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これでいいのダ

心をラクに生きましょう。どんな日々もオールOKです!

仮初めの先に広がる世界

2015-10-24 17:35:08 | 天地の仕組み
世界には偶像崇拝を禁ずる宗教が数多くあります。
原理主義者たちが歴史的遺産を破壊するのも、大義名分としてはそうした原典に基づいた行ない
ということになっています。

さすがにそこまで過激なことは必要ないまでも、方便であるはずの偶像に囚われて内なる執着を
深めてしまうのでは本末転倒と言わざるを得ません。

幸い、私たち日本人は、古くから自然を敬ってきましたので、手を合わせる対象は天地宇宙へと
広がっていました。
風や雲、山や海、草木や動物、身の回りのあらゆるものの中に深淵なる神性を感じてきました。
これはアボリジニやインディアンなど古くからの先住民族にも共通して見られるものです。

即物的な人たちには、そのようなことが物質や現象そのものを崇め奉る姿に見えてしまい、文化的
あるいは文明的な後進性を感じることもあるようです。
しかし私たち日本人は、当たり前に、そうではないことが分かっています。

天地の万物を表層的には捉えず、太陽コロナのように僅かにその背から滲み出す後光を感じ取り
ます。
そこから漂い出る精妙な風を、全身の毛穴を開いて感じ取るわけです。
そのような天地宇宙の真の姿を感じ取ればこそ、恐れおののき、畏れ敬うのです。

仏教伝来とともに仏像を拝む習慣が流入しても、そうした心の姿勢は変わらず、偶像そのものに
すがりつくこともありませんでした。

今でも私たちは仏像を前にした時、ごく自然に、その先の存在に対して手を合わせています。

仏像というのは一つの焦点、目印です。
そこに意識を向けることで、あちこちへと移ろう心が静まり、それとともに自ずと天地へと広がって
いくというわけです。

もし目の前の仏像そのものに意識がとどまってしまうと、心もそこで止まってしまいます。
美術品として鑑賞をしている時はこの状態です。
しかし、それを指月の指として、天に浮かぶ月へと心を向けると、感覚はガラリと変わります。
気づけば、心は外に広がる天地へとフルオープンとなり、無限に溶け合っていきます。

私たちは、目の前の仏像を取っ掛かりとして、知らず知らずその先へと心を向けています。
この場合は決して偶像崇拝にはなりません。
ありがたいという思いは、仏像の向こうの存在(感覚)に対する思いであり、またそれを介して
下さった仏像そのものにもありがたさを感じるわけです。

実際、そのような心が注がれる仏像は、日々祓われていることになります。
そうして仏像そのものも神々しさを放つようになるのです。

実はこれこそが、天地万物に対して私たちが振る舞うべき姿を現しています。

私たちは日々あらゆる現実、モノ、事象に囲まれています。
そうしたモノや事柄は、先ほどの仏像に置き換えることができます。

仏像はそれそのものをジーッと見ている限りは、ただのモノでしかありません。
彩色の剥げ落ちた古い木の塊になってしまいます。
しかし、その先に広がる世界(存在)に心を広げることによって、初めてそれが美しい輝きを
放つようになります。

私たちを取り巻く様々な現実も、それそのものに囚われている限りは、モノとして眺める行為と
変わりありません。
すると、どうしても金箔や極彩色に装飾された美品ばかりに目を奪われてしまいます。
あるいは、そうしたものに魅力を感じなかったとしても、すすけた塊や小汚いものが目の前に
出されたらば、良くてスルー、悪ければ悲しんだり不満を漏らしたりしてしまいます。

見た目の姿形に囚われず、その向こうに広がるものを感じ取ろうと全身の毛穴を開くことで、
初めてそこに天地の姿を垣間見ることが出来るようになります。

この世の物事は、全てが指月の月です。
モノや事象の向こうには満天の月が広がっています。
道元禅師はこれを「山川草木悉有仏性」と言いました。

言い方を変えれば、この世のあらゆるものは、天地宇宙の心が映る依り代であるということです。

何ごとかに相対した時、心を開いてその先を感じ取ろうとした瞬間、たちまちにして清らかな風が
そこを通り抜けていきます。

実際のところ、それ自体が輝いているから清らかな心を向けるというのではなく、私たちが
清らかな心を向けるからそれ自体が輝くようになるのです。

これは非常に深い真理です。

清らかなものから流れる風によって私たちも清められ、またその私たちから流れる清らかな心に
よってその向け先も清らかになっていきます。

逆に、穢れたものに囚われれば私たちも濁ってしまいますし、私たちが濁ることによって目の前の
事象や物事、人物も穢されていきます。

なぜならば、全てのものはそもそもが依り代であるからです。
実体そのものではなく、それを包むものがその本体を決定付けているのです。
現実の出来事や事象、他人様といったものが輝くのも濁るのも、私たちの向ける心次第という
ことです。

私たちは日々、何かの出来事や、誰かの言動に接しています。
そうした時、目の前のものを見て、怒ったり悲しんだりしています。
目の前にある仮初めのものに囚われ縛られてしまっています。

つまり私たち人類は、強烈な偶像崇拝者であるわけです。

埴輪や土偶を奉って、いちいち怖れたり怒ったり悲しんだり喜んだりしている...
その姿は滑稽でもあり、また残念でもありはしないでしょうか。

だからといって、偶像が無意味なものというわけではありません。
何故ならば、それらを通して私たちはその奥に広がる世界を感じることができるからです。
いくらそれに囚われやすいからといって、偶像そのものが不浄なものということにはなりません。
むしろそれらは、清らかなる窓口であるわけです。
この世の現実を忌み嫌ったり、軽んじたりすることは、歴史的遺産を破壊する行為と変わらなく
なります。

天地無限の広がりは、目の前の仮初めの物事の先にあります。
それに触れさせるための取っ掛かり、焦点、例えて言うなら仏像、それがこの世の現実すべてで
あるわけです。

この世というのは現実的なものにしか触れることができません。
そういうルールのもと成り立っています。
しかし、いたるものがその向こうの映し身であるわけです。
つまり、ありとあらゆるものが向こうへの窓口なのです。

部屋に閉じこもらず、窓という窓を開け放して風を通していくことが、爽やか健康生活に繋がります。

そして私たちから漂い溢れる風が、窓を開く鍵となります。

清らかな風が、清らかな風を呼びます。
此方から吹く風に、彼方から吹く風が呼応します。
風漂えばこそ、また風を感じることができるのです。

風は我が身を包み、彼が身を包みます。
神道では「包む身」が「つみ(罪)」の語源と考えられています。
そして、そうした罪・穢れを祓い、天地へ感謝することが、神道の全てであるわけです。

心を清らかに軽やかにすれば、身の回りのありとあらゆる現実が窓となって、彼方の向こうから吹く
爽やかな風が全身を撫でることでしょう。

偶像に心を止めず、その向こうへと心を広げましょう。

この世の現実というのは、まさに紙一重の世界なのです。





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この国を護る存在(2)

2015-10-03 11:18:17 | 国を常しえに立てます
鹿島神宮、香取神宮がそれほど由緒ある場所だというのに、これまで一度も行く機会がありませんでした。

西東京に住む人間にとっては、都心の向こう側というのは、実際以上に遠くに感じてしまいます。
都心部のゴチャゴチャが、目に見えない壁となって、なおさら距離を感じさせてしまうのかもしれません。

馴染みが薄い分、鹿島と言われても武道くらいしか浮かばず、「関東を護る要」「利根川水系を護る要所」
というイメージも、実は大阪に行ってから来たものでした。

数日前にも鹿島のことを調べていると、その御神徳の中には武運長久とあるだけでなく、「地震除け」とも
書いてあり、思わずギョッとしました。
それほどオープンな話であったとは思いもしませんでした。

さて、鹿島に向かって車を走らせていた時ですが、成田に入る手前でしょうか、鹿島神宮まで確かまだ
40km以上もあるところで、突然、首元から背筋にかけてズシンと重くなりました。
強いご神域に入る時は、数駅ほど手前からスッと空気が変わることがありますが、今回はあまりにも
手前だったので少し驚きました。
しかも、この重さはご神域の空気によるものなのか、ご神威によるものなのか、それも計りかねました。
背中から腕先へサーッと来るのではなく、背中にズシンとくる時は、ご縁のあるエネルギーとの同行二人
旅の場合もあります。
そうなるとさすがに湯あたりのクラクラも吹っ飛び、ピシャッと目が覚めたのでした。

鹿島神宮に着いて見ますと、そこはイメージとは違った空気が漂っていました。
正直、武の神様だけにピリッとした冷気に満ちた深淵な雰囲気だろうと思い込んでいたのですが、実際
はその逆でした。
やわらかな広葉樹の、慣れ親しんだ武蔵野の森が広がっていました。
植生としては明治神宮と似た景色ですが、そのご神気が半端ない。
喩えるなら、伊勢神宮の広葉樹バージョンのようでした。

欝蒼とした森であっても冷たさはなく、優しいぬくもりに溢れている。
それは石砂利ではなく土の地面が醸し出す、包み込む温かさでした。
関東にこれほどご神気に満ちた場所があったとは驚きです。

江戸幕府が開かれるまでは、東京という場所は、葦の生い繁る湿地帯でした。
ましてや神武天皇の御代ともなると、そこは遥か極東の未開の地だったはずです。
そんなところに何故、神様を祀ったのか不思議でなりませんでした。

しかし、この場所に来ればその理由がよく分かります。

日の沈む出雲に対極して、日の出づる東端に伊勢神宮が鎮座しました。
同じように、日の出る東の海岸、日の立つ場所「ひたち」(日立、常陸)に鹿島神宮が立てられました。
日立ちはエネルギーの入り込んでくる入り江となっています。
そのエネルギーを広く関東平野へと伝えつつ、その地鎮を受け持ち、利根川水系の氾濫を抑えること
になったのです。

この地に住んでいた人々は、理屈抜きに祀らずには入られなかったはずです。
そして、遠く離れた都にまでその神威が響いたということでしょう。

鹿島の本宮から奥宮を抜け、さらに森の奥へと歩いて行きますと、その先に「要石」がありました。
太古から、この要石が地中のナマズを刺し貫いて、暴れるのを止めていると言われているそうです。


(写真は「要石」ではなく、その手前にあったオブジェです。)

「要石」は森の奥にひっそりと祀られていました。
そこに立つと「ここ」という感覚がスパーンと来ました。
実はその前にお参りした奥宮の方が、いかにもという雰囲気を醸し出していたのですが、そちらはシーンと
平和でした。

石の奥には、依り代となる細い枝樹がありました。
手と口をすすぎ、感謝を置いて帰ろうと手を合わせた瞬間、ふと祓詞(はらいことば)が浮かびました。
その祓詞が終わると、次に『君が代』が来ました。
それは言葉やメロディーではなく、感覚で来ました。

この感覚というのは表現が難しいのですが、例えば、私たちのまわりの物事には名称が付いていますが、
まず先に感覚があって、その感覚を名称とセットにして記憶することで、それを物事として認識しています。
通常、名称を浮かべると同時に記憶された感覚が瞬時によみがえり、物事の全体像がパッと現れます。
つまり、名称とともに物事にまつわる情報と感覚とがほぼ同時にやってきます。
でも実際は、感覚が先にあって、それにまつわる情報はあとから溢れ出ているというのが事実です。
感覚が浮かんでいながら名称をド忘れしてしまうと、喉まで出かかっている宙ぶらりんな状態となって
悶々と気持ち悪くなることがあると思いますが、名称というものが無くとも感覚で物事を把握している
一例と言えるでしょう。

要石の前での『君が代』に関しても、この感覚というものだけがパーンと来ました。
名称はそのあとです。
このような感覚が来た時に、なぜ君が代?とか、何のため?とか、一瞬でも疑念(我心)が湧くと、全て
霧散してしまいます。
別に分からなくてもいい話です。
この世界は圧倒的に、分からないことや、知らないことで占められています。
分からないこと、知らないことだらけに包まれ、護られています。
それはそれとして丸ごと受け入れる。
爽やかな風が、体の中を吹き抜けるに任せるということです。

そうして心の中で歌い進むうちに、スーッと背中の天柱が真っ直ぐ通り、上下にサーッと流れていくよう
になりました。

その時は、頭は真っさら、身体には森の空気がサラサラと通っていたので、あれこれ思考が働くことは
ありませんでしたが、あとになって振り返りますと、国土を護る要柱に面して「君が代」というのは
ナルホドなと思うのでした。

『君が代』というのは、「寿ぎ」(ことほぎ)の歌です。

『君が代』の「きみ」の意は様々に解釈されますが、その一つとして「き(男)」「み(女)」というものが
あります。
それぞれ「イザナギ」「イザナミ」の語尾にもなっています。
そうなると『君が代』は、いくつもの意味を重ね合わせた歌であることが分かります。

身近なところでは、貴方と私のこの世界がとこしえ(永久)であることへの感謝であり、大きなところでは
陰と陽の和合によって織り成されている天地宇宙への讃美歌であります。
他にも幾通りもの意味が現われてきます。
時間に縛りの無い永遠性と、空間に縛りの無い無限性をそこに感じます。

そして「寿ぎ」(ことほぎ)とは、長寿という文字にもあるように、生き永らえさせて頂いていることへの
感謝の言葉です。
そしてそれはまた「言祝ぎ」(ことほぎ)とも書かれます。
つまり、祝詞(いわいことば、のりと)であるわけです。

そもそも祝詞とは、天地への感謝の言葉です。
真っさらな心で見てみると『君が代』というのが、天地への感謝の祝詞であることが分かります。

そして何より、日頃そのような意識など持たずに、ごく自然に歌っているというのが改めて凄いことだと
再認識します。

感謝なのだ~と色心を加えて歌ってしまうと純粋性が失われてしまいます。
何も考えないのが一番です。
そして、なんだか分からないけど、歌っていると何故かスーッと心が落ち着いてくる。
誰もが経験してきたことではないかと思います。

感謝の言葉というのは、祓い言葉でもあります。

様々な濁りが光の結晶となって輝き散って、晴れ上がって行きます。
そんなものを、サラッと国歌にしてしまっているのですから、日本というのは本当に凄い国です。
意図せずにそのようになっているということからして、いかにこの国が護られているかということである
わけです。

さて、そんなことは露ほども考えず、その時はただ出てくるに任せていましたが、歌い終わると先ほど
まで背中にあった重みがスッカリなくなっていました。
そして肩から指先にかけてザワワッと鳥肌が走り抜けていました。
出来すぎと思われるかもしれませんが、そういうものです。

そうして肩の荷も下り、身も心も軽くなって宝物殿へ向かいました。
御神宝の直刀を見るつもりで入ったのですが、そこに江戸時代の絵巻がありました。
ナマズが暴れる、安政の大地震の絵でした。

安政の大地震は旧暦の10月2日、つまり神無月に起こったそうです。
そのため、鹿島の建御雷神が出雲に出掛けて留守にしている間に、ナマズが暴れ出したのだと書かれて
いました。

10月というのに一瞬ギクリとしましたが、よくよく調べてみますと、安政地震の起きた1855年前後という
のは、その前年にはあの南海トラフ大地震が起きており、それ以外にも大規模地震が続いていたのだそう
です。

わずか160年前に、この日本がそのような群発地震に見舞われていたとは全く知りませんでした。
時期を見ると、幕末の波瀾が起こる寸前の年です。
天地の雷同と、国の動乱が等しく重なるのが不思議なところです。

さて、それからは鹿島神宮をあとにして、わずか20Kmほどの香取神宮に向かいました。

鹿島と香取は、利根川を挟んで裏と表に位置しています。
鹿島は昔「香嶋」とも書かれたそうです。
一方の香取を「香鳥」と書くと、その相似性が際立ってくるかと思います。

香取神宮の御祭神は経津主神(ふつぬしのかみ)ですが、その響きは鹿島神宮の御神宝である「布都御霊
剣(ふつみたまのつるぎ)」にも通じます。
また、鹿島神宮の御祭神である建御雷神(たけみかづちのかみ)の別名は、建布都神(たけふつのかみ)、
豊布都神(とよふつのかみ)です。

こうしたことから、この2柱の神様を同一神と見ることもできますが、私は陰陽・裏表のエネルギーをそれぞれ
別個に祀ったのだと思います。

鹿島の森には、温かさがありました。
香取の森には、静けさがありました。

それぞれの濃淡が交流を生み出します。
そこにエネルギーの循環があるわけです。

香取神宮にも地下のナマズを突き刺す要石がありました。
鹿島の要石が凹んでいたのに対して、香取の要石は出っ張っていました。
ここにも陰陽が現れています。

鹿島・香取は、そのいずれか一社だけでも物凄いエネルギーなのに、それが陰陽それぞれの合わせ鏡に
なっています。
大地に突き立つ柱がプラスとマイナスの要となって、さらに広く大きく天地を祓っています。

地震除けという御神徳があったことも、ついこの間まで全く知りませんでしたし、鹿島神宮・香取神宮
そのものも、自分の意識の中には無いままに過ごしてきました。
でも、何も知らずに居ても、生まれてこの方そのおかげさまのご加護に包まれていたわけです。

私たちが気づこうが気づくまいが、何ひとつ変わることなく、天地の心は私たちを等しく包み込んでいる
のです。


鹿島神宮や香取神宮だけではありません。
この国はそのようなことが、幾重にも重なって護られているのです。

危ない時になって慌てて感謝するというのは現金な話かもしれません。
それでも、たとえ今さらながらでも、その心を素直にあらわすのは清らかな風となります。

私たち一人一人は、天地に立つ柱です。

「ありがたいなぁ」とジンワリ湧き上がるその思いが、言祝ぎ(ことほぎ)となり、祓詞となるでしょう。

一人一人のそうした思いが薄れてしまうと、天地の要は失われてしまうかもしれません。
人心が乱れると天変地異が起きると言いますが、心が乱れている時、人の心は自分のことへと我利我利
なってしまっています。
それは騒乱の時代であろうと、飽食の時代であろうと同じことです。

私たちの心は、天地に満ちるエネルギーと同じものです。
この国を護る存在が、人知れず、遥か太古から数多おわすという事実。
そのありがたさを噛み締める私たちもまた、この国を護る存在の一人となります。

家の中でもいいですし、近くの神社に行くのもいいと思います。
ありがたいなぁという心が湧いたらば、ソッと手を合わせて、天地に感謝を向けてみましょう。

そうすることで、本当に流れていくことでしょう。


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