神社から大祓いの案内が届くと、いつもエッ?という気持ちになります。
毎度のことながら、あぁ半分終わっちゃったんだ、と少なからずショックを受けるのでした。
同じ大祓いでも年末の場合はカウントダウンがあるので、ある程度覚悟みたいなものが出来ているのですが、6月末というのは前置きもなく突然
つきつけられる感じがします。
一年の半分が過ぎた。
そうなると何となく無駄に過ごしてしまったんではないかと少し不安に駆られたりします。
でも、この半年を思い返すとそれはそれで色々やっているので、やはり半分は経ったんだなと納得したりするわけです。
年の瀬の最後に一年を振り返るよりも、半分来たところで半年を振り返るというのは、実は大変にお得な話と言えます。
年末になると「あぁ今年もあっという間に終わってしまったなぁ、来年こそはこうしよう」などと思うものですが、折り返しの半年の時点で
その気持ちを持てれば、早くも7月1日から新たなスタートを切れるからです。
まさに一年で二度おいしい。
リセット&再スタートであります。
一年の前半を振り返ってみて、もしも嫌なことがあったならばそれはフッと吹き払って、真っさらになって新たな半年をスタートする。
いま現在、嫌な状態が続いている場合も、大晦日の気持ちと同じで行けばいい。
「今年もおしまい、よーし、心機一転がんばろう」というアレです。
よし、半分終わった。
明日から新たな半分だ。
リセット&ゴー!
逆に、良い状態が続いているならば、その有りがたみを噛み締めて、また良い半年になりますようにと感謝を思う機会となります。
人生の途中途中に厄年というものを設けている理由もそこにあります。
体を壊しやすい年齢、公私で心労が増える年齢、そうした節目節目を厄年として、憂いを祓い、健康に感謝するということです。
ただダラダラと生きていくのではなく、一里塚を置いて、要所要所で我が身を振り返る。
不満をダラダラ引きずらない。
幸福を当たり前のものとしない。
一里ごとに立ち止まって景色をしっかり眺める。
過去に感謝し、思いを引きずらない。
心にこびりついたものは今ここに置いていく。
そうして素っ裸になって、どこにでも身軽に行けるようになる。
今日からの新たな一歩は、あらゆる方向に自由自在。何も邪魔するものはない。
それが大祓いの目的でもあるわけです。
身体の穢れを祓うとともに心にこびりついた思いも祓い落とす。
今ここで綺麗さっぱり洗い流すということです。
大祓いでは人形(ひとがた)で体を撫でて、穢れを写し身して禊祓い(みそぎはらい)ます。
人形で頭のてっぺんから撫でていくと、そこに次々と「存在」が現れます。
空気のようだったものが突然、実体として現れます。
髪の毛、脳、眉毛、目、耳、鼻、口、歯、舌、喉、首の後ろ、、、
ここまで来て、ようやく頭の祓いが終わるような感じです。
こうして下に行くにつれて、内臓の一つ一つ、関節の一つ一つ、指の一本一本、指先の爪の一つ一つと、次から次へと存在が現れてきます。
なかなかササッーとは先へ進めません。
これだけ多くのパーツが日頃無言でスムーズに働いているという、そのことに気がつけるのは病気になった時か、大祓いの時だけです。
どこか具合の悪い場所があればそこを熱心に祓いたくなるものですが、むしろ空気のような存在と化している部位に心を向けることこそ、大祓い
の真骨頂と言えるでしょう。
そのようにしてますと、まるで枯れた川跡にスーッと水が流れて行くように、意識を向けたところへ清らかな風が通っていきます。
まるで白黒の画像が、サーッとカラーになっていくような感じです。
それは命がイキイキと輝いていく瞬間だと言えるでしょう。
ということはつまり、それまでカラーのつもりだった自分は、実は白黒だったわけです。
そのまま過ごしていたらどのようなことになっていたかと思うとヒヤッとします。
一旦リセットすることで、たとえ状況が変わらずとも、気持ちが全く違ってきます。
人形を使って本格的にやらなくとも、まず頭のてっぺんからシャワーを浴びて、目、鼻と、少しずつ下へ移動させ、指の一本一本、爪の一つ一つ、
関節の一つ一つ、内臓の一つ一つへ心を向けて、感謝とともに温水で洗い流していく。
それによって同じ効果を得られると思います。
最後に三回、ゆっくり息を吐き切れば、心の穢れも祓われていくことでしょう。
まことに、生かして頂いてることに感謝を思う瞬間であります。
こうしてまた、キラキラと輝くカラフルな世界のスタートです。
今年はまだまだ、あと半年もあります。
なんでもかんでも、やりたい放題ですよ。
それでは皆さん、準備はいいですか?
位置について〜
よーい、、、
(つづく)
毎度のことながら、あぁ半分終わっちゃったんだ、と少なからずショックを受けるのでした。
同じ大祓いでも年末の場合はカウントダウンがあるので、ある程度覚悟みたいなものが出来ているのですが、6月末というのは前置きもなく突然
つきつけられる感じがします。
一年の半分が過ぎた。
そうなると何となく無駄に過ごしてしまったんではないかと少し不安に駆られたりします。
でも、この半年を思い返すとそれはそれで色々やっているので、やはり半分は経ったんだなと納得したりするわけです。
年の瀬の最後に一年を振り返るよりも、半分来たところで半年を振り返るというのは、実は大変にお得な話と言えます。
年末になると「あぁ今年もあっという間に終わってしまったなぁ、来年こそはこうしよう」などと思うものですが、折り返しの半年の時点で
その気持ちを持てれば、早くも7月1日から新たなスタートを切れるからです。
まさに一年で二度おいしい。
リセット&再スタートであります。
一年の前半を振り返ってみて、もしも嫌なことがあったならばそれはフッと吹き払って、真っさらになって新たな半年をスタートする。
いま現在、嫌な状態が続いている場合も、大晦日の気持ちと同じで行けばいい。
「今年もおしまい、よーし、心機一転がんばろう」というアレです。
よし、半分終わった。
明日から新たな半分だ。
リセット&ゴー!
逆に、良い状態が続いているならば、その有りがたみを噛み締めて、また良い半年になりますようにと感謝を思う機会となります。
人生の途中途中に厄年というものを設けている理由もそこにあります。
体を壊しやすい年齢、公私で心労が増える年齢、そうした節目節目を厄年として、憂いを祓い、健康に感謝するということです。
ただダラダラと生きていくのではなく、一里塚を置いて、要所要所で我が身を振り返る。
不満をダラダラ引きずらない。
幸福を当たり前のものとしない。
一里ごとに立ち止まって景色をしっかり眺める。
過去に感謝し、思いを引きずらない。
心にこびりついたものは今ここに置いていく。
そうして素っ裸になって、どこにでも身軽に行けるようになる。
今日からの新たな一歩は、あらゆる方向に自由自在。何も邪魔するものはない。
それが大祓いの目的でもあるわけです。
身体の穢れを祓うとともに心にこびりついた思いも祓い落とす。
今ここで綺麗さっぱり洗い流すということです。
大祓いでは人形(ひとがた)で体を撫でて、穢れを写し身して禊祓い(みそぎはらい)ます。
人形で頭のてっぺんから撫でていくと、そこに次々と「存在」が現れます。
空気のようだったものが突然、実体として現れます。
髪の毛、脳、眉毛、目、耳、鼻、口、歯、舌、喉、首の後ろ、、、
ここまで来て、ようやく頭の祓いが終わるような感じです。
こうして下に行くにつれて、内臓の一つ一つ、関節の一つ一つ、指の一本一本、指先の爪の一つ一つと、次から次へと存在が現れてきます。
なかなかササッーとは先へ進めません。
これだけ多くのパーツが日頃無言でスムーズに働いているという、そのことに気がつけるのは病気になった時か、大祓いの時だけです。
どこか具合の悪い場所があればそこを熱心に祓いたくなるものですが、むしろ空気のような存在と化している部位に心を向けることこそ、大祓い
の真骨頂と言えるでしょう。
そのようにしてますと、まるで枯れた川跡にスーッと水が流れて行くように、意識を向けたところへ清らかな風が通っていきます。
まるで白黒の画像が、サーッとカラーになっていくような感じです。
それは命がイキイキと輝いていく瞬間だと言えるでしょう。
ということはつまり、それまでカラーのつもりだった自分は、実は白黒だったわけです。
そのまま過ごしていたらどのようなことになっていたかと思うとヒヤッとします。
一旦リセットすることで、たとえ状況が変わらずとも、気持ちが全く違ってきます。
人形を使って本格的にやらなくとも、まず頭のてっぺんからシャワーを浴びて、目、鼻と、少しずつ下へ移動させ、指の一本一本、爪の一つ一つ、
関節の一つ一つ、内臓の一つ一つへ心を向けて、感謝とともに温水で洗い流していく。
それによって同じ効果を得られると思います。
最後に三回、ゆっくり息を吐き切れば、心の穢れも祓われていくことでしょう。
まことに、生かして頂いてることに感謝を思う瞬間であります。
こうしてまた、キラキラと輝くカラフルな世界のスタートです。
今年はまだまだ、あと半年もあります。
なんでもかんでも、やりたい放題ですよ。
それでは皆さん、準備はいいですか?
位置について〜
よーい、、、
(つづく)