによるところが大きいと言えます。

普段から「正解はコレしかない」という一本気な考え方をしていたり、「何としてもこれをやりたい」「こうでないと嫌だ」と固執しがち
な性格ですと、瞬時の切り替えというのは難しくなるでしょう。

道というこはこれ一本だけではなくいくつもあるもんだ、という気持ちにあれば、いざという時にも落ち着き保つことができます。

ですから、それを護身に当てはめるならば、実際に引き出しが多ければ多いほどパニックにならないということになります。

押さえ込まれた時の対処、複数相手、長物の対処、ナイフや拳銃まで想定しました。
もちろん本当にそれが必要な場面に出くわしたら、そんな付け焼き刃は役には立たないと思います。
ただ何も知らないよりはマシで、大難を小難で済ませられる可能性は確実に増します。

何より、そのような最悪想定をすることで心が落ち着き、実際にそうした事態を招かないことになるというのが一番大きいわけです。

喧嘩に巻き込まれる人というのは、心の中でそういうことを求めていて自ら招き寄せていると言えます。
それが喧嘩自慢でなくて心配性の人だったとしても、心の奥底でそれを思い続けることで逆に現実化させることになってしまいます。

やれることはやったと達観できたらば、心配というのは手放せるものです。
だから、様々な想定とその対処というのは有効であるわけです。

これは学校のテストなとで経験していることではないかと思います。
何が出てくるか分からないという意味では、テストもまた状況は同じと言えます。
そしてしっかりと事前準備をした時ほど、焦らず落ち着いてそれに臨めたのではないでしょうか。

あとの結果はともかく、現場のその瞬間の心の状態こそが大事です。


私たちは海外に行けば、完全に外国人です。
一人一人が自国の代表として見られます。
日本というのは、温かくて優しい国です。
しかしそれは、ひ弱な謙虚さとは違います。
天地のように大らかな優しさであり、それこそが本当の強さでもあるわけです。

心に笑顔を。暴漢が来ても心に笑顔を失わずに居れば、それはそのまま相手に返っていきます。
これは日ごろの人間関係にも言えることです。

天地の理とは「自らの与えたものが自らに与えられる(返ってくる)」でした。
有事にあっても、カッとせずハラハラしたりもせず、心変わらず天地とともにあれば「我、鏡と化す」です。

「寄らば斬る」の心とは、波静まった水面のごとき自我の消えた穏やかな心のことだと言えます。

己の刀が相手を斬るのではなく、鏡と化した水面に映る相手の刀が、そのまま相手自身を斬ることになるのです。

そのような状態にある時、そもそも相手は斬りこめなくなります。
つまり、スリや犯罪のターゲットにされることも無くなるということです。

戦わずして勝つというのは、気迫がみなぎった状態などではなく、むしろ全く逆の、心が静かに落ち着きはらった状態だったわけです。

そして、その鏡というのは天照様そのものでもあるのでした。


(つづく)






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祈りと感謝も万国共通

2016-11-17 12:51:52 | 世界を旅する
フィレンツェは街の中心にドゥオーモと呼ばれる大きな教会があります。
オレンジ色に染まった街を見渡せる場所として有名です。

朝の早い時間に行ったのですがまだ中へは入れなかったため、その手前に建つ古い教会に入ることにしました。

その教会はドゥオーモよりも昔に建てられたそうで、中に入ると清らかな静けさが漂っていました。
天井を見上げると、そこにはびっしりと神話の世界が広がっていました。
あとになってよくよく知ることになりますが、こちらの教会では何処もかしこも天井画が凄いことになっているのでした。

天を仰ぐとそこに神世の物語が映し出される。

いま私たちがプラネタリウムを見上げることで宇宙を感じるように、昔の人たちはドーム状の天井画に広大な世界を感じたのでしょう。

その天井画は初期の頃と後期のものでは明らかに違っていて、この古い教会で観た初期のものは心にスッと来ました。

技巧に走ることなく、真面目に純朴に描かれたタッチ。
そこには必死さや苦しさなど無く、本当に素直な心が伝わってきました。

日々の暮らしへの感謝、生かして頂いていることへの感謝、これからも平穏無事に生かして頂きたいという願い。
何百年も重ねられた、純朴な人々の慎ましやかな祈りがそこにはありました。

長椅子に腰掛け、静かにその空気に浸っていますと、不思議なものでそれまでパシャパシャと賑やかに写真を撮っていた人たちがスーッと
静かになって完全な静寂の時が流れました。
そのあとも色々な人たちが来ましたが、その状態はその後そこを去るまで続きました。

本当に芯から静まったとき、その心地というのは周りへと瞬時に伝わっていきます。
それは瞬間的にみんなが温泉に浸かったかのような即効性です。
幸せな心地に触れると私たちは身も心もそれに預け、それ以外の余計なことはしなくなるのでしょう。

その教会をあとにしまして、今度は街で一番大きなドゥオーモ大聖堂へと入場しました。

ただ、残念ながらこちらのほうは観光客のガツガツした物見遊山の氣によって静寂がかき消されてしまっていました。

観光客の喧騒も去ることながら、もとよりその教会自体が先ほどの古い教会と面持ちが異なっていることに気が付きました。

例えば、聖壇の天井画を見上げますと、そこに描かれているのは写実的なタッチの『最後の審判』で、それはどうにも生々しすぎるもの
でした。

救われたい、天国に行きたい、地獄は恐ろしい、でも現世の欲望はあがらいがたい…
そこには感情と欲望の入り混じったものがおどろおどろしく表現されていました。

欲望がとどまることなく溢れ出し、それに流されエネルギーを注いでしまう人々の姿。
そしてそれは大変な罪であるとして、それに悩み苦しみ、最後は地獄に行く。

そのような一枚絵を突きつけられると、何とも救われない気持ちになってしまいました。

そこまで不安を煽るというのはどういうものなのか、それを口にすると非難めいた言葉しか出てこないのでやめておきますが、ただ、
そうした扇動的な意味合いだけでなく、もしかするとそうした罪の意識を植え付けないと自らの欲望に歯止めがかけられないという
理由もあるのかもしれないとも思いました。

実際、明治期に西洋人たちが、宗教的な戒律の無い日本を野蛮で遅れた国だと嘲笑したという話があります。
日本人からすればあまりに当たり前なことだったのですがそう言われてしまったことに慌ててしまい、そうして作られたのが新渡戸稲造の
『武士道』でした。

今となってみれば、どちらが野蛮で遅れた国なのかは言うまでもありませんが、彼らが「人間というのは何かしらの規律や縛りが無いと
欲望を抑えられず獣のように暴走するものだ」と断じていたことは疑いようもありません。

そうであるならば、そうした自分たちの本性というか本質というものは罪深い漆黒の闇であるとして、それに飲み込まれる不安にいつも
怯えていたことが想像できます。
それを自制し、不安を搔き消すために、このような戒めのような天井画が生み出されたと考えることも出来るかもしれません。

その天井画を見ておりますと、不安まみれの暗澹たる世界の中心に、ポッと希望の光が描かれていることに気づきます。

まわりをおどろおどろしく暗いタッチで描きつつ、中央は明るく輝くように描く。
極端な「闇」というストレスに晒された心にとってその明暗の効果は計り知れず、安息の救いとして「明」である中心の光へと私たちは
確実に惹き込まれます。

もちろん、その中心には救世主の姿が描かれています。

そうした効果を狙って描いているのか、あるいは本当に救いとして描いているのかは分かりませんが、本来、中心に輝くその光というのは
他の誰かではなく、私たち自身のことであります。
私たち自身の放つ光を擬人化したに過ぎません。

この天井画はすべてが正しいものでしょう。
中心に輝く光も真実です。
ただ、それは誰かではなく、この私たちであるわけです。

天井画に描かれているすべて、隅々で苦しみのたうちまわる姿から、中心で光輝く姿まで、そのすべては、私たち自身の内を表すものだと
思います。

恐れおののく必要などない話です。
闇もあれば光もあるのが当たり前。
誰であろうとも、闇だけなんてことはありませんし、光だけなんてことも無いわけです。

それらは、もとよりこの天地宇宙に遍在しています。

光だけを求めるから辿り着けなくなる。
闇を忌み嫌うから苦しくなる。

この絵が助長させているそれらの思いというのは、そもそもの天地の理からしてもおかしなことと言わざるを得ません。

その中心の光が神の子であるとするならば、すなわち神の子とは私たち自身を指すことになります。
ということはつまり「この世の終わりに復活して、私たちの前に姿を現し、私たちを救う」というのは、まさしく私たちの真我という
ことになりはしないでしょうか。

救世主とは私たち自身。
まさしく、自ら助くる者を助くであります。

おそらく御本人こそ、そのように説いていたのではないかと思うのです。
他人に依らず、自身に依りなさい、と。
だからこそ書を残すこともなかったというのは仏陀にも通ずるところでしょう。

何処まで行っても晴れることのない苦しさというのは、不条理さに対する考え方に因るところもあります。
この世界というのは不条理だらけで、なかなかそれを納得するのは難しいものです。

ただ日本に生きていますと、天災は日常茶飯事ですし、田畑も家も人も簡単に失われていきます。
そうして「いつまで引きずっても仕方がない」という諦めが繰り返され、ついに不条理も受け入れるようになります。

この世とはそもそも不条理なもの。
不条理なのが当たり前。

だからこそお蔭様に感謝をする。
見えない闇にはただ畏れ入り、謙虚になる。


一方で、日本と違って天災の少ない土地に在りますと、同じ景色、同じ現実というものが長らく続くことになります。

家も壊れない。
村も壊れない。
家族も奪われない。

実際、ヨーロッパに行きますと築100年などザラで、数百年以上たつものもアチコチにあります。
日本の基準では有り得ないような、見るからに危なそうな石造りの建物や彫刻装飾が何百年も残り続けています。

そうしますと「当たり前」というものが自ずと変わってきます。
つまり、自分を取り囲む環境が壊れないのが当たり前になってまいります。

しかし、そのような中でも不条理なことは当然起こります。

日本人は天災の脅威のおかげで、大自然は克服するものではなく共に生きるもの、寄り添うものと考え、自然環境の方に自らを合わせて
生きてきました。
我を通しても、そのすぐそばから天災によって全てひっくり返されてきました。
ですから、不条理に対しても耐性があるというか、諦めて受け入れられる素地が形成されました。

ただ、天災が少ないと、自分たちの住みやすいように自然環境を作り変えていくことができ、その景色が長らく保たれることになります。
つまり、自分たちの方に、自分を取り巻く環境を合わさせて生きるような格好になっていきます。

すると、不条理な出来事が起きた時に、なかなかそれを受け入れられず悩み苦しみ、何とかそれを理屈で解釈しよういう風になって
しまいます。
当たり前なことを失うのには何か理由があると。

その結果、自分たちはそもそも罪深い生き物であり、生まれた時からそれを背負っている、という世界観が創られました。

天地宇宙の条理とは、人間の価値判断の中に収まるものではありません。
そもそも人間の理屈などで説明つくものではないわけです。


しかし、何かしら納得する理屈がないと悶々とした気持ちが抑えられない。
そうした結果、辿り着いたのが、罪人であるのだから仕方ないという論理でした。

教会に行きますと、その中央には磔の像が置かれてます。
それは日本にあるものと違って、非常に生々しく再現されています。

事前に何の知識がなくてもその映像は見ただけで胸の痛まない人は居ないと思います。
そこでそれにまつわる史実が頭に蘇ると、自分たちもそこに居た当事者たちと同罪であるような申し訳ない思いが湧き上がり、赦しを請う
気持ちになってまいります。

十字架というのは、まさに私たち人間が罪人であることを想起させる象徴だと言えるでしょう。

しかし、例えば幼子に対して、あなたはとても良い子だと語りかけながら育てるのと、本当は悪い子なのだと諭しながら育てるのとでは
どちらが光を輝かせるかということです。

「光は我らの内になく、光は天にある」という前提に救いはあるのかです。

これ以上はやめておきますが、一つはっきりしているのは、そうした教義の中にあっても透き通った人たちも大勢いるということです。

ここからが今回一番言いたかったことでもありますが、教義や環境に私たちは流されやすいということはあるにせよ、最後の最後は私たち
自身がどうであるかによって決まる
ということです。
それが本当の『最後の審判』です。

たとえその教え自体が外へと救いを求めるものであっても、自ら救いを願い求める対象が自分自身ではなく、他の誰かへと向けられた場合
その構図は一変します。
自らの救いを外に向けてしまうのは我欲でしかありませんが、誰かの救いを求めるのは祈りとなるからです。

すなわち前者は、私たちの内なる光を陰らせるのに対して、後者は、逆にそれを輝かせることになるということです。

誰かのための祈りとは自らの内に火をともすことであり、灯台のごとくその相手に光を注ぐことになります。
それはまさしく自灯明の一つの姿です。

私心のない透き通った祈りや感謝の心は、いつの世にあっても、光そのものであり、天地宇宙そのものと成ります。

奇跡というものは天の誰かが起こすものではなく、私たちが互いの光を灯すことによって起きるものです。
分厚く覆われた暗雲を、私たちの内なる光が吹き祓うことで、相手の内なる光が輝きだします。

どちらか一方の光だけで奇跡が起きることは有り得ません。
つまり、一方向的なおすがりやお助けというものは有り得ないわけです。


大聖堂の中では、何かを強く求める思いと、ただ純粋な感謝と、そうした正反対の心がないまぜになっていました。
我執の心と、無私の心、それぞれが存在していました。
それは手を合わせる人たち、一人一人の違いによるものであるわけです。
そしてそれは何も大聖堂に限らず、世界中どこでも、日本の神社やお寺であっても同じことが言えるでしょう。

どのような環境にあっても、結局は私たち自身がどのようにあるかで180°変わってきます。

それは異国にあってもそうですし、いま私たちの居るこの日本にあっても同じことです。

たとえ内なる光を讃える国にあっても、おすがりやお願いごとを求めてしまっては結果は同じ、抜け出すことのできない天井画の世界に
なってしまいます。

ささやかな暮らしへの感謝。
いま生かして頂いていることへの感謝。
そして、誰かの幸せを思う心。

私たちの内に広がる混濁の中にあって、そのような透き通った祈りや感謝こそが、あの天井画の中心に燦然と輝く光となるのではないかと
思います。


(つづく)



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お蔭様は万国共通

2016-11-11 12:32:50 | 世界を旅する
旅というのは、ハプニングも含めて何もかも楽しいものです。

あらゆる展開をウェルカムな心で受け入れて、ノープランのまま筋書きの無いストーリーを1ページずつ進んで行く。
何が起きるか分からないという、この360°無限に広がる開放感は本当に心地よいものです。

あらかじめアレコレ決めてしまうと、目の前に広がる道を自ら狭めてしまうことにしかなりません。
すると思いがけない出来事や発見というのはその分だけ目減りしてしまいます。

「想定したことが起こる」
それは安心安全な旅に違いありませんが、安心だけが幸せなのかということです。

そしてそれは、まさしく人生そのものを指し示すものでもあるわけです。

ただ、旅行というのは期間が限られているので大らかな心で何でも楽しもうという気持ちになれますが、人生はとにかく長い。
寿命という期間限定が設けられているのは旅を楽しむのと同じ理由ですが、それでもやはりその気持ちを維持するには長いと言えるかも
しれません。
しかし長すぎてモタないというその長さこそが、絶妙な仕掛けにもなっています。

本来は夢の創造であるこの世界を「夢ではない」と自らを信じ込ませるためには、これだけの長さが必要であるわけです。
夢が夢だと分かってしまうと、種明かしされた手品と同じでドキドキハラハラすることが無くなってしまいます。

寿命というのは、旅を楽しむために期間限定であるとともに、私たちがスクリーンの中の自分たちに同化しきってそれを芯から味わう
ための絶妙な長さでもあるわけです。



さて、イタリアの話をしたいと思います。

予定を立てる以前に、そもそも仕事が忙しくて何も考えられないまま当日を迎えてしまいました。

ミステリーツアーというのは、事前に情報が少なければ少ないほど、驚きの感動は大きくなります。
そして、驚きと喜びが必ず起きることを知っていると、最早「信じる」という表現にはならずに、当たり前に進んで行くようになります。

何故、驚きと喜びの出来事が「必ず」起きるかというと、それはあらゆるハプニングが喜びになることを知っているからです。
こうした旅に行きますと私たちの誰もがそうであるのですから、本来の人生もまた誰もがそうであるということです。

前世の知識を失い、今世の予見をも失う一番の理由は、まさしくこのミステリーツアーを充実させるための仕掛けに他なりません。
知らないことを知った時の驚きと喜びは、旅先で誰しも経験することです。
そしてこの世に生まれて来るというのは、まさにその初めての国への旅と同じであるわけです。


さて、現実の旅行のほうに話を戻したいと思います。
フィレンツェに着いてからのことです。

初日は時差ボケで早朝に目が覚めてしまいました。
とりあえず近場まで散歩しようと外へ出ましたら、100メートルも行かないうちに道脇に人が集まっているのに出くわしました。

まだ早い時間でしたので道ゆく人もまばらでしたが、小さな広場には中世風の服装に分かれた一団が立ち並び、その横には小銃を構えた
軍人が整列していました。

その後ろをすり抜けて見やすい位置へ移動しますと、勇ましい演奏とともに国旗が揚がり始めました。
気づけば初日の一歩目に国歌の生演奏を聴かせて頂くことになりました。

居並ぶ軍人の方を何気なく眺めますと、修道服に身を包んだ看護婦とおぼしき老女たちが整然と並んでいるのに気づきました。
修道服の女性たちは軍人たち同様、同じ角度で国旗を見上げながら声高らかに国歌を斉唱していました。

それを見た瞬間、表現しがたい濃縮された悲哀の塊が全身をブワッと吹き抜けました。
何がなんだか分からぬまま、涙が溢れそうになるのを必死に堪えるばかりでした。

国旗が掲揚され、しばし静けさが漂う中、記念碑の下へ大きな花輪が運ばれていきました。
その間、捧げ銃に構える軍人とともに、老女たちもビシッと直立不動の姿勢で力強く立っていました。

修道女といえば慈愛に満ちた優しいイメージしかありませんが、彼女たちの雄々しき姿は、そのすぐ脇で黒光りする小銃と違和感なく
溶け合っているのが衝撃でした。

もちろん、それは強さの現れであり、そうやってこの国は遥かな昔から自分の国や家族たちを護ってきたわけです。
負けまいとする気持ち、一丸となって国を護るという強い思い。
兵士達にも神の御加護があらん、です。
しかし、その激しいほどの強さゆえに、その内に秘められた止むに止まれぬ深い哀しみが伝わってくるのでした。

イタリアというのは小さな公国が集まった共和国でした。つまりその前は戦国時代があったということです。
そして、その前にも、そのあとにも、他国から獲った獲られたという歴史がありました。

修道女すら心に銃を持ち、闘わなければならない。
逞しさを表にあらわさずには居られない。
何という大変な歴史だったのでしょうか。
それは生きるために必要なことであり、護るために必要なことであり、それ無くして今というものは無かったわけです。

良い悪いということではなく、それが逞しくあればあるほどに、深い哀しみと強い愛情がないまぜになって全身を吹き抜けたのでした。

あとで聞くと、それは戦没者の慰霊祭とのことでした。

国というのは、古今東西どこであっても数多くのお蔭様によって支えられています。
そして、今この笑顔というのは数知れない哀しみと愛情によって支えられているわけです。

すべてに感謝を思う瞬間です。

古人をしのごの言う権利が私たちに有るはずがありません。
今ここに生かさせてもらっている、その事実が全てでしょう。

どの世界にあっても私たちを護る国魂というものがあります。
それは天に坐します遠い存在というのではなく、私たちのご先祖様たちであり、私たち自身であるわけです。

初めの一歩で、そのことを改めて教えて頂きました。


(つづく)




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