今年も残すところ、あと1週間余りとなりました。
来週の金曜はもう正月です。
本当に早いものです。
7月に東京に移ってからは生活が一変し、嵐のような忙しさとなりましたが、数ヶ月かけてようやく心を落ち着けられるようになりました。
...と思っていたら、勝手に終わらすんじゃないとばかりに、最後の最後まで息もつかせぬ展開が待ってました。
本来ならば、今日は会社のカレンダーを沢山抱えて都内のお客さんのところを駆けまわっているはずでした。
そして夜には資料作りで悶々と残業しているはずでしたが、昨晩の急展開で、何故か松江に居るのでした。
体がいくつあっても足りない年末に、まさか日帰り出張が入るとは思いませんでした。
もとより松江は大阪支社の管轄。
普通だったら有り得ないのに、その有り得ないことが起きたのにはわけがありました。
競合他社が立て続けに二社も事業撤退するという、うちの業界としては戦後初の出来事が起きたのでした。
東京に来てから慌ただしいことだらけでしたが、ようやっと諦めきって受け入れたところで、そこからさらに畳み掛けてくるというのは本当に
ヒドい話です 笑
しかも、休み前日のせいか、丁度いい時間帯の飛行機はソールドアウト。
早朝の飛行機で行って、最終の飛行機で帰って来る羽目になりました。
といって、会社の仕事は山積み。
朝でも夜でも、どちらかだけでも東京で仕事を片付けたいところだったのですが、完全に丸一日拘束されることになってしまいました。
(実際には拘束ではなくて、隔離だったわけですが)
ここで、必然という言葉を使うつもりはありません 笑
ただ、やはりこの世というのはサプライズに満ちたアトラクションなんだなぁと思うばかりです。
さて、全く頭にありませんでしたが、今日は冬至です。
ご存知の通り、一年のうち最も夜が長い日です。
このことから、冬至は別名「一陽来復」とも言われます。
これはもともと易の言葉で、陰暦十月に陰が極まって十一月に陽が現れる、という意味なのだそうです。
そんなことから、
「陰極まって陽となる」
「冬が終わって春となる」
「悪い状態から脱して良い状態となる」
そんな意味に使われます。
夜が一番長い日、それをもって陰極まるとはよく言ったものです。
とはいえ、陰は暗くて悪いものツラいものだという決めつけは如何なものか。
さて、そんな冬至だったわけですが、今日の松江は驚くような暖かさでした。
これまで何度か来ていますが、この時期いつもなら日本海独特の厚い雲に覆われドンヨリと重い空気が漂っているところです。
なのに、今日は青空に小さな雲がチョコチョコとあって、いったいこれは何処の空?というような晴天。
まさかこの季節にコート要らずで出歩けるとは思いもしませんでした。
仕事が早めに終われば空港に行ってキャンセル待ちで早めに帰るつもりだったのですが、お客さんの会議が伸びたため、面談もスライド遅れで、
あえなく断念となりました。
時間だけは余るほどあるのに、仕事をしようにも資料やら何やら全て会社に山積みされたままで遠隔作業も叶わず。
もちろんそれを持って出張に出て来れるようなものでも無かったので、完全にお手上げ状態です。
となると、あとは割り切って遊んで帰るしかありませんが、松江には何度も来ていますので、お城もお堀も、屋敷も蕎麦も、史跡や神社に
しても行き尽くしていました。
次の便まで6時間近く、何もすることがありません。
しかもポカポカ陽気。
レンタカーを借りて神社巡りでもしたかったのですが、勤務時間中に何かあったらそれこそクビになってしまいますので、そこはグッと
こらえて、結局一番時間が費やせる出雲大社に電車で行くことにしました。
あと、温泉というのもチラッと頭をよぎりましたが、さすがにコラッと怒られそうだったのでそこは諦めました。
大社はこれで何回目になるか覚えていないくらいですが、ヨシ行くぞと思って行ったことは最初の一回だけだったような気がします。
行ったら行ったでジンワリ来るのですが、といって積極的に計画することはなくて、気づけば行っていたというのがとても不思議に思います。
よく、アマテラス系とかスサノオ系とか、人それぞれ感覚的な落ち着き感があると言いますが、これは事実だと思います。
それは勝手な思い込みで自己満足に浸るような類いのものではなく、芯の部分と全身の皮膚とでスッと感じるものです。
そういう意味では、自分はアマテラス様の御縁の神社の方はジンワリきまして、そちらは積極的に計画してお詣りするのですが、スサノオ様の
御縁の神社は緊張感というか、よそ行きの心になってしまいなかなか進んで行こうという気にはなれないのでした。
昔は、みんなそんなもんだろうと思っていましたが、逆にスサノオ様の系統の方が落ち着くという人が結構おられることに、己の視野の狭さを
思い知らされたものでした。
この世は、バラエティ豊かな多様性に富む、本当に奥深い世界です。
そんなわけで私にとっての出雲大社は、喜び勇んで飛んで行こうという心地にはなれないというか、生半可な気持ちでお邪魔してはいけない
という感覚の特別な場所なのでありました。
ただ、今日に関しては自分の我で押し進めているのでなく、もうそれしか無いというほどの追い込まれかただったので逆に気がラクというか、
大河が支流へ枝分かれしていくように否応もなくボヘーっと、居直りというのでは無いのですが、緊張することなくリラックスしてその流れに
乗らさせて頂きました。
それにしても、まさかここで出雲大社とは、それが自我によるものだったら僭越すぎるというか、畏れ多くて描けない展開だったろうと
思います。
出雲大社と伊勢神宮とは、太陽のラインで結ばれています。
日出ずる伊勢に対して、日暮れる西方の出雲です。
伊勢を陽とすれば、まさに出雲は陰であるわけです。
毎年11月の新嘗祭には伊勢神宮に行っていたのですが、今年は激しい忙しさで諦めざるを得ませんでした。
それが、まさか一年の締めに出雲大社に行くことになるとは、未だしっくり来ないというか、不思議な感覚この上なしです。
それは例えるなら、和服と洋服ほど趣きの異なる一張羅を着させられて、晴れ舞台でご挨拶をさせられたような、そんな場違い感でした(笑)
趣きが異なるという感覚は、要は、自分の趣味に合う合わないということです。
趣味というのは、感覚だけでなく、自分のこだわりや好みにも影響されます。
スサノオ様の系統は、正しく、陰陽で言うところの「陰」です。
それを辛気くさいとか、暗いとかいう価値判断は人間の勝手な思い込みでしかありません。
自分もまた、それを趣きとして、距離を置いてしまっていたのだと思います。
陰にせよ陽にせよ、元ひとつの同じものです。
別に、裏だ表だというものですらありません。
そうした理屈こそが真実を遠ざけてしまいます。
スサノオ様は、黄泉(夜見)も司る、陰の象徴です。
一方のアマテラス様は、太陽を司る、陽の象徴です。
それは裏でも表でもなく、全く同じものです。
まさに「陰極まって陽となる」です。
黄泉の国も、高天原も、中つ国も、そこに何ら違いは無いのです。
帰りのタクシーで運転手さんが、こんな暑いのは今日だけだと笑っていましたが、そのあと出雲大社宮司家である千家国麿さんと高円宮典子様
の御結婚のことを嬉しそうに話していました。
それは、何千年も続いたスサノオ様とアマテラス様の住み分け、陰陽の切り分けが無くなりこの時代に一つになったことを示すもの
でもあります。
今日は冬至です。
一年の中で、最も陰が極まる日であり、陰と陽が重なる日です。
高円宮典子様のお輿入れにより、陰陽天地が溶け合い一つになったように、今日という日を境に、この世の陰陽が溶け合い一つになると
いうことなのかもしれません。
私もまた、今朝まで抱いていた陰陽の切り分けが、今日の御参りを境に、溶けて一つになっていくようでした。
冬なのに、春のようなポカポカ陽気。
日本海なのに、太平洋のような広い青空。
今日という日は、あらゆるものが一つであることを示された日だったのかもしれません。
(おわり)
(本殿の真裏にあるスサノオ様のお社です。式年で綺麗になっていました。出雲で一番好きな場所です。)
来週の金曜はもう正月です。
本当に早いものです。
7月に東京に移ってからは生活が一変し、嵐のような忙しさとなりましたが、数ヶ月かけてようやく心を落ち着けられるようになりました。
...と思っていたら、勝手に終わらすんじゃないとばかりに、最後の最後まで息もつかせぬ展開が待ってました。
本来ならば、今日は会社のカレンダーを沢山抱えて都内のお客さんのところを駆けまわっているはずでした。
そして夜には資料作りで悶々と残業しているはずでしたが、昨晩の急展開で、何故か松江に居るのでした。
体がいくつあっても足りない年末に、まさか日帰り出張が入るとは思いませんでした。
もとより松江は大阪支社の管轄。
普通だったら有り得ないのに、その有り得ないことが起きたのにはわけがありました。
競合他社が立て続けに二社も事業撤退するという、うちの業界としては戦後初の出来事が起きたのでした。
東京に来てから慌ただしいことだらけでしたが、ようやっと諦めきって受け入れたところで、そこからさらに畳み掛けてくるというのは本当に
ヒドい話です 笑
しかも、休み前日のせいか、丁度いい時間帯の飛行機はソールドアウト。
早朝の飛行機で行って、最終の飛行機で帰って来る羽目になりました。
といって、会社の仕事は山積み。
朝でも夜でも、どちらかだけでも東京で仕事を片付けたいところだったのですが、完全に丸一日拘束されることになってしまいました。
(実際には拘束ではなくて、隔離だったわけですが)
ここで、必然という言葉を使うつもりはありません 笑
ただ、やはりこの世というのはサプライズに満ちたアトラクションなんだなぁと思うばかりです。
さて、全く頭にありませんでしたが、今日は冬至です。
ご存知の通り、一年のうち最も夜が長い日です。
このことから、冬至は別名「一陽来復」とも言われます。
これはもともと易の言葉で、陰暦十月に陰が極まって十一月に陽が現れる、という意味なのだそうです。
そんなことから、
「陰極まって陽となる」
「冬が終わって春となる」
「悪い状態から脱して良い状態となる」
そんな意味に使われます。
夜が一番長い日、それをもって陰極まるとはよく言ったものです。
とはいえ、陰は暗くて悪いものツラいものだという決めつけは如何なものか。
さて、そんな冬至だったわけですが、今日の松江は驚くような暖かさでした。
これまで何度か来ていますが、この時期いつもなら日本海独特の厚い雲に覆われドンヨリと重い空気が漂っているところです。
なのに、今日は青空に小さな雲がチョコチョコとあって、いったいこれは何処の空?というような晴天。
まさかこの季節にコート要らずで出歩けるとは思いもしませんでした。
仕事が早めに終われば空港に行ってキャンセル待ちで早めに帰るつもりだったのですが、お客さんの会議が伸びたため、面談もスライド遅れで、
あえなく断念となりました。
時間だけは余るほどあるのに、仕事をしようにも資料やら何やら全て会社に山積みされたままで遠隔作業も叶わず。
もちろんそれを持って出張に出て来れるようなものでも無かったので、完全にお手上げ状態です。
となると、あとは割り切って遊んで帰るしかありませんが、松江には何度も来ていますので、お城もお堀も、屋敷も蕎麦も、史跡や神社に
しても行き尽くしていました。
次の便まで6時間近く、何もすることがありません。
しかもポカポカ陽気。
レンタカーを借りて神社巡りでもしたかったのですが、勤務時間中に何かあったらそれこそクビになってしまいますので、そこはグッと
こらえて、結局一番時間が費やせる出雲大社に電車で行くことにしました。
あと、温泉というのもチラッと頭をよぎりましたが、さすがにコラッと怒られそうだったのでそこは諦めました。
大社はこれで何回目になるか覚えていないくらいですが、ヨシ行くぞと思って行ったことは最初の一回だけだったような気がします。
行ったら行ったでジンワリ来るのですが、といって積極的に計画することはなくて、気づけば行っていたというのがとても不思議に思います。
よく、アマテラス系とかスサノオ系とか、人それぞれ感覚的な落ち着き感があると言いますが、これは事実だと思います。
それは勝手な思い込みで自己満足に浸るような類いのものではなく、芯の部分と全身の皮膚とでスッと感じるものです。
そういう意味では、自分はアマテラス様の御縁の神社の方はジンワリきまして、そちらは積極的に計画してお詣りするのですが、スサノオ様の
御縁の神社は緊張感というか、よそ行きの心になってしまいなかなか進んで行こうという気にはなれないのでした。
昔は、みんなそんなもんだろうと思っていましたが、逆にスサノオ様の系統の方が落ち着くという人が結構おられることに、己の視野の狭さを
思い知らされたものでした。
この世は、バラエティ豊かな多様性に富む、本当に奥深い世界です。
そんなわけで私にとっての出雲大社は、喜び勇んで飛んで行こうという心地にはなれないというか、生半可な気持ちでお邪魔してはいけない
という感覚の特別な場所なのでありました。
ただ、今日に関しては自分の我で押し進めているのでなく、もうそれしか無いというほどの追い込まれかただったので逆に気がラクというか、
大河が支流へ枝分かれしていくように否応もなくボヘーっと、居直りというのでは無いのですが、緊張することなくリラックスしてその流れに
乗らさせて頂きました。
それにしても、まさかここで出雲大社とは、それが自我によるものだったら僭越すぎるというか、畏れ多くて描けない展開だったろうと
思います。
出雲大社と伊勢神宮とは、太陽のラインで結ばれています。
日出ずる伊勢に対して、日暮れる西方の出雲です。
伊勢を陽とすれば、まさに出雲は陰であるわけです。
毎年11月の新嘗祭には伊勢神宮に行っていたのですが、今年は激しい忙しさで諦めざるを得ませんでした。
それが、まさか一年の締めに出雲大社に行くことになるとは、未だしっくり来ないというか、不思議な感覚この上なしです。
それは例えるなら、和服と洋服ほど趣きの異なる一張羅を着させられて、晴れ舞台でご挨拶をさせられたような、そんな場違い感でした(笑)
趣きが異なるという感覚は、要は、自分の趣味に合う合わないということです。
趣味というのは、感覚だけでなく、自分のこだわりや好みにも影響されます。
スサノオ様の系統は、正しく、陰陽で言うところの「陰」です。
それを辛気くさいとか、暗いとかいう価値判断は人間の勝手な思い込みでしかありません。
自分もまた、それを趣きとして、距離を置いてしまっていたのだと思います。
陰にせよ陽にせよ、元ひとつの同じものです。
別に、裏だ表だというものですらありません。
そうした理屈こそが真実を遠ざけてしまいます。
スサノオ様は、黄泉(夜見)も司る、陰の象徴です。
一方のアマテラス様は、太陽を司る、陽の象徴です。
それは裏でも表でもなく、全く同じものです。
まさに「陰極まって陽となる」です。
黄泉の国も、高天原も、中つ国も、そこに何ら違いは無いのです。
帰りのタクシーで運転手さんが、こんな暑いのは今日だけだと笑っていましたが、そのあと出雲大社宮司家である千家国麿さんと高円宮典子様
の御結婚のことを嬉しそうに話していました。
それは、何千年も続いたスサノオ様とアマテラス様の住み分け、陰陽の切り分けが無くなりこの時代に一つになったことを示すもの
でもあります。
今日は冬至です。
一年の中で、最も陰が極まる日であり、陰と陽が重なる日です。
高円宮典子様のお輿入れにより、陰陽天地が溶け合い一つになったように、今日という日を境に、この世の陰陽が溶け合い一つになると
いうことなのかもしれません。
私もまた、今朝まで抱いていた陰陽の切り分けが、今日の御参りを境に、溶けて一つになっていくようでした。
冬なのに、春のようなポカポカ陽気。
日本海なのに、太平洋のような広い青空。
今日という日は、あらゆるものが一つであることを示された日だったのかもしれません。
(おわり)
(本殿の真裏にあるスサノオ様のお社です。式年で綺麗になっていました。出雲で一番好きな場所です。)
これからもよろしくお願いします!