このタイトルを聞くと「まこと栄光の影に数知れぬ忍者の姿があった」と頭に流れてくる方も多いのではないでしょうか。
私たちは何度も生まれ変わりながら、毎度初心に戻って初心者マークでおっかなビックリ旅行を楽しんでいると以前書きました。
何千回と旅を重ねますとかなり擦れまくって感動も何も無くなってしまうところですが、誰ひとり例外なく真っさらな純粋無垢に戻して
新鮮な喜びを味あわせて貰えるのは本当にありがたいことです。
今この人生を振り返ってみても、食事や旅行で喜びが大きかったのは、ほんの少し背伸びをしたり足を伸ばしたりした時だったのでは
ないかと思います。
それというのは値段や見た目の豪華さによるものではなく、未知の喜び、好奇心を満たされた喜びだったわけです。
知らないことだらけというのは、天の祝福に他なりません。
想像してみれば分かることですが、何もかも知っていたり、やったことばかりだったら、あまりの退屈さに毎日がツラくなるでしょう。
それにしても何千、何万回とある記憶を漏らすことなくリセットさせているというのは考えてみると本当に凄いことです。
隠されていると知りたくなるのは私たちの性分ですが、そのくせタネを明かされてしまうと『何だ知らないままで居たほうがもっと楽しめ
たな』と思ってしまうものです。
とはいえ、何千、何万とありますと、中にはあちこちからポロポロとこぼれ落ちることもあります。
そうした一つ一つの記憶にクローズアップして深掘りするのは大概は意味のないことですが、それでもタイミングや流れによって自然と
そこに繋がることもあります。
そうした場合、それは好奇心を満たすためではなく、それによって今この瞬間をさらに味わい深くさせるためのエッセンスとなるかも
しれません。
私たちは今の時間軸に乗った水平方向だけの見方だけでなく、そうした過去世の断片に触れることで今この瞬間を立体的に俯瞰することが
出来るようになれます。
もしも普段から過去世ばかりに目をやってしまうと焦点は今ココから離れてしまい意味を為さなくなりますが、自然のうちに過去に身を
置かされる分には焦点は今から離れることはありません。
カーナビに例えると、前者はカーソルを過去に置いてしまうことになるため現在地がそこへ移動してしまいますが、後者はカーソルの
位置は今ここにそのまま変わらず残り、画像だけが俯瞰画面に切り替わるようになります。
ですから天地や真我がそこへ導くことはあっても、自らそれを求めて訪れるものではないということになります。
そうしてその流れがやってきた時には、それをカルマの解消などと言ってしまうのは野暮というものですし、重苦しいだけでしょう。
むしろ新しい機能を面白おかしく楽しむというのが近いような気がします。
前置きが長くなってしまいましたが、今日はそんな流れで行きたいと思います。
少しばかり厚手の皮で作られた古代の靴がありました。
足のスネのところまで格子状に編まれた靴です。
そして白というよりもクリームに近い色をした布の服。
こうしたものを身につけている肌感というものが、ふとした時に蘇ることがあります。
それは映像ではなく、たとえば布地が肌に触れる感触とか、歩く時に舞った砂が肌に当たる感触とか、靴底で土を踏みしめる感触とか、
そうした皮膚の感覚であることがほとんどです。
でも、いちいち意識を向けることでもないので『またか』と思って放っとくとスーッと消え去っていきます。
脳の記憶というのは意外と浅いものですが、やはり肉体の記憶は芯まで染み込むものなのかもしれません。
この世で生きるからには、やはり実際に肉体を通した経験というものがどれだけ大切かを再認識します。
舞台は現代に戻ります。
イタリア出発の3日前、仕事の忙しさもさることながら、メタクソな体調不良で丸2日寝込んでしまいました。
それはこれまであまり経験したことがないシンドさで、一度トイレに立った以外はほとんど気を失ったように臥していました。
とりわけ頭痛というか目の奥の痛みが激しく、わずかな光でも頭が割れそうなほどだったので、目をタオルで強く縛って暗闇のなか1日半を
過ごしました。
もしかしたら新型インフルエンザか何か新種の病気かもしれないと思いましたが、その一方で旅行の不安というものは全くありません
でした。
それは、行けるという信念があったということではなく、出国3日前だったのでもう俎板の上の鯉だったからでした。
ダメならダメですし、行くなら行ける。
この時イタリアでは1週間前に大きな地震が起きていましたし、仕事の方もますます収拾のつかない忙しさになっていましたので、
こうなるとすでに「行ってはいけない」一歩手前でもありました。
止められる材料は山ほど揃ってましたので、変な話、心配しなくてもちゃんと止めてくれるだろうという妙な安心感で完全にお任せする
ことができたのでした。
そもそも今回の旅先をイタリアに選んだところからしてコレといった衝動があったわけでもなかったので、この選択で良かったのか?と
自分の中でもフワッフワとしてお尻を据えかねている部分がありました。
そんな中でのこのヤマ場でしたので、逆にどっちに転んでも割り切れるというものでした。
結果的には行かせて貰えて、気持ちもスッキリ割り切れたわけですが、その代償として著しく体力が低下してしまいました。
久々に歩いたときは力が入らずフラフラと、最寄駅で息を切らしてしまう有り様でした。
そして出国当日までほとんど何も食べられずゲッソリ生気がなくなってしまい、この時まわりの人たちは海外は無理だろうと思っていたことを
あとになって知らされましたが、実際、自分でも当日起きてダメだったら東北あたりの湯治場で1週間過ごそうと考えるようになっていました。
とはいえ、イタリアも湯治場も完全に価値としてはイーブンでした。
どんなにありふれた土地であっても、自らの中心によって導かれた先には、ビックリ仰天のパズルゲームや噛めば噛むほど味わえるものが
用意されていたりします。
逆にどれほど物珍しい場所であろうと我欲をナビゲーターに辿り着いた先というのは、ガイドブックの範囲を超えないありふれたものに
しかならなかったりします。
何処にマーク設定されるかは神のみぞ知る。
いや「私の中心はそれを知っている」です。
これは誰にとってもそうです。
そしてそれが絶対にハズレ無しであることは確信というか、完全な事実であるわけです。
ですから絶不調だった身体とは裏腹に、心のほうはこれ以上ないほど晴れ渡っていました。
そうして出発の日を迎えました。
幸いにしてこの日を迎えられた時点で、もう途中で倒れたり引き返すようなことは無くなりました。
ようやく心身が定まった瞬間でした。
そんな流れでイタリアに着いた一発目が国旗掲揚、国家斉唱だったのはとても感慨深いものでした。
さて今回の旅はほとんどノープランの風まかせでしたが、それでもいくつか定められたポイントはありました。
その一つはコロッセオでした。
詳細は割愛させて頂きますが、触れられる範囲で触れたいと思います。
常識というものは時代が変われば全く違ってきます。
集団生活がすべてのベースとなりますので、環境が変われば育ちも変わります。
持って生まれた個々の資質以上に、そうしたものの影響は大きいものです。
実際、今この現代にあっても、国が違うだけで驚くほど価値観が変わってくるというのが事実です。
今の価値基準でもって、過去の時代の暮らしや歴史を「良い悪い」と判断することは全くのナンセンスだと言えます。
今の自分が絶対正しい、正義であるという考えは傲慢以外の何ものでもありません。
ですが、そこまで理解できて居たとしても実際に殺戮のような出来事を許容できるほど私たちは大きく成ってはおりません。
自我の枠の中に居るうちは、そうした記憶は自らを傷つけ、数多くの可能性を狭めることにしかなりません。
私たちは贖罪のために生まれてきたわけではないわけです。
そのためにこそ、前世の記憶は抹消されてから此処に来ています。
ただ自分としてはその場所のことを頭に浮かべただけで肌に緊張が走り、全身が拒絶感に包まれました。
それと同時に「フタをしてはいけない」という極めて強い思いが湧きあがるのでした。
記憶を呼び起こせないよう私たちは非常に強いロックがかけられています。
でも、ある体験を事実として知っている感覚というものがあります。
自分はそこでそれをやったのだという。
それは喩えるなら、ややピンボケの景色が意識の奥に広がっているような感じと言えるかもしれません。
ただ、そこに光を当ててはいけないという本能的な感覚が全身を覆っています。
それを無理にピントを合わせようとすると様々な形で身体にストップがかかります。
鮮明に見えなくとも、その事実を実感しているということだけで十分であるわけです。
そして現実としてその場所に行った時、言葉には表せられぬ感覚のなか、全身の細胞一つ一つの奥底から、申し訳なさとお詫びの思いが
湧き出しました。
決してその氣を忌み嫌うことなく、その思いをそのまま受け入れ、自然と出てきた祓詞に身をまかせました。
遠い位置や上方からではなく、同じところに立ち、受け入れ、共におさまる。
ピンボケの景色が何であるかは分かっている。
知っています。
ただそれをそのままクリアにはさせずに、心の思いだけを救い上げるというのは、いま思えばまさしく天の慈愛そのものだったと思います。
さて、道中そのように胸がグーッと苦しくなる場面が結構あったのですが、パンテオンだけは別でした。
パンテオンはローマ市街にある神殿で、古代ローマ時代に様々な神を祀るために作られました。
ご存知の通り、古代ローマは日本と同じような多神教の国だったわけですが、キリスト教が広まっていくにつれてこうした多神教の
建築物はみんな壊されてしまいました。
パンテオンも本来なら破壊されるはずでしたが、教会として利用されたことでかろうじて残った珍しい例だそうです。
前情報なしに廻っていましたので、最初に訪れた時は自分もそこは教会だと思っていました。
実際、パンテオンの中には王族やラファエロの墓がありました。
ですが行ってみるとそこにはスッキリした精妙な空気が流れていて、中に入ったときは言葉を失いました。
なんというか、一言でいえばホッと落ち着く感じでした。
石造りなのですが、そこはまるで古い神社の境内のような静けさに包まれていました。
そして何故かそのとき『君が代』が頭に流れてきました。
よく分からないまま、流れのままに小さな声で『君が代』を謳いました。
それが国歌としてのものでないことは分かりましたが、それ以上は何のことやらよく分かりません。
分からないことは分からなくていい。
必要であれば必要なときにポンと出てくるものですから、下手な考え休むに似たりです。
その一方で、短い歌で良かったとホッとしている自分も居たのでした(笑)
その日の予定として、もう一つ行かなくてはいけない場所が××××でした。
(中略)
さて、こうして××××をあとにした時には文字通り生気が抜かれたようになってしまったため、どこかでひと休みしようということに
なりました。
そしていま行きたい場所として瞬間的に浮かんだのがパンテオンでした。
喫茶店でなくパンテオンかよ!と自分でも思いましたが、なんでか分からないけど素直な気持ちでした。
実際パンテオンに行ってみますと、その中へ入るなり指先や爪先までスーッと氣が通っていくのが分かりました。
それは腕や足の付け根で止まっていた血流が、五指の毛細血管の先にまで流れていくような感覚でした。
ここはいったい何という場所なのでしょうか。
ドーム状になった天井の中心はポッカリと穴が空いています。
これは「太陽の光が差し込むことで日時計になっている」と説明されましたが、果たしてそうなのでしょうか。
その天井の中心の真下に立ちますと、自分の正中線にスーッと太いものが流れ、そのまま自分の外へとグルグル回っていきました。
パンテオンは天地の万物を神々として崇める古代ローマの教会だと言われています。
しかしここは、あらゆる存在がこの世に存在するために無意識のうちに行っている『天地の呼吸』すなわち『エネルギー循環』というものを
そのまま体現させた場所、言い換えれば「天地の姿をそのままに表した場所」なのではないかと思いました。
万神を崇める古代ローマの考え方に対して、その後の人々はそれを排除するような格好になってしまいました。
私たち日本人は古代ローマと通じる部分を数多くもっており、実際多くがその時代を体験してきたことでしょう。
自分もまたそれを強く持ったまま、思いやエネルギーが残る場所を訪れ、その相剋によって苦しさを感じることとなりました。
過去に経験したことのない目にもあいました。
しかし、だからこそその本当の意味を知ることも出来ました。
何も考えずあちらこちらを訪ねていましたが、重要な場所を素知らぬ顔でシレッと行けるというのは凄いことです。
自身が何者であるかを知らないという点で私たちは本当に隠密忍者のようなものと言えるかもしれません。
出国の前にフラフラになるほど倒されたのも、もしかしたら色々な経験を通るための準備だったのかもしれません。
そうでなかったらどうなっていたのか、考えただけでゾッとします。
今日は世界中でお祝いがされるクリスマスです。
様々な存在のお蔭で、世界はこうして今を生かして頂けています。
直接的に関係なくとも、他岸の安息は、此岸の安寧と成っています。
日本人は信仰心もなくただ面白おかしくクリスマスを騒ぐと言われますが、それは何でも愉快に楽しもうもするお祭り習慣の為せるわざだと
思います。
そして祭りとは本質的には、祀りであります。
祀りとは、その対象へ感謝を示すことです。
楽しんでいる瞬間というのは、一番に今を生きていることになります。
八百万の神々に敬意を払う私たちが、今日という日に感謝を表してもそれは不自然なことではありません。
この世界というのは、人知れず様々なことが陰に働いて成り立っています。
どちらが正しいとか、どちらが間違っているとか、そういうことはありません。
たとえ正反対のものであっても、そのどちらも全世界として見れば調和の支えとなっているということです。
唯一絶対神たる一神教も、八百万の神々の多神教も、どちらもあって今があるということでしょう。
正面から衝突してしまうと、ゼロか100か、全か無か、ということにしかなりません。
実際には、大きな大河がぐるりんと循環しているだけです。
これにて長きにわたる相剋が一件落着となることを願うばかりです。
(おわり)
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私たちは何度も生まれ変わりながら、毎度初心に戻って初心者マークでおっかなビックリ旅行を楽しんでいると以前書きました。
何千回と旅を重ねますとかなり擦れまくって感動も何も無くなってしまうところですが、誰ひとり例外なく真っさらな純粋無垢に戻して
新鮮な喜びを味あわせて貰えるのは本当にありがたいことです。
今この人生を振り返ってみても、食事や旅行で喜びが大きかったのは、ほんの少し背伸びをしたり足を伸ばしたりした時だったのでは
ないかと思います。
それというのは値段や見た目の豪華さによるものではなく、未知の喜び、好奇心を満たされた喜びだったわけです。
知らないことだらけというのは、天の祝福に他なりません。
想像してみれば分かることですが、何もかも知っていたり、やったことばかりだったら、あまりの退屈さに毎日がツラくなるでしょう。
それにしても何千、何万回とある記憶を漏らすことなくリセットさせているというのは考えてみると本当に凄いことです。
隠されていると知りたくなるのは私たちの性分ですが、そのくせタネを明かされてしまうと『何だ知らないままで居たほうがもっと楽しめ
たな』と思ってしまうものです。
とはいえ、何千、何万とありますと、中にはあちこちからポロポロとこぼれ落ちることもあります。
そうした一つ一つの記憶にクローズアップして深掘りするのは大概は意味のないことですが、それでもタイミングや流れによって自然と
そこに繋がることもあります。
そうした場合、それは好奇心を満たすためではなく、それによって今この瞬間をさらに味わい深くさせるためのエッセンスとなるかも
しれません。
私たちは今の時間軸に乗った水平方向だけの見方だけでなく、そうした過去世の断片に触れることで今この瞬間を立体的に俯瞰することが
出来るようになれます。
もしも普段から過去世ばかりに目をやってしまうと焦点は今ココから離れてしまい意味を為さなくなりますが、自然のうちに過去に身を
置かされる分には焦点は今から離れることはありません。
カーナビに例えると、前者はカーソルを過去に置いてしまうことになるため現在地がそこへ移動してしまいますが、後者はカーソルの
位置は今ここにそのまま変わらず残り、画像だけが俯瞰画面に切り替わるようになります。
ですから天地や真我がそこへ導くことはあっても、自らそれを求めて訪れるものではないということになります。
そうしてその流れがやってきた時には、それをカルマの解消などと言ってしまうのは野暮というものですし、重苦しいだけでしょう。
むしろ新しい機能を面白おかしく楽しむというのが近いような気がします。
前置きが長くなってしまいましたが、今日はそんな流れで行きたいと思います。
少しばかり厚手の皮で作られた古代の靴がありました。
足のスネのところまで格子状に編まれた靴です。
そして白というよりもクリームに近い色をした布の服。
こうしたものを身につけている肌感というものが、ふとした時に蘇ることがあります。
それは映像ではなく、たとえば布地が肌に触れる感触とか、歩く時に舞った砂が肌に当たる感触とか、靴底で土を踏みしめる感触とか、
そうした皮膚の感覚であることがほとんどです。
でも、いちいち意識を向けることでもないので『またか』と思って放っとくとスーッと消え去っていきます。
脳の記憶というのは意外と浅いものですが、やはり肉体の記憶は芯まで染み込むものなのかもしれません。
この世で生きるからには、やはり実際に肉体を通した経験というものがどれだけ大切かを再認識します。
舞台は現代に戻ります。
イタリア出発の3日前、仕事の忙しさもさることながら、メタクソな体調不良で丸2日寝込んでしまいました。
それはこれまであまり経験したことがないシンドさで、一度トイレに立った以外はほとんど気を失ったように臥していました。
とりわけ頭痛というか目の奥の痛みが激しく、わずかな光でも頭が割れそうなほどだったので、目をタオルで強く縛って暗闇のなか1日半を
過ごしました。
もしかしたら新型インフルエンザか何か新種の病気かもしれないと思いましたが、その一方で旅行の不安というものは全くありません
でした。
それは、行けるという信念があったということではなく、出国3日前だったのでもう俎板の上の鯉だったからでした。
ダメならダメですし、行くなら行ける。
この時イタリアでは1週間前に大きな地震が起きていましたし、仕事の方もますます収拾のつかない忙しさになっていましたので、
こうなるとすでに「行ってはいけない」一歩手前でもありました。
止められる材料は山ほど揃ってましたので、変な話、心配しなくてもちゃんと止めてくれるだろうという妙な安心感で完全にお任せする
ことができたのでした。
そもそも今回の旅先をイタリアに選んだところからしてコレといった衝動があったわけでもなかったので、この選択で良かったのか?と
自分の中でもフワッフワとしてお尻を据えかねている部分がありました。
そんな中でのこのヤマ場でしたので、逆にどっちに転んでも割り切れるというものでした。
結果的には行かせて貰えて、気持ちもスッキリ割り切れたわけですが、その代償として著しく体力が低下してしまいました。
久々に歩いたときは力が入らずフラフラと、最寄駅で息を切らしてしまう有り様でした。
そして出国当日までほとんど何も食べられずゲッソリ生気がなくなってしまい、この時まわりの人たちは海外は無理だろうと思っていたことを
あとになって知らされましたが、実際、自分でも当日起きてダメだったら東北あたりの湯治場で1週間過ごそうと考えるようになっていました。
とはいえ、イタリアも湯治場も完全に価値としてはイーブンでした。
どんなにありふれた土地であっても、自らの中心によって導かれた先には、ビックリ仰天のパズルゲームや噛めば噛むほど味わえるものが
用意されていたりします。
逆にどれほど物珍しい場所であろうと我欲をナビゲーターに辿り着いた先というのは、ガイドブックの範囲を超えないありふれたものに
しかならなかったりします。
何処にマーク設定されるかは神のみぞ知る。
いや「私の中心はそれを知っている」です。
これは誰にとってもそうです。
そしてそれが絶対にハズレ無しであることは確信というか、完全な事実であるわけです。
ですから絶不調だった身体とは裏腹に、心のほうはこれ以上ないほど晴れ渡っていました。
そうして出発の日を迎えました。
幸いにしてこの日を迎えられた時点で、もう途中で倒れたり引き返すようなことは無くなりました。
ようやく心身が定まった瞬間でした。
そんな流れでイタリアに着いた一発目が国旗掲揚、国家斉唱だったのはとても感慨深いものでした。
さて今回の旅はほとんどノープランの風まかせでしたが、それでもいくつか定められたポイントはありました。
その一つはコロッセオでした。
詳細は割愛させて頂きますが、触れられる範囲で触れたいと思います。
常識というものは時代が変われば全く違ってきます。
集団生活がすべてのベースとなりますので、環境が変われば育ちも変わります。
持って生まれた個々の資質以上に、そうしたものの影響は大きいものです。
実際、今この現代にあっても、国が違うだけで驚くほど価値観が変わってくるというのが事実です。
今の価値基準でもって、過去の時代の暮らしや歴史を「良い悪い」と判断することは全くのナンセンスだと言えます。
今の自分が絶対正しい、正義であるという考えは傲慢以外の何ものでもありません。
ですが、そこまで理解できて居たとしても実際に殺戮のような出来事を許容できるほど私たちは大きく成ってはおりません。
自我の枠の中に居るうちは、そうした記憶は自らを傷つけ、数多くの可能性を狭めることにしかなりません。
私たちは贖罪のために生まれてきたわけではないわけです。
そのためにこそ、前世の記憶は抹消されてから此処に来ています。
ただ自分としてはその場所のことを頭に浮かべただけで肌に緊張が走り、全身が拒絶感に包まれました。
それと同時に「フタをしてはいけない」という極めて強い思いが湧きあがるのでした。
記憶を呼び起こせないよう私たちは非常に強いロックがかけられています。
でも、ある体験を事実として知っている感覚というものがあります。
自分はそこでそれをやったのだという。
それは喩えるなら、ややピンボケの景色が意識の奥に広がっているような感じと言えるかもしれません。
ただ、そこに光を当ててはいけないという本能的な感覚が全身を覆っています。
それを無理にピントを合わせようとすると様々な形で身体にストップがかかります。
鮮明に見えなくとも、その事実を実感しているということだけで十分であるわけです。
そして現実としてその場所に行った時、言葉には表せられぬ感覚のなか、全身の細胞一つ一つの奥底から、申し訳なさとお詫びの思いが
湧き出しました。
決してその氣を忌み嫌うことなく、その思いをそのまま受け入れ、自然と出てきた祓詞に身をまかせました。
遠い位置や上方からではなく、同じところに立ち、受け入れ、共におさまる。
ピンボケの景色が何であるかは分かっている。
知っています。
ただそれをそのままクリアにはさせずに、心の思いだけを救い上げるというのは、いま思えばまさしく天の慈愛そのものだったと思います。
さて、道中そのように胸がグーッと苦しくなる場面が結構あったのですが、パンテオンだけは別でした。
パンテオンはローマ市街にある神殿で、古代ローマ時代に様々な神を祀るために作られました。
ご存知の通り、古代ローマは日本と同じような多神教の国だったわけですが、キリスト教が広まっていくにつれてこうした多神教の
建築物はみんな壊されてしまいました。
パンテオンも本来なら破壊されるはずでしたが、教会として利用されたことでかろうじて残った珍しい例だそうです。
前情報なしに廻っていましたので、最初に訪れた時は自分もそこは教会だと思っていました。
実際、パンテオンの中には王族やラファエロの墓がありました。
ですが行ってみるとそこにはスッキリした精妙な空気が流れていて、中に入ったときは言葉を失いました。
なんというか、一言でいえばホッと落ち着く感じでした。
石造りなのですが、そこはまるで古い神社の境内のような静けさに包まれていました。
そして何故かそのとき『君が代』が頭に流れてきました。
よく分からないまま、流れのままに小さな声で『君が代』を謳いました。
それが国歌としてのものでないことは分かりましたが、それ以上は何のことやらよく分かりません。
分からないことは分からなくていい。
必要であれば必要なときにポンと出てくるものですから、下手な考え休むに似たりです。
その一方で、短い歌で良かったとホッとしている自分も居たのでした(笑)
その日の予定として、もう一つ行かなくてはいけない場所が××××でした。
(中略)
さて、こうして××××をあとにした時には文字通り生気が抜かれたようになってしまったため、どこかでひと休みしようということに
なりました。
そしていま行きたい場所として瞬間的に浮かんだのがパンテオンでした。
喫茶店でなくパンテオンかよ!と自分でも思いましたが、なんでか分からないけど素直な気持ちでした。
実際パンテオンに行ってみますと、その中へ入るなり指先や爪先までスーッと氣が通っていくのが分かりました。
それは腕や足の付け根で止まっていた血流が、五指の毛細血管の先にまで流れていくような感覚でした。
ここはいったい何という場所なのでしょうか。
ドーム状になった天井の中心はポッカリと穴が空いています。
これは「太陽の光が差し込むことで日時計になっている」と説明されましたが、果たしてそうなのでしょうか。
その天井の中心の真下に立ちますと、自分の正中線にスーッと太いものが流れ、そのまま自分の外へとグルグル回っていきました。
パンテオンは天地の万物を神々として崇める古代ローマの教会だと言われています。
しかしここは、あらゆる存在がこの世に存在するために無意識のうちに行っている『天地の呼吸』すなわち『エネルギー循環』というものを
そのまま体現させた場所、言い換えれば「天地の姿をそのままに表した場所」なのではないかと思いました。
万神を崇める古代ローマの考え方に対して、その後の人々はそれを排除するような格好になってしまいました。
私たち日本人は古代ローマと通じる部分を数多くもっており、実際多くがその時代を体験してきたことでしょう。
自分もまたそれを強く持ったまま、思いやエネルギーが残る場所を訪れ、その相剋によって苦しさを感じることとなりました。
過去に経験したことのない目にもあいました。
しかし、だからこそその本当の意味を知ることも出来ました。
何も考えずあちらこちらを訪ねていましたが、重要な場所を素知らぬ顔でシレッと行けるというのは凄いことです。
自身が何者であるかを知らないという点で私たちは本当に隠密忍者のようなものと言えるかもしれません。
出国の前にフラフラになるほど倒されたのも、もしかしたら色々な経験を通るための準備だったのかもしれません。
そうでなかったらどうなっていたのか、考えただけでゾッとします。
今日は世界中でお祝いがされるクリスマスです。
様々な存在のお蔭で、世界はこうして今を生かして頂けています。
直接的に関係なくとも、他岸の安息は、此岸の安寧と成っています。
日本人は信仰心もなくただ面白おかしくクリスマスを騒ぐと言われますが、それは何でも愉快に楽しもうもするお祭り習慣の為せるわざだと
思います。
そして祭りとは本質的には、祀りであります。
祀りとは、その対象へ感謝を示すことです。
楽しんでいる瞬間というのは、一番に今を生きていることになります。
八百万の神々に敬意を払う私たちが、今日という日に感謝を表してもそれは不自然なことではありません。
この世界というのは、人知れず様々なことが陰に働いて成り立っています。
どちらが正しいとか、どちらが間違っているとか、そういうことはありません。
たとえ正反対のものであっても、そのどちらも全世界として見れば調和の支えとなっているということです。
唯一絶対神たる一神教も、八百万の神々の多神教も、どちらもあって今があるということでしょう。
正面から衝突してしまうと、ゼロか100か、全か無か、ということにしかなりません。
実際には、大きな大河がぐるりんと循環しているだけです。
これにて長きにわたる相剋が一件落着となることを願うばかりです。
(おわり)
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