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これでいいのダ

心をラクに生きましょう。どんな日々もオールOKです!

「日蔭のかがやき」

2016-09-18 17:54:08 | 天地の仕組み
戸隠・諏訪の旅では、日なたというのは、幾千万の日蔭の結晶だということを知りました。


〜 目に見えるものは、目に映らないものによって支えられている。
日蔭のかがやきが詰まり詰まって、ついに飽和しきったときに現実という結晶が現れる 〜



では、その現実、いま私たちの目に映る景色とはどんなものでしょうか。
いくつか幸せはあるけど、それより多くの不幸や苦しみを山ほど感じてしまったら、どうすればいいのでしょう。

幸せがあるならそこに心を向けて感謝すればいいと簡単に言いますが、不幸な出来事や苦しい状況自体が無くなることはありません。
たとえ幻想であったとしても、それは今そこに確実に在るからです。
そして私たちは、気にしないようにしようと思うほど、余計に気にしてしまいます。

見ないようにするのは解決にはならないわけです。

不幸にしても不満にしても確かに私たちが作り出したものですから、そんなものはレッテルでしかないというのは事実でしょう。
でも一度作られた概念というのは理屈なんかで簡単に消えるものではありません。

ならば諦めてしまえばいい、受け入れてしまえばいいとなりますが、嫌なものはやっぱり嫌なのです。
頭で考えて割り切れるようなものではないわけです。

それでも力づくでやろうとしてしまうと、最悪なスパイラルに落ち込んでしまいます。
上っ面の我慢というのは沸々と空焚きの不完全燃焼を起こして、黒煙が身体のあちこちへモクモクと漏れ出すことになって
しまいます。

私たちが表層意識のところで何かをしようとしても、その遥か深部で、パブロフの条件反射が働いて、悶々としたエネルギーが
不満・不幸へと注がれてしまいます。
元栓が出っぱなしなのですから、ひとたび出てしまったものを抑えつけてたところで苦しみにしかならないのは当然の話です。

出ているものは、今さら引っ込めようがない。
しかも「いま」というのは、「いま」この瞬間に出ているものを見ることができません。
すでに出てしまっているものを自覚するだけなので、常に後追いの連続になってしまいますので、止めようがない。
出るのは出るにまかせるしかない。

つまり、嫌なものは嫌でイイのです。

それを「嫌に思ってはいけない」と考えるからややこしくなるわけです。

要は、その行き先、方向を変えてしまえばいい。

日蔭が積もり積もって、日なたとなって表れると言いました。
そのように結実した「現実」というのが日なたでありました。
しかし、その現実が光り輝かず灰色であるために
私たちはガックリしたり、悲しみ苦しみを感じてしまっています。

でも、現実が明るく輝いてなくてはいけないなんて、誰が決めたのでしょう。

実際、いま灰色に感じているものを、本当は光り輝くものなんだと頭で考えても、現実の画像変換を起こすのは、まず無理に近い
ことです。
そりゃ結果的にそのようになることはあるでしょうが、それは根っこの部分が激変した時に起きることで、表層からのアプローチで
それを夢見るのはイチローに憧れて今からメジャーを目指すようなものです。
つまり、本気で信じきれば実現するにしても、では今から本気でメジャーに行けると信じきれる人がどれだけ居るかということです。

続ければ叶う、信じれば叶う、と唱え続けているうちはどこかに疑いがあります。
それもかなり深いところにです。
それは苦しみでしかないでしょう。

「明るいはずのものが暗い」と思うから、不幸を感じたり、不満が生じます。

最初から、灰色は灰色なのです。

この世の現実とは、目には見えない日蔭が無限に集まって結実したもの、いわば日なたでありますが、その日なたの中にもさらに
日なたと日蔭があるわけです。


ありとあらゆる不幸や苦しみ。
そうしたものを、悪いものだとか、無くしたいと思うからシンドくなる。

でも、それもまた無限の日蔭の一つでしかないとすればどうでしょう。
そう、目の前の灰色の現実は、日蔭そのものであるのです。

日なたというのは、日蔭が詰まり詰まってこれ以上ないというくらいになって初めて結実するものでした。
まさしく詰まり詰まっていく過程が今この時であるわけです。
不幸や苦しみ、それが詰まり詰まって、幸福や喜びが結晶化する。

不幸や苦しみとは、幸福や喜びの素材だったわけです。
変換したり反作用が働いたりして全く違うものになるのではなく、それそのままで集まり集まると幸福や喜びと成る。

いま不幸や苦しみだらけで、それが一向に減らない。
それどころかますます増えていく…
それでイイということです。

いまシンドいのは、それが詰まり詰まっていく過程なわけです。

「今までもずっとそうだった、明日も明後日もずっと灰色だ」と思ってしまってイイのです。
だってガンガン詰まり詰まんないと日なたにならないんですから。

不幸も苦しみも、日なたが現れるための、素材、ひとかけら。
そう考えると、もう諦めの極致です。
期待など無い。
それが、受け入れるということです。

ずーっと日なたを歩きたいと思うのは、無い物ねだりというものです。
それが当たり前だなんていうのは大いなる勘違い。
それはこの天地自然の半分、いや、億万分の1を歩くことにしかなりません。

日なたばかりを見ようとするのは、実は、足元を見ないことに他なりません。
「今」というのが日蔭であるならば、その日蔭を見ることが「今」に生きることです。

決して精神論や綺麗事なんかでなく、不幸も不満も、幸福のための材料。
反動によってとか、考え方次第とかではなく、それがそのまま幸福を形成する素材。
わざわざ変換させる必要などなく、見たまんま、灰色のままで、そうであるわけです。

それは新星が生まれるためのガスやチリと同じものかもしれません。
この宇宙では、モヤモヤとしたガスとチリが高圧の状態で詰まり詰まったところに新星というひときわ明るい輝きが生まれます。

不幸や苦しみのモヤモヤが詰まり詰まって幸福と成る。
まさしく陰極まって陽となる。

そのことを理解して初めて、不幸や苦しみを諦められる。
もう、しゃーないと思える。
つまり、そのままの姿を受け入れるようになるということです。


目の前のモヤモヤや悶々というのが日蔭であるならば、それは取りも直さず、おかげさまということになります。
といって、それを今すぐ感謝するというのは無茶な話です。
もしそれが出来てしまったら、それは自己暗示の洗脳か、優等生的なカッコつけでしかありません。
ですから、そんな感謝を追う必要はありません。

ただ、この目の前のモヤモヤが、新しい星の輝きを生み出すための材料なのだと考えてみるだけならできるはずです。
そのように思うことが、モヤモヤをそのまま受け入れることになります。
それだけで十二分ということです。
嘘偽りのない、今できる全てがそれであるわけです。

不幸だと思っていい、苦しいと思っていい、悲しいと思っていい。
今の自分に100パーセント素直になることが、何よりも大切なことです。

今の自分を否定するから余計苦しくなる、非難するから居たたまれなくなる。
それが目の前の現実を嫌うことになって、ますますシンドくなる。

目の前の不幸や苦しみはすべて、日なたの生まれる材料そのものです。
そして、今の自分もまた、積もり積もって日なたが生まれるための材料なのです。

決して後退などしていないし、何も失ってなどいません。

むしろ詰まり詰まっていく過程であって、今これが無ければ、日なたの輝きは生まれはしない、今この日蔭の自分が居なければ
明日の自分は生まれてこないのです。

今この現実は、今のままでいい。
今この私たちは、今のままでいい。


日陰は日陰のままで、かがやきそのものなのです。





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「おかげさま」(日蔭のかがやき 3)

2016-09-11 22:44:35 | 日本を旅する
戸隠の観光地として有名なのは巨大な杉並木です。

日蔭のおかげさまというものを、目に見える姿で現しているところは、戸隠の真骨頂と言える場所かもしれません。

日を隠して影を成す。
ジメジメして暗いのかといえばそうではなく、明るさというものをむしろ日なたに居る時よりも強く感じる場所でした。

「戸」というのを天岩戸の意味で捉えると、神話では洞窟にこもった天照大御神の光を隠すものとされます。
この場合「戸隠」とは「日隠し」、すなわち「日蔭」と同じものとなります。

あらためて戸隠の杉並木を観てみますと、日蔭とはかがやきそのものであることを感じられるのではないかと思います。


「物陰」(ものかげ)と聞きますと私たちは暗く狭いところをイメージしてしまいますが、実際にそちら側に身や心を置くと、
そこにはとても大きな世界が広がっているのを感じられるわけです。

杉並木に広がる世界というのはこの世の一端を現しています。
つまり、現実のあらゆる物事も、その陰には広大無辺な広がりがあることを示唆しています。

戸隠の杉並木の中に居ると、まるでミクロの決死圏です。
それはまた、日なたの世界の縮尺と、日蔭の縮尺が全く違うことを暗示するものでもあります。
見た目の世界と、目に見えない世界とは、そもそものスケールが根本的に違うということです。

見える世界を氷山の一角と表現したりしますが、そんな程度の比率ではなく、私たちの想像を遥かに超えた気の遠くなるほどの
広がりが水面下には存在しているわけです。

ふと立ち止まり、身のまわりを一つ二つ見渡しただけでもそれは明らかです。

たとえば、私たちの肉体がこの世に存在するのも、その水面下には何十億人、何千億人ものご先祖様がいらっしゃいます。
その途轍もないピラミッドの頂上のわずか1点だけが今こうして目に見えているということです。

あるいは、目の前に存在する様々な物であっても、その背後、見えない蔭には幾千万もの材料や工程がネズミ算式に広がって
います。

はたまた、目の前で起きた些細な出来事にしても、網の目に広がる無数のご縁の、たった一つの結晶であるのです。

もちろん、そうしたことをいちいち振り返っていては目の前がおろそかになってしまいますので、日頃そこまでする必要はない
でしょう。
ただ、目に見えないおかげさまが山ほどある、万事そういうものであるのだと承知しておくことが極めて大事ということになります。

目には見えない、日蔭の世界の存在によって、日なたの世界が確実なものとなっています。
一つ一つの現実とは、無限に詰まり詰まった非現実がついに飽和しきった末の、結晶のカケラであるわけです。

見えないようにさせといたというのも一つの神意です。

ジロジロとガン見して歩くのではなく、そのような御心があると知っておくだけでいい。
私たちの足もとに広く深く、たとえ見えなくともそこに無限のおかげさまが広がっていると承知しておく。
それだけで、黙っていても私たちの心はその先々にまで広がり開いていくわけです。


この日本において、戸隠は「日蔭のおかげさま」であったわけですが、それはその先に訪れた土地にも広がっていました。

今回の旅は、半分は真面目な目的でしたが、残り半分は気晴らしのバカンスのつもりでいました。
初日のお参りが終われば、2日目は森の中、水辺の高原で1日ゆったりとブルジョワチックに涼もうと考えていました。

翌朝、そうした場所を探す前に、まずは気になっていた池だけ行っておこうと軽い気持ちで出かけたのでしたが、そのフラッと
立ち寄った場所にいきなり願望以上のものがポーンと現れてしまいました。

喩えるなら、まだ寝ぼけたまま顔を洗いに行ったら、そこに豪華メインディッシュが用意されてたような唐突感でした。
心の準備もないまま、バーンと出されてしまったものですから心がまったく追いつかなかったのですが、やはり肉体というのは
凄いものです。
皮膚から入ってくる感覚は頭や心を即座にねじ伏せ、急速充電のごとく満たされていったのでした。

身体の感覚にすべてを任せてしまいますと、頭も心も天地へと溶け出していきます。
そうして時間も忘れて景色と一体となっていると、その景色とともに自他の区別など消えてなくなっていきます。

そのままブルジョワチックに1日お茶しているのも良かったのですが、そうやって全身で満喫しきってしまうと、来る前の空腹感も
すっかり満たされまして、さて何か他のことをやろうかという気持ちになるのでした。

今一度、旅の前に気になっていたところを思い返すと、諏訪大社が浮かんできました。
ただ土日2日で戸隠に行って諏訪も行くとなるとこれは結構な強行軍になります。
弾丸ツアーのように時間に追われて駆け回るのでは意味ありませんので、諏訪はカットして旅に臨んだのでしたが、時刻表を見ると
それが行けなくも無い状況になっていました。

実は諏訪大社そのものはこれまで行ったことがありませんでした。
諏訪周辺には過去に何度か訪れたことがありましたが、正直なところ空気感としてはピンと来るものが無い場所でした。

正直ついでに言ってしまうと、今回も地鎮の意味合いとして行かないといけないかなという、まさしく人間考え100%でしたので、
今にして思えばこれほど失礼な話も無いものです。

さて、在来線の鈍行の長旅を終えて駅を降りましたが、車を走らせていてもやはり空気感は変わることもなく、すんなり大社に
到着しました。
昔のイメージのままでしたので、ある意味、構えることもなく自然体のまま敷地内へと入って行けたと言えます。

すると、そこにはまさに1週間前に神事が終わったばかりの御柱が天高く祀られていました。

不思議なことにこの御柱自体から発するものは特に何も感じられなかったのですが、しかしそこから進んだ先の境内の空気感が
半端ないものでした。
なんと表現すればいいのか、本当に言葉すら浮かばない。

頭も心も真っ白。
言葉にならない言葉。
茫然自失。立ち尽くすのみ。

超然というか「凄い」という思い、感覚、全身それ一色です。
そして、それとともに心の奥底からねじ上がる「ありがたい」という思い。

でも、何がありがたいのか理屈としては分からない。
とにかく、細胞の奥深くから全身がそのように感じてしまっている。

まさか、こんな場所が諏訪にあるとは思いもしませんでした。

大地的といえば大地的ですし、宇宙的といえば宇宙的。
大地なんだけども宇宙。
それがごく自然に一体となっているのですから、言葉では表現できない。
とにかく湧き上がる思い、ありがたさに震え、涙をこらえるのが大変なのでした。

覚えているのは、深い深い納得感です。
「あぁ…こうして護られてきたのだなぁ」という。

陰(かげ)というものには、いくつもの意味があります。
この世のすべてに共通する、天地の理としての陰。
そして、この国を平安たらしめている陰というのもそうです。

戸隠は前者に当てはまるかと思いますが、諏訪大社というのは後者なのかもしれません。

九州阿蘇から続く中央構造線は、四国、紀伊を通って、ここ諏訪から鹿島へと抜けていきます。
そのエネルギーは、諏訪を転換点として裏表バランスが取られているのではないかと感じました。
阿蘇も鹿島も日なたの表であるのに対して、やじろべえの支点となっているのが諏訪。
エネルギーバランスの裏にあたるわけです。

この地がそのようにあるからこそ、そうあり続けるためにも幾千年もの間ご先祖様たちは御柱という天地垂直方向へのアースを
立て続けてこられたのではないか。

私たち人間こそは天と地とを繋ぐ柱ですが、その私たちが大勢集まり、御柱を引いて大地を練り歩くことで、祓いとともにそこに
凄まじいエネルギーが練り込まれていき、天と地とを繋ぐ依り代となっていきます。
命を落とす人があとを絶たなくとも、氏子の方々は全身全霊でそれを続けてこられました。

出雲を追われてこの地に引きこもったなどトンデモない嘘っぱちでしょう。
実際は、この地、この国を蔭から護るために命懸けの祭祀を行なってきたということではないでしょうか。

しかし、蔭はあくまで蔭でなくてはその務めを果たせない。
蔭が表に出てしまっては、日なたを支えるという天地の理が根底から崩れてしまう。
だからこそ、あえて日蔭となるような言い伝えを甘んじて受け入れて来たのではないかと思います。

実際、日なたのために頑張ると思った瞬間、そこにはたちまち我心が現れてしまいます。
理屈など関係なく、ただ無心でそれをやるところに神宿るということです。

そうした無我の結晶、天地合一の御柱に囲まれている。
諏訪大社には境内の四方に御柱が立てられていました。
そんなところでは言葉を失ってしまうのも当然のことだと言えるでしょう。

そして諏訪大社というのはこの上社(本宮)の他に三社がありまして、合計四社で成り立っています。
それらの社もそれぞれ御柱4本に囲まれています。
そうして、その四社が諏訪湖を取り囲むように建てられています。
結果は推して知るべしです。

これほどの土地であるのに、そのエリアに普通に立ち寄っただけでは全くそれとは感じさせない空気であることが逆に驚きです。
正直、どの駅で降りても、盆地特有の空気感しかありませんでした。

中央線沿線に住む身としては、他の土地よりも比較的身近な場所で、子供の頃から行くような場所でした。
言葉は悪いですが、あまり風通しが良くない、空気がピタリと止まったような肌感だったわけです。
しかし、それこそは日蔭に対する私個人の感覚、思いの現れだったということです。
何故ならば、そうした日蔭にこそ、これほどの凄まじいものが存在していたからです。

見えない世界にしても、これまで私は「日なた」しか見えていなかったのかもしれません。

伊勢にせよ阿蘇にせよ、熊野にせよ、あるいは出雲にせよ、それらはどれも「日なた」であったわけです。

しかし、日なたというものはそれ単独のものではありません。
必ず、その背後、その足元に途轍もなく広大な日蔭が広がっている、支えているのです。

そうしたことを知り、そうしたものへ心を広げる。
言葉を超越した有り難さ。感謝。
諏訪大社で全身それ一色に包まれた感覚というのは、そういうことだったのではないかと思います。

実際、私たちの身体を振り返ってみましても、頭上や足下の遥かなる遠く、高く深く、見えない先の先まで心を大きく広げることで、
全体は自然に大きく安定していきます。
それは全てのことに通じる根本原理であるわけです。

天地というのはもとより一つのものです。
しかし私たちは、天は天、地は地、と分けて考えてしまいます。

すなわち、日なたと日蔭もそうであるということです。
日なたと日蔭は同じ一つのものであり、裏表ですらない。異質のものではないわけです。

天地の柱たる私たちが、そうした心を持ち、分け隔てなく同じ心を向けることが、天地自然のこの世界の全ての在り方に合致する
ことになります。

量子論的にも明かされているように、私たちの思いというのは、そのままこの世界の現れ方に反映されていきます。

私たちが、心を分けることなく、片寄らせることなく、天地自然の本来の姿の通りに心を向けることで、この世界の精妙なバランス
が現われ、裏表なく等しく輝き溢れかえるのではないでしょうか。

真のバランスというのは互いの力が拮抗して現れるものではありません。
彼我の分け隔てなく、合一することで現れるものです。

それは日なたと日蔭とのことであり、また私たちと天地自然とのことでもあります。

壁がなくなれば、自然に優しい風が吹き抜けていきます。
それは天地が為すものではなく、私たちが為すものなのです。


(おわり)





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旅はおまかせにかぎります (日蔭のかがやき 2)

2016-09-02 20:33:41 | 日本を旅する
知らない場所というのは実際にそこへ行ってみないと本当に分からないものです。

信州戸隠というのは奥山のイメージが強いので、遥か遠くにあって、近寄りがたい雰囲気に満ちているものだと思い込んで
いました。
なので観光客にしても年配者やハイカーばかりと思っていましたら、学生さんや女性グループがやたら多くてビックリして
しまいました。

若者や女性というのは肌感に鋭いというか、感性が澄んでいますので、理屈でなく感じるままに素直に受け入れていきます。

10年ひと昔と言いますか、もちろん戸隠にも以前から人は来ていたのでしょうが、やはりこの10年20年で世の中が
ガラリと変わったというか、神仏や目に見えない世界というものが人知れず日常にグッと近づいているんだなぁと改めて
感じました。


振り返ってみますと、バブルの崩壊という強制的な目覚ましによって長らく我々を覆ってきた殻が叩き割られ、イケイケで
強いんだと思い込んでいた自分たちが一皮むけば実は何の強さも無かったと知りまして、剥き出しとなった心はその反動から
物質依存をやめて精神依存へと大きく舵を切ったのでした。

そうしたところで書籍やテレビで心や魂のことが発信されるようになり、鎧を失い剥き身に怯える私たちの心は解きほぐされ
ていったわけですが、今度はそれが行き過ぎて、地に足つかぬほどに現実から離れてフワフワしてしまい、それにリンクする
ように政治の方でも上っ面のおためごかし公約にすっかり酔わされてしまったまさにその時、東日本大震災というこの世のもの
とは思えぬ出来事が、まさしくこの世の現実に起きました。

生死の現実というものが、脳を飛び越えて肌に直に突き刺さるに及び、私たちの深層意識にかかったモヤモヤは吹き払われ、
先の物質社会・個人主義という幻想とともに、その逆の精神世界・虚無という夢うつつの幻想からも目覚めさせられ、「今ここ」
の私たちへと至っているのでありました。


何より大きいのは、これほどの揺り返しにも関わらず、誰もその急激な変化を感じることなく、気づかぬまま二つの世界
(もともと二つに分かれてなど居ないわけですが)を、今こうして本来あるべき姿へとオーバーラップさせているという
事実です。

何事もそうですが、意識的に「こうあるべきだ」「こうでなくてはいけない」と自我の思い強く作ろうとしてしまうと、まさに
建屋の上屋だけに手間をかけることになり、肝心の土台はモロくなってしまうものです。

それが、今この時というのは、あちらもこちらも自然に溶け合うようになっている。
精神世界の人たちが、かくあるべきと叫んで引っ張るようなものではなく、むしろ現実世界の方からそのように生っていった。
頭ではなく肌で感じるリアルな感覚によって、誰もがそれを素直に受け入れていったわけです。

決して、私たちの観念という壁が薄まってあちらとの断絶が埋まっていったということではなく、先に世界が溶け合った結果
として、いつの間にか私たちの観念の方が変わっていったということです。
それと自覚することもなく。

日本というのは、まさしく天に護られた国と言えるのではないでしょうか。


さて、話を戻したいと思います。

戸隠までの道のりですが、想像したよりずっと近いのにビックリしました。
長野までは新幹線を使えば一息で、そこからは車で一時間もかからない近さでした。

過去に記憶していた空気感は人里離れて幾山も越えたようなものだったので、まさかこれほど人里に近いとは思わず、色々な
意味で驚くばかりでした。

ただ、その肌記憶は間違ってはいませんで、善光寺の裏手の急坂を越えて緑の中を走っているうちにみるみる空気が変わって
いき、皮膚の毛穴がキュッと締まっていくのを感じました。

目に映る景色は徐々に空気が濃くなっていき、それはご神域というよりも眷属の森にでも入っていくような感じでした。

湖畔に広がる水上レジャー施設がありましたが、よくぞこのような空気の中に作るものだと思っていましたら、次の瞬間、
明るいポップな文字で『小天狗の森』と書かれた看板が目に飛び込んできたものですから、思わず「そのまんまやん!」と
ツッコまずにはいられませんでした。

そんなこんなでソロソロと息をひそめるようにして道を進んでいきますと、まもなく戸隠山の中社に到着しました。

麓から順に、宝光社→中社→奥社と祀られていますので、正しくは宝光社が先なのだろうと思いつつも、流れのまんま中社
から参拝することにしました。


こういう時は脳は完全リセット、何も考えないようにして、為るに任せきれば上手いこと軌道修正されるものです。

大抵は、自分で考えたのでは絶対に組めないような隙の無いスケジュールに為っていきます。
これは誰であっても、1ミリも疑わなければ、そのようになります。
思い込みでも、決めつけでも、知ったふうでもなく、理屈からしてもそうなるしかないわけです。

疑わないというのは、他の選択肢とは比較しないことです。

ああすれば良かったか、こうすれば良かったか、という疑念もさることながら、「もしこうしてなかったらもっとヒドイ目に
遭ってからこれで良かったのダ」などと屁理屈で今を正当化しようとする行為もNGでしょう。
何故なら、疑いを否定しようとする作業自体が、すでに疑いを前提としているものだからです。

たとえばレストランに行くにしても、その店なら必ず最高のものが味わえると知っていれば、あとは何も考えずただ味わう
だけの自分になっているはずです。
他の店のことなど思い浮かべもしません。

さらに言えば、あとで旅を振り返ってそれらを過大評価するのも良くないということになります。
自分は凄い!この旅は凄い!などという自己満足は我心にエネルギーを注ぐだけですから、そんなことをしていては小さな
籠の中でグルグルまわる結果にしかなりません。

また、旅の最中に「このさき神懸かってくれるか」と過剰に期待するのも同じことです。
それは我心、我欲であり、今ここから離れた比較でしかないからです。

ほっとけばそうなるということを知っていれば、自然にそう為るに決まっているわけです。

そして、これらはどれも人生にも当てはまることだと言えます。

そのへんの旅と長い人生とは違うなんてことは全く無いわけで、白黒ジャッジせずに任せきっていれば思いもかけない展開に
なるのはみんな同じであるということです。

以前にも書きましたように、この世にはツアー旅行に来ているのですから、それこそ全く同じ話にならない方が不自然である
わけです。

ただ頭でそうと分かっていても、普通の旅行と違ってこの旅はあまりにも長すぎるために、旅の最中にあれこれ雑念が湧いて
きてしまいます。
そして致命的とも言える、疑いという思いも湧いてきてしまいます。
そうして他との比較や、疑念の打ち消しという堂々巡りが始まってしまいますと、まさに籠の中の回転はしごになってしまう
ということです。

旅をして思うのは、他の人と同じような決まりきったコースを味わうよりも、多種多様にアレンジされたオリジナルコースを
選んだ方が何ともいえない喜びを感じるということです。
何が良いということではなく、それこそ言葉にならない満足感といえるでしょう。

ということは、まさしく人生にしても同じということになるのではないでしょうか。

つまり「他の人とは違う」というその特別さが格別であるということです。
あいつはあいつ、自分は自分。
他人と同じでないことを嘆くというのは、旅に置き換えてみると何とも滑稽なことに思えてくるはずです。

余談が長くなってしまいました。
戸隠の話に戻りたいと思います。


さて、そんなこんなで中社に到着しますと、そこは先ほどにも増して空間的な重さがありまして、言うなれば飽和蒸気の中で
皮膚呼吸が出来ないような感じになっていました。

その時は、それはそれ、まぁそういうものだろうと淡々と過ごしていたのですが、驚いたのはそのあとでした。

境内に入る手前に立派な御手水がありました。
そこで普段どおりに手と口をすすいだ瞬間、それまでの重苦しさが全て綺麗さっぱり無くなったのでした。

もちろん他の場面であればそういうことがあっても驚くことはなかったのですが、この時は予期せぬ出来事だったわけです。

というのも、自分が良くない状態にあったり、場が澱んでいたり、あるいは何かが憑いてしまっている時であれば、塩や水で
浄めればスーッとリセットされますから、そういう時には砂漠のオアシスのように「水、水」と思うところですが、この時は
その一帯が普通ではない場所という理由での重々しさでしたので、そもそもの前提からして全く違いました。

それはこれまでも修験道や古神道の修行場でも感じてきた空気感でして、もちろん澱んでいたり穢れているものではなく、
むしろ真逆の空気というか、この世とは少しズレた時相と言えるものでした。
ですから玉置山にせよ、大峰山にせよ、金峰山にせよ、御手水をしても禊ぎをしてもそれは変わることのないものだった
わけです。

それがこの時は手と口をすすいだ瞬間、ガラリと一変して普通の感覚に戻ったのでした。

まさかの展開に一瞬キョトンとしてしまいましたが、柱に貼られた紙が目に入るとすぐさま氷解しました。
そこには「戸隠山から湧いた御神水」と書いてありました。

つまりそれは禊ぎというだけではなく、直会(なおらい)、すなわちあちらの世界のものを食すという行為でもあったのでした。

異質の重さがスーッと無くなったのは、御神水に触れたことで瞬時にそちらの感覚に同化したということだったのではないかと
思いました。


(つづく)





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