これでいいのダ

心をラクに生きましょう。どんな日々もオールOKです!

天と地と

2018-06-13 08:46:42 | 日本を旅する
長野県の八ヶ岳に行きました。

このあたりは昔から宗教家が生まれ育ったり、精神世界系の人が移住してきたりと、なんとも不思議な場所です。

富士山のような分かりやすい場所なら分かるのですが、別にそこまでの場所でもありません。なのに何故なのでしょう。

八ヶ岳周辺は信州甲州の山々に囲まれています。
東は関東山地。南は南アルプス。西は中央アルプス。北西には北アルプス。北東には浅間山や志賀高原。

ですから私はてっきり、大地のエネルギーが強い神道系の場所なのだと思い込んでいました。





もともと安曇野や上高地のある北アルプスは大好きでしたが、ほんの少し離れた八ヶ岳周辺は不思議なほどにピンと来ていませんでした。
そのため、まわりの人たちが盛り上がっていても、エネルギーやご神縁の系統が違うんだろうなと思って流していたのでした。

ピンと来ないというのは、肌感としてしっくり来ないというか、裸になり切れないというか、芯が残るような感じです。

それが昨年から突然なくなりました。

そうなるとナルホドと腑に落ちたのが、「地」のエネルギーというよりも、この地はむしろ「天」の場所であったことでした。
言い換えれば、それは宇宙的とも表現できます。

それは例えばこんな感じです。

天から大地を見おろすと、意識はジェットコースターのように富士山にズドーンと吸い込まれて行きますが、地から見晴らすと八ヶ岳の辺りから
天へとスコーンと抜け通っていきます。

天地に包まれる神道的な感覚よりも、頭のてっぺんからお尻の下までスコーンと抜けていく修験道的な感覚に近い。

そういう意味では宇宙にご縁のある人向きと言えるかもしれません。
平たく言えば、神界よりも宇宙系ということです。

前者は、実家に帰って畳の上でのびのびと大の字になるような感じ。お風呂に浸かって全身が溶けていく感じです。
後者は、山の上から大自然を見わたす感じ。全身の細胞がイキイキと活性化する感じです。

休息と活動。静と動は表裏一体です。

すべてを天地に任せきって放り出すのも、はたまた、流し流して詰まりを取るのも、行き着く先は同じです。

和食好き、洋食好き、コッテリ好き、アッサリ好き。
食べ物に好みがあるように、天や地、宇宙や神道もまた、それぞれ肌にしっくり来るものがあります。

これは理屈の話ではありません。
そしてご縁によって味わいも変わっていきます。

この20年くらい八ヶ岳に来てもほんの少し翳りがかかっている感じでしたが、それが突如クリアになったのでした。



チャクラ開きを目指す人たちや、宗教的な修行者、あるいは宇宙に向かって積極的な人たちが集まるのが、この場所の特性です。

スコーンと抜けて天へと発するのですから、そりゃそうでしょう。

精神世界系だけでなく、科学的な研究者もまたこの場所に集まるというのも合点のいく話です。

空気が綺麗だとか、晴れが多いとか、電波が安定しているとか、ここが観測地に選ばれた理由は色々ありますが、そもそも天へスコーンと抜けて
いればこそ、そのような環境が発現したとも言えます。



にしても、自分の好みが変わったのかといえばそんなこともないのが面白いところです。
相変わらず、アッサリ好き、ノンビリ好き、寝て果報を待つ性格のままです。

しかし静と動は表裏一体で、寄せては返す波のように流れ流れています。

天地もまた、私たちを介して8の字に流れ流れています。
「天だけ」「地だけ」と偏食を続けてしまうとおかしくなっていくのは食事と同じです。

これはこれでオツやねぇ〜、というウェルカム心は人生の楽しさを倍加させます。

だからといって無理に逆に行こうとしても、それは大河の流れを無視したものになります。
それこそ薄いバリヤーが張ったような違和感を覚えることになります。

まわりのエネルギーの流れと、自分の流れが合っていないとそんな感覚に陥ります。

タイミングというのは人それぞれです。
自分がしっくり来てなかったとしても、まわりの人はしっくり来てるかもしれません。
その逆もまたしかりです。

しっくりきてなければ、それはまだその時ではないということ。

ご縁というのはそういうものです。

どっちが優れているとか、劣っているというものではありません。
その場その時にシンクロする人間が、引き寄せの原理によって縁づいていくだけのことです。

流れが一致している時には背中を押されるように風が吹くので、その流れに任せきるのが良い。
それは自分であって自分ではない。天地の流れそのものです。



日本列島というのは、プレートの動きによって東と西が逆回転しています。
関東人と関西人の気質が真逆なのも面白いところです。

もともと真っ直ぐだった列島が、このプレートの動きにより、クッと腰の入った今の形になりました。
(「母なる大地 日本」2017-10-2 参照)
https://blog.goo.ne.jp/koredeiinoda-arigatougozaimasu/e/81c3e9d94e1235fd49f650582e1eb603

その動きの中心、腰のラインにあたるのがフォッサマグナです。
糸魚川・静岡構造線という言葉は子供の頃の授業以来ですが、それのことです。

先ほどの地図ではフォッサマグナの左側が「北アルプス・中央アルプス・南アルプス」。
右側が「八ヶ岳」になります。

ジーッと見ていると、谷のようなくぼみが縦に真っ直ぐ入っているのが分かります。

東西の大地が逆回転をしてフォッサマグナでぶつかりあい、そのプレッシャーでグシャッと隆起したところが左右の山脈になったというわけです。

地図でも、山脈の形を見ると、まさにグシャグシャっと縦ジワのようになっていることがよく分かります。



私たち人間も、要となるのは「腰」です。
だから「腰」(にくづき+要)という漢字が当てられているほどです。

武道でも、仙骨(骨盤の背中側)から臍下の丹田にかけてのラインが一番の要となります。

日本列島でそれにあたるのがフォッサマグナです。
これに対して、縦のライン、人間で言えば「正中線」(頭のてっぺんからヘソの下まで真っ直ぐ降りる中心線)に当たるのが中央構造線(下図の赤線)です。



ちなみにこの場合、臍(ヘソ)は富士山で、臍下の丹田は紀伊半島になります。
恐ろしいくらいに全てが一致してきます。

私たちも、仙骨を立て、腰を落とし(膝を緩め)、丹田を静め、正中線を縦にビシッと通すことで自然な統一体となります。

自然体というのは、最も安定した状態、盤石な状態のことです。

そのような自然な状態に戻るには、まずは緊張をとって全身を弛緩させることが第一になります。
2週間前の長野県北部の大きな地震はフォッサマグナの真上でした。

人間も体の緊張を取るためには、ブラブラとあちこち揺らしたり、ゴリゴリほぐしたりします。
地震というのはまさしく肉体的アプローチに近いものだと言えます。

しかし体の緊張を取る方法は他にもあります。

その一つは「心をトコトン落ち着けること」です。
心がほぐれれば、自ずと体もほぐれていきます。

喜び。感謝。そうした感覚に芯から浸ると肉体はリラックスしていきます。
大地もまた同じであるわけです。

だからフォッサマグナや中央構造線の線上に感謝の心を置いたり、喜びを置いたりすることはとても大切なことになります。

ちなみに私たちは、穢れを祓い、詰まりを無くして、氣を通すことでも緊張が取れます。
私たちのお灸や針に相当するのが、篝火による祓いと言えるかもしれません。
修験道の護摩壇もそうですが、何と言っても火祭りの効果は凄いものがあります。

毎年夏に那智の滝で行われる火祭りは、空間そのものがピーンと清められて雑味がゼロになるほどです。





さて、せっかく八ヶ岳周辺にご縁ができたので、そこでのメッセージに触れたいと思います。



自分以外はみんな他人です。
血の繋がった家族であってもです。
その他人と100%分かり合おうとするのはそもそも無理な話です。

そうと分かっていながらも、私たちは無意識のうちにそれを期待します。

もともと、相手のことを分かろうとするのは、私たちが生きて行く上で身につけた生存本能のようなものです。
相手を知ることで自分の安全を確保できる、衝突することなく円滑にできる、そうして身につけた知恵でした。

一方でまた、頭数がそろった時に最大効果を発揮するための意識のすり合わせという意味合いもあります。

さらには、人間的な感性として、相手をおもんばかることで自らの心を豊かにしてきたという側面もありました。

ですから、相手のことを分かろうとすること、自分のことを分かってもらうことはとても大切なことだと言えます。

ただ、それはそれ。
いずれにしても、ほどほどで十分なわけです。

それが完全に100%分かり合う(相手を分かる、自分を分かってもらう)ところまで目指してしまうと、筋違いになってしまいます。
何ごとも必要以上を求めるのは欲張りというものです。

相手のことを分かりたいというのが、自分のためなのか相手のためなのか、衝動の起点がどちらなのかによって、欲張りになるのか程々で終わる
のか自ずと決まってきます。

生物的に自分の身を守るためならば、おそらく10割を目指そうとは思わないでしょう。
つまり相手のことを100パーセント分かりたいと思うのは、大概、自分のエゴに根ざしているということです。

仮に、初発の段階では、本当に相手をおもんばかって相手のことを知りたかったのだとしても、その大義に甘えすぎてタガが外れると、知らぬ間に
脱線して自らの執着を太らせることになってしまいます。

そうした状態に陥った時は、相手の本意が分からないと不安や怒りが湧き上がってまいります。
それはつまり、そもそも相手のことをおもんばかってはいなかった証拠であるわけです。

また「こちらがおもんばかってるのだから、相手も自分をおもんばかってほしい」「こちらのことを分かって欲しい」という衝動も同じです。

そうした交換条件が発動すると、それが叶わなかった時、やはり不安や怒りが生じます。

大なり小なり、無意識のうちに私たちは、そんな一人相撲にあくせくしていると言えます。

同じ人間同士でさえそうであるならば、異なる存在からすれば尚更です。
天にせよ、地にせよ、面と向かってコンタクトするのを避けざるを得なくなるのは当然でしょう。

同じ人類でも、ほんの少し価値観が違っただけで差別され、排斥され、戦争にまで発展しているのです。いわんや、ということです。

私たちとは違う世界がある、私たちの理解できない世界がある。
それを理解しようとする必要はない。
ただ、違いがあると認識するだけ。

違いを丸ごと受け入れるのが大調和。
天地自然の姿です。


これは、次元や時空をまたがる大きな話だけでなく、国と国についてもそうですし、すぐ傍に座っている人との関係性についても同じことです。

何事もほどほどが一番。
それ以上を求めると我執が芽生える。

分からないことは分からないままで丁度いい。
無理して分かろうとしなくていい。


やれることをやれば、それで十分。





ということで、今日は話があちこちに飛んでしまいましたが、八ヶ岳周辺は天地がごった煮になってるということでお許し下さいませ。笑


(おしまい)




「おかげさま」(日蔭のかがやき 3)

2016-09-11 22:44:35 | 日本を旅する
戸隠の観光地として有名なのは巨大な杉並木です。

日蔭のおかげさまというものを、目に見える姿で現しているところは、戸隠の真骨頂と言える場所かもしれません。

日を隠して影を成す。
ジメジメして暗いのかといえばそうではなく、明るさというものをむしろ日なたに居る時よりも強く感じる場所でした。

「戸」というのを天岩戸の意味で捉えると、神話では洞窟にこもった天照大御神の光を隠すものとされます。
この場合「戸隠」とは「日隠し」、すなわち「日蔭」と同じものとなります。

あらためて戸隠の杉並木を観てみますと、日蔭とはかがやきそのものであることを感じられるのではないかと思います。


「物陰」(ものかげ)と聞きますと私たちは暗く狭いところをイメージしてしまいますが、実際にそちら側に身や心を置くと、
そこにはとても大きな世界が広がっているのを感じられるわけです。

杉並木に広がる世界というのはこの世の一端を現しています。
つまり、現実のあらゆる物事も、その陰には広大無辺な広がりがあることを示唆しています。

戸隠の杉並木の中に居ると、まるでミクロの決死圏です。
それはまた、日なたの世界の縮尺と、日蔭の縮尺が全く違うことを暗示するものでもあります。
見た目の世界と、目に見えない世界とは、そもそものスケールが根本的に違うということです。

見える世界を氷山の一角と表現したりしますが、そんな程度の比率ではなく、私たちの想像を遥かに超えた気の遠くなるほどの
広がりが水面下には存在しているわけです。

ふと立ち止まり、身のまわりを一つ二つ見渡しただけでもそれは明らかです。

たとえば、私たちの肉体がこの世に存在するのも、その水面下には何十億人、何千億人ものご先祖様がいらっしゃいます。
その途轍もないピラミッドの頂上のわずか1点だけが今こうして目に見えているということです。

あるいは、目の前に存在する様々な物であっても、その背後、見えない蔭には幾千万もの材料や工程がネズミ算式に広がって
います。

はたまた、目の前で起きた些細な出来事にしても、網の目に広がる無数のご縁の、たった一つの結晶であるのです。

もちろん、そうしたことをいちいち振り返っていては目の前がおろそかになってしまいますので、日頃そこまでする必要はない
でしょう。
ただ、目に見えないおかげさまが山ほどある、万事そういうものであるのだと承知しておくことが極めて大事ということになります。

目には見えない、日蔭の世界の存在によって、日なたの世界が確実なものとなっています。
一つ一つの現実とは、無限に詰まり詰まった非現実がついに飽和しきった末の、結晶のカケラであるわけです。

見えないようにさせといたというのも一つの神意です。

ジロジロとガン見して歩くのではなく、そのような御心があると知っておくだけでいい。
私たちの足もとに広く深く、たとえ見えなくともそこに無限のおかげさまが広がっていると承知しておく。
それだけで、黙っていても私たちの心はその先々にまで広がり開いていくわけです。


この日本において、戸隠は「日蔭のおかげさま」であったわけですが、それはその先に訪れた土地にも広がっていました。

今回の旅は、半分は真面目な目的でしたが、残り半分は気晴らしのバカンスのつもりでいました。
初日のお参りが終われば、2日目は森の中、水辺の高原で1日ゆったりとブルジョワチックに涼もうと考えていました。

翌朝、そうした場所を探す前に、まずは気になっていた池だけ行っておこうと軽い気持ちで出かけたのでしたが、そのフラッと
立ち寄った場所にいきなり願望以上のものがポーンと現れてしまいました。

喩えるなら、まだ寝ぼけたまま顔を洗いに行ったら、そこに豪華メインディッシュが用意されてたような唐突感でした。
心の準備もないまま、バーンと出されてしまったものですから心がまったく追いつかなかったのですが、やはり肉体というのは
凄いものです。
皮膚から入ってくる感覚は頭や心を即座にねじ伏せ、急速充電のごとく満たされていったのでした。

身体の感覚にすべてを任せてしまいますと、頭も心も天地へと溶け出していきます。
そうして時間も忘れて景色と一体となっていると、その景色とともに自他の区別など消えてなくなっていきます。

そのままブルジョワチックに1日お茶しているのも良かったのですが、そうやって全身で満喫しきってしまうと、来る前の空腹感も
すっかり満たされまして、さて何か他のことをやろうかという気持ちになるのでした。

今一度、旅の前に気になっていたところを思い返すと、諏訪大社が浮かんできました。
ただ土日2日で戸隠に行って諏訪も行くとなるとこれは結構な強行軍になります。
弾丸ツアーのように時間に追われて駆け回るのでは意味ありませんので、諏訪はカットして旅に臨んだのでしたが、時刻表を見ると
それが行けなくも無い状況になっていました。

実は諏訪大社そのものはこれまで行ったことがありませんでした。
諏訪周辺には過去に何度か訪れたことがありましたが、正直なところ空気感としてはピンと来るものが無い場所でした。

正直ついでに言ってしまうと、今回も地鎮の意味合いとして行かないといけないかなという、まさしく人間考え100%でしたので、
今にして思えばこれほど失礼な話も無いものです。

さて、在来線の鈍行の長旅を終えて駅を降りましたが、車を走らせていてもやはり空気感は変わることもなく、すんなり大社に
到着しました。
昔のイメージのままでしたので、ある意味、構えることもなく自然体のまま敷地内へと入って行けたと言えます。

すると、そこにはまさに1週間前に神事が終わったばかりの御柱が天高く祀られていました。

不思議なことにこの御柱自体から発するものは特に何も感じられなかったのですが、しかしそこから進んだ先の境内の空気感が
半端ないものでした。
なんと表現すればいいのか、本当に言葉すら浮かばない。

頭も心も真っ白。
言葉にならない言葉。
茫然自失。立ち尽くすのみ。

超然というか「凄い」という思い、感覚、全身それ一色です。
そして、それとともに心の奥底からねじ上がる「ありがたい」という思い。

でも、何がありがたいのか理屈としては分からない。
とにかく、細胞の奥深くから全身がそのように感じてしまっている。

まさか、こんな場所が諏訪にあるとは思いもしませんでした。

大地的といえば大地的ですし、宇宙的といえば宇宙的。
大地なんだけども宇宙。
それがごく自然に一体となっているのですから、言葉では表現できない。
とにかく湧き上がる思い、ありがたさに震え、涙をこらえるのが大変なのでした。

覚えているのは、深い深い納得感です。
「あぁ…こうして護られてきたのだなぁ」という。

陰(かげ)というものには、いくつもの意味があります。
この世のすべてに共通する、天地の理としての陰。
そして、この国を平安たらしめている陰というのもそうです。

戸隠は前者に当てはまるかと思いますが、諏訪大社というのは後者なのかもしれません。

九州阿蘇から続く中央構造線は、四国、紀伊を通って、ここ諏訪から鹿島へと抜けていきます。
そのエネルギーは、諏訪を転換点として裏表バランスが取られているのではないかと感じました。
阿蘇も鹿島も日なたの表であるのに対して、やじろべえの支点となっているのが諏訪。
エネルギーバランスの裏にあたるわけです。

この地がそのようにあるからこそ、そうあり続けるためにも幾千年もの間ご先祖様たちは御柱という天地垂直方向へのアースを
立て続けてこられたのではないか。

私たち人間こそは天と地とを繋ぐ柱ですが、その私たちが大勢集まり、御柱を引いて大地を練り歩くことで、祓いとともにそこに
凄まじいエネルギーが練り込まれていき、天と地とを繋ぐ依り代となっていきます。
命を落とす人があとを絶たなくとも、氏子の方々は全身全霊でそれを続けてこられました。

出雲を追われてこの地に引きこもったなどトンデモない嘘っぱちでしょう。
実際は、この地、この国を蔭から護るために命懸けの祭祀を行なってきたということではないでしょうか。

しかし、蔭はあくまで蔭でなくてはその務めを果たせない。
蔭が表に出てしまっては、日なたを支えるという天地の理が根底から崩れてしまう。
だからこそ、あえて日蔭となるような言い伝えを甘んじて受け入れて来たのではないかと思います。

実際、日なたのために頑張ると思った瞬間、そこにはたちまち我心が現れてしまいます。
理屈など関係なく、ただ無心でそれをやるところに神宿るということです。

そうした無我の結晶、天地合一の御柱に囲まれている。
諏訪大社には境内の四方に御柱が立てられていました。
そんなところでは言葉を失ってしまうのも当然のことだと言えるでしょう。

そして諏訪大社というのはこの上社(本宮)の他に三社がありまして、合計四社で成り立っています。
それらの社もそれぞれ御柱4本に囲まれています。
そうして、その四社が諏訪湖を取り囲むように建てられています。
結果は推して知るべしです。

これほどの土地であるのに、そのエリアに普通に立ち寄っただけでは全くそれとは感じさせない空気であることが逆に驚きです。
正直、どの駅で降りても、盆地特有の空気感しかありませんでした。

中央線沿線に住む身としては、他の土地よりも比較的身近な場所で、子供の頃から行くような場所でした。
言葉は悪いですが、あまり風通しが良くない、空気がピタリと止まったような肌感だったわけです。
しかし、それこそは日蔭に対する私個人の感覚、思いの現れだったということです。
何故ならば、そうした日蔭にこそ、これほどの凄まじいものが存在していたからです。

見えない世界にしても、これまで私は「日なた」しか見えていなかったのかもしれません。

伊勢にせよ阿蘇にせよ、熊野にせよ、あるいは出雲にせよ、それらはどれも「日なた」であったわけです。

しかし、日なたというものはそれ単独のものではありません。
必ず、その背後、その足元に途轍もなく広大な日蔭が広がっている、支えているのです。

そうしたことを知り、そうしたものへ心を広げる。
言葉を超越した有り難さ。感謝。
諏訪大社で全身それ一色に包まれた感覚というのは、そういうことだったのではないかと思います。

実際、私たちの身体を振り返ってみましても、頭上や足下の遥かなる遠く、高く深く、見えない先の先まで心を大きく広げることで、
全体は自然に大きく安定していきます。
それは全てのことに通じる根本原理であるわけです。

天地というのはもとより一つのものです。
しかし私たちは、天は天、地は地、と分けて考えてしまいます。

すなわち、日なたと日蔭もそうであるということです。
日なたと日蔭は同じ一つのものであり、裏表ですらない。異質のものではないわけです。

天地の柱たる私たちが、そうした心を持ち、分け隔てなく同じ心を向けることが、天地自然のこの世界の全ての在り方に合致する
ことになります。

量子論的にも明かされているように、私たちの思いというのは、そのままこの世界の現れ方に反映されていきます。

私たちが、心を分けることなく、片寄らせることなく、天地自然の本来の姿の通りに心を向けることで、この世界の精妙なバランス
が現われ、裏表なく等しく輝き溢れかえるのではないでしょうか。

真のバランスというのは互いの力が拮抗して現れるものではありません。
彼我の分け隔てなく、合一することで現れるものです。

それは日なたと日蔭とのことであり、また私たちと天地自然とのことでもあります。

壁がなくなれば、自然に優しい風が吹き抜けていきます。
それは天地が為すものではなく、私たちが為すものなのです。


(おわり)





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旅はおまかせにかぎります (日蔭のかがやき 2)

2016-09-02 20:33:41 | 日本を旅する
知らない場所というのは実際にそこへ行ってみないと本当に分からないものです。

信州戸隠というのは奥山のイメージが強いので、遥か遠くにあって、近寄りがたい雰囲気に満ちているものだと思い込んで
いました。
なので観光客にしても年配者やハイカーばかりと思っていましたら、学生さんや女性グループがやたら多くてビックリして
しまいました。

若者や女性というのは肌感に鋭いというか、感性が澄んでいますので、理屈でなく感じるままに素直に受け入れていきます。

10年ひと昔と言いますか、もちろん戸隠にも以前から人は来ていたのでしょうが、やはりこの10年20年で世の中が
ガラリと変わったというか、神仏や目に見えない世界というものが人知れず日常にグッと近づいているんだなぁと改めて
感じました。


振り返ってみますと、バブルの崩壊という強制的な目覚ましによって長らく我々を覆ってきた殻が叩き割られ、イケイケで
強いんだと思い込んでいた自分たちが一皮むけば実は何の強さも無かったと知りまして、剥き出しとなった心はその反動から
物質依存をやめて精神依存へと大きく舵を切ったのでした。

そうしたところで書籍やテレビで心や魂のことが発信されるようになり、鎧を失い剥き身に怯える私たちの心は解きほぐされ
ていったわけですが、今度はそれが行き過ぎて、地に足つかぬほどに現実から離れてフワフワしてしまい、それにリンクする
ように政治の方でも上っ面のおためごかし公約にすっかり酔わされてしまったまさにその時、東日本大震災というこの世のもの
とは思えぬ出来事が、まさしくこの世の現実に起きました。

生死の現実というものが、脳を飛び越えて肌に直に突き刺さるに及び、私たちの深層意識にかかったモヤモヤは吹き払われ、
先の物質社会・個人主義という幻想とともに、その逆の精神世界・虚無という夢うつつの幻想からも目覚めさせられ、「今ここ」
の私たちへと至っているのでありました。


何より大きいのは、これほどの揺り返しにも関わらず、誰もその急激な変化を感じることなく、気づかぬまま二つの世界
(もともと二つに分かれてなど居ないわけですが)を、今こうして本来あるべき姿へとオーバーラップさせているという
事実です。

何事もそうですが、意識的に「こうあるべきだ」「こうでなくてはいけない」と自我の思い強く作ろうとしてしまうと、まさに
建屋の上屋だけに手間をかけることになり、肝心の土台はモロくなってしまうものです。

それが、今この時というのは、あちらもこちらも自然に溶け合うようになっている。
精神世界の人たちが、かくあるべきと叫んで引っ張るようなものではなく、むしろ現実世界の方からそのように生っていった。
頭ではなく肌で感じるリアルな感覚によって、誰もがそれを素直に受け入れていったわけです。

決して、私たちの観念という壁が薄まってあちらとの断絶が埋まっていったということではなく、先に世界が溶け合った結果
として、いつの間にか私たちの観念の方が変わっていったということです。
それと自覚することもなく。

日本というのは、まさしく天に護られた国と言えるのではないでしょうか。


さて、話を戻したいと思います。

戸隠までの道のりですが、想像したよりずっと近いのにビックリしました。
長野までは新幹線を使えば一息で、そこからは車で一時間もかからない近さでした。

過去に記憶していた空気感は人里離れて幾山も越えたようなものだったので、まさかこれほど人里に近いとは思わず、色々な
意味で驚くばかりでした。

ただ、その肌記憶は間違ってはいませんで、善光寺の裏手の急坂を越えて緑の中を走っているうちにみるみる空気が変わって
いき、皮膚の毛穴がキュッと締まっていくのを感じました。

目に映る景色は徐々に空気が濃くなっていき、それはご神域というよりも眷属の森にでも入っていくような感じでした。

湖畔に広がる水上レジャー施設がありましたが、よくぞこのような空気の中に作るものだと思っていましたら、次の瞬間、
明るいポップな文字で『小天狗の森』と書かれた看板が目に飛び込んできたものですから、思わず「そのまんまやん!」と
ツッコまずにはいられませんでした。

そんなこんなでソロソロと息をひそめるようにして道を進んでいきますと、まもなく戸隠山の中社に到着しました。

麓から順に、宝光社→中社→奥社と祀られていますので、正しくは宝光社が先なのだろうと思いつつも、流れのまんま中社
から参拝することにしました。


こういう時は脳は完全リセット、何も考えないようにして、為るに任せきれば上手いこと軌道修正されるものです。

大抵は、自分で考えたのでは絶対に組めないような隙の無いスケジュールに為っていきます。
これは誰であっても、1ミリも疑わなければ、そのようになります。
思い込みでも、決めつけでも、知ったふうでもなく、理屈からしてもそうなるしかないわけです。

疑わないというのは、他の選択肢とは比較しないことです。

ああすれば良かったか、こうすれば良かったか、という疑念もさることながら、「もしこうしてなかったらもっとヒドイ目に
遭ってからこれで良かったのダ」などと屁理屈で今を正当化しようとする行為もNGでしょう。
何故なら、疑いを否定しようとする作業自体が、すでに疑いを前提としているものだからです。

たとえばレストランに行くにしても、その店なら必ず最高のものが味わえると知っていれば、あとは何も考えずただ味わう
だけの自分になっているはずです。
他の店のことなど思い浮かべもしません。

さらに言えば、あとで旅を振り返ってそれらを過大評価するのも良くないということになります。
自分は凄い!この旅は凄い!などという自己満足は我心にエネルギーを注ぐだけですから、そんなことをしていては小さな
籠の中でグルグルまわる結果にしかなりません。

また、旅の最中に「このさき神懸かってくれるか」と過剰に期待するのも同じことです。
それは我心、我欲であり、今ここから離れた比較でしかないからです。

ほっとけばそうなるということを知っていれば、自然にそう為るに決まっているわけです。

そして、これらはどれも人生にも当てはまることだと言えます。

そのへんの旅と長い人生とは違うなんてことは全く無いわけで、白黒ジャッジせずに任せきっていれば思いもかけない展開に
なるのはみんな同じであるということです。

以前にも書きましたように、この世にはツアー旅行に来ているのですから、それこそ全く同じ話にならない方が不自然である
わけです。

ただ頭でそうと分かっていても、普通の旅行と違ってこの旅はあまりにも長すぎるために、旅の最中にあれこれ雑念が湧いて
きてしまいます。
そして致命的とも言える、疑いという思いも湧いてきてしまいます。
そうして他との比較や、疑念の打ち消しという堂々巡りが始まってしまいますと、まさに籠の中の回転はしごになってしまう
ということです。

旅をして思うのは、他の人と同じような決まりきったコースを味わうよりも、多種多様にアレンジされたオリジナルコースを
選んだ方が何ともいえない喜びを感じるということです。
何が良いということではなく、それこそ言葉にならない満足感といえるでしょう。

ということは、まさしく人生にしても同じということになるのではないでしょうか。

つまり「他の人とは違う」というその特別さが格別であるということです。
あいつはあいつ、自分は自分。
他人と同じでないことを嘆くというのは、旅に置き換えてみると何とも滑稽なことに思えてくるはずです。

余談が長くなってしまいました。
戸隠の話に戻りたいと思います。


さて、そんなこんなで中社に到着しますと、そこは先ほどにも増して空間的な重さがありまして、言うなれば飽和蒸気の中で
皮膚呼吸が出来ないような感じになっていました。

その時は、それはそれ、まぁそういうものだろうと淡々と過ごしていたのですが、驚いたのはそのあとでした。

境内に入る手前に立派な御手水がありました。
そこで普段どおりに手と口をすすいだ瞬間、それまでの重苦しさが全て綺麗さっぱり無くなったのでした。

もちろん他の場面であればそういうことがあっても驚くことはなかったのですが、この時は予期せぬ出来事だったわけです。

というのも、自分が良くない状態にあったり、場が澱んでいたり、あるいは何かが憑いてしまっている時であれば、塩や水で
浄めればスーッとリセットされますから、そういう時には砂漠のオアシスのように「水、水」と思うところですが、この時は
その一帯が普通ではない場所という理由での重々しさでしたので、そもそもの前提からして全く違いました。

それはこれまでも修験道や古神道の修行場でも感じてきた空気感でして、もちろん澱んでいたり穢れているものではなく、
むしろ真逆の空気というか、この世とは少しズレた時相と言えるものでした。
ですから玉置山にせよ、大峰山にせよ、金峰山にせよ、御手水をしても禊ぎをしてもそれは変わることのないものだった
わけです。

それがこの時は手と口をすすいだ瞬間、ガラリと一変して普通の感覚に戻ったのでした。

まさかの展開に一瞬キョトンとしてしまいましたが、柱に貼られた紙が目に入るとすぐさま氷解しました。
そこには「戸隠山から湧いた御神水」と書いてありました。

つまりそれは禊ぎというだけではなく、直会(なおらい)、すなわちあちらの世界のものを食すという行為でもあったのでした。

異質の重さがスーッと無くなったのは、御神水に触れたことで瞬時にそちらの感覚に同化したということだったのではないかと
思いました。


(つづく)





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日蔭のかがやき (序)

2016-07-26 20:19:39 | 日本を旅する
ひと月も前のことですが、長野県の戸隠と諏訪に行ってきました。
茨城の鹿島・香取と同じように「早く行かなくては」と焦燥感に駆られながらもなかなかタイミング合わず、ようやく
訪れることができました。

戸隠は15年ほど前に近くを通ったことがありましたが、その時はただならぬ雰囲気に逃げ帰ってしまったという、ある意味
思い出深い場所でした。

あまり神社に興味ない先輩たちも「せっかくだから寄ってく?」と言ったのですが、ハンドルを握っていた私は「やめとき
ましょう」と即答して通りすぎてしまいまして、普段は率先して行きたがっていただけに、意外そうな顔をされたことを今でも
覚えています。

あの時の感覚というのは、頭や理屈ではなく、身体的、本能的なものでした。
体の奥底、中心の中心から、何か分からぬ恐ろしさがジワーッと全身の細胞へ広がっていくような感覚でした。

たしかに勉強不足で礼儀知らずのまま行っていたら大変なことになっていたかもしれません。
もちろんバチを当てるというようなことを天地はしないでしょう。
ただ、結果として苦しんでいたのではないかと思います。
それは苦しめようとしたものではなく、勝手に苦しんでいると言った方がいいかもしれません。

似たようなことが高千穂峡でもありました。
以前にも書きましたが、高千穂の時こそまさに常識不足の礼儀知らずで、ご神域に入るということの何たるかも分からず
お参りをしていました。

さすがに頭を下げたり柏手を打ったりということはしてましたが、そうした所作も含めて基本的なことを知らない。
そもそもの御手水からしてすっかり忘れてスルーしてしまうような有り様でした。
何というか、自爆そのものです。
不可抗力だとか無罪放免を願うとかそういう情の話ではなく、この世界には厳然たる原理原則が存在していることを
知ることになりました。

とりわけ陰陽様々なエネルギーが天を覆うように渦巻く場所を、観光気分のままフラフラと気を抜いて歩こうとしたのは
軽率かつ非常識だったと言うしかありません。
喩えるならG7サミットの首脳が集まるど真ん中に下着姿でフラフラと入っていくようなものでした。

そんなの知らなかった、では済まされないわけです。

手と口をすすぐのは神様への礼儀ということだけでなく、自らの身を護ることにもなります。

「空気が変わる」という表現がありますが、それは、より精妙な世界ということでもあります。
私たちの日常世界はガチャガチャと粗いものですが、スーッと澄んでいくにつれて透き通った世界に成っていきます。

粗い状態で精妙な世界の中へ入ると、何も聞こえず感じないままで終わったりしますが、自らも精妙になっていくと
ツーツーに風が通り抜けて一体となります。
自我の主導で成ろうとしてなるのではなく、自然となっていくということです。

その逆に、荒々しい存在がうごめく世界に、自らも粗い状態で身を置くとグワーッと入られてしまうことがあります。
自らが精妙になっていくと、そういうところへ近づくことがなくなり、またたとえ立ち入ってしまったとしても波乱れること
なく通り抜けさせて頂けます。

日本には、様々な存在の呪いや怒りを鎮めている場所があります。
それはもちろん凄まじいパワーであるわけです。
それをパワースポットと表わすのは意味合いとしては間違ってはいませんが、そこで何かを貰えるなどと思うのは筋違い
でしかありません。
テレビでは訳も分からずパワースポットと囃し立てていますが、そうしたところは「祟ったり呪ったりせずに平穏無事に
生かさせて頂いていることを感謝するための場所」であって、つまる
ところ、今この現状を感謝するための場所であるわけです。

今よりおかしなことにならず有りがたい。
今この状況が有り難い。
ですから、いま以上のことを求めるなどお門違い以外の何ものでもありません。

そういう場所に行くと「何かいつもと違うものを感じる」のは当然のことで、それは喜ぶことではなく、恐れることです。
どうしても気になるならば、遠くから感謝を送ればいい。
わざわざ危ない橋へ突撃することはないと思います。
面白おかしく無難に通れるのは、無邪気な童心のうちだけでしょう。
子供のエネルギーは本当に凄いものです。


話を戻しますが、高千穂のような場所というのは様々なエネルギーが渦巻いています。
精妙な世界にあっても清濁様々なエネルギーが集まるところがあります。
太古からのパワースポットと言われるようなところではこういうことがよくあります。
そのような場所へ、粗い状態のまま入っていくと浸透圧と同じように荒々しいエネルギーが入ってきてしまいます。

精進潔斎というのは、自らを精妙な状態へとリセットさせるものです。
ですから、自らの身を護ることにもなります。

とはいえ、精進潔斎の発端、ルーツというものはもっと自然発生的な衝動だったことでしょう。
身を護るとか礼儀だとか、そのような理屈の世界ではなく、そうせずには居られないというものであったのではないかと
思います。

途轍もなく圧倒的なまでに崇高な存在、無限小に至るまでが澄み切った清らかな存在、そうしたものの前に身を置くと、
言葉や理屈は吹っ飛び、感覚だけの世界になります。
何というか、とにかく今この状態が申し訳なさすぎる、居ても立っても居られないという感覚が押し寄せます。
そうした時、ただただ、綺麗な水で全身くまなく洗い流したい、下着にいたるまですべてを真っ白なものに着替えたい、
そのような強い衝動に駆られます。
精進潔斎の知識ありきではなく、真っ白になりたい衝動が先にあって、結果としてもとの知識と合致するという感じです。

うまい喩えではないかもしれませんが、例えば、部屋で薄汚れた格好でくつろいでいたら、いきなり戴冠式の晴れ舞台に
瞬間移動してしまったと想像してみて下さい。
それこそ今すぐ綺麗な格好に着替えたいと心底思うのではないでしょうか。
しかしその思いが叶わず薄汚れた格好のまま衆目にさらされ続けますと、居たたまれない、穴があったら入りたいと恥じ入る
のではないでしょうか。
この時、まさしく理屈などではなく、心の底から綺麗になりたいと思っているわけです。

澄み切った空気、雑味ひとつ無い空気の中にありますと、際立って異質な自分に違和感を覚えます。
見栄や外聞ではなく、綺麗なところに置かれたら、清らかにならないと居たたまれないわけです。

そして、お手水というのはそれを瞬時に叶えます。
すすいだ瞬間、くたびれた服装がシンデレラのドレスに替わるようなもんです。

本来の禊祓いとは全身を洗い清めるもので、口と手をすすぐのは簡易的なものとされますが、そんな安っぽいものでは
ありません。
お手水はそのものズバリ、禊祓いです。
居たたまれない感覚は瞬時に無くなります。
モヤモヤとした違和感もスーッと消え去ります。

まさしく禊祓いそのものです。
簡易的なものだとか、神様へのマナーだとか、形式だけのものだとか、そういうことではないということです。

高千穂ではそれを知らずに、お手水そのものが頭から抜け落ちてしまうという恐ろしいことをしてしまったわけですが、
その結果、何が何だか分からない苦しさに戸惑うことになりました。

ただ、そうやってしばらく悶々としていたところ、ある瞬間からフッと薄い皮膜に覆われたような感じになりました。

何と表現していいか分かりませんが、それは海底二万マイルに出てくるような、一昔前の潜水服を着させられたような
感覚でした。
頭の部分が大きな球状になっているアレです。

透明な気泡に包まれたような感覚とでも言えればファンタジーな感じになりますが、実際のところは、皮膚呼吸がしにくい
というか息苦しい酸欠状態でしたから、そんなメルヘンな絵面には程遠いものでした。

そしてその時というのは、薄皮一枚を隔てた外部は、今のこれとは丸っきり違う異世界そのものに感じました。
潜水であれば服一枚の向こうは海水であるわけですが、それと同じように、明らかに潜水服の外が異質のものだという
感覚に包まれました。

自分の皮膚の周り、潜水服の内側だけがこちらで、その外は別次元。
目に映るのは見慣れた景色ですが、その人もその風景も、水槽を隔てて向こうに見える状態。
まさに水に映る映像のような、三次元の実体感がない世界なのでした。
また、足の一歩一歩にしても踏み締める重みがなく、夢遊しているような非現実的な感覚となっていました。

観光客はみんな美味しそうに名物のダンゴなんかを食べていますが、潜水服にくるまっている自分は何一つ口に入れられない。
お茶やポカリも入らない。
唯一、水だけが飲めるという状態でした。

目の前でダンゴを食べる人たちの姿は何だかテレビの映像でも見るような感覚でしたが、何故だか、自分が周囲とは
ズレているということをごく自然に当たり前に受け入れていました。
深いところで感覚として納得しているものの、それがどういうことなのか頭では分かっていないという状態でした。

この時も天岩戸神社や天安河原はあまりにも畏れ多く恐ろしく、参拝するなどトンデモなく、近くを通る時には平身低頭、
息も殺して通らせて頂きました。
本当に畏れ多い時には、顔どころか目を上げることもできない。
お殿様の前で面を上げようとして「無礼者!」なんてシーンがありますが、あれは理屈やしきたりであのようになった
のではなく、なるほど本当に貴い存在の前ではそれしか出来ないということをこの時知りました。

そんなこんなで文字どおり逃げるようにご神域から脱出したわけですが、その瞬間シュッと透明な皮膜がなくなり唐突に
普通の状態に戻りました。
徐々に無くなるのではなく、あるポイントでピュッと無くなる。
その時はもう、何というか久方ぶりに水の中から上がって空気を吸えたというか、やっとシャバの空気を吸えたような感覚
で、フーッと大きく息をついたのでした。

知らなかったとはいえ、無鉄砲な危うさをそのように護って頂けたことにあらためて感謝であります。

私たちは光の反射によって、ものごとを網膜に映し見ています。
それはつまり、反射しないものは見えていないということになります。
これはステルス機の原理にもなっています。
目に見えないものとは、日の当たらない陰の世界とも言えます。
しかし、陰にこそ輝くものが実在しているわけです。


さて、今回は長野の旅を書くつもりだったのですが、思いっきり別の話に脱線してしまいました。

15年ほど前に初めて戸隠の前を通った時は、この高千穂に通じるところがありました。
生半可な気持ちで近づいてはいけない、危うきに近寄らず、出来れば行きたくないと長い間フタをしてきましたが、そう
やって見ないふりをすることも出来なくなってしまいまして、思い切って出かけることにしたのでした。


(つづく)




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陰極まって陽となる

2015-12-22 21:01:24 | 日本を旅する
今年も残すところ、あと1週間余りとなりました。
来週の金曜はもう正月です。
本当に早いものです。

7月に東京に移ってからは生活が一変し、嵐のような忙しさとなりましたが、数ヶ月かけてようやく心を落ち着けられるようになりました。
...と思っていたら、勝手に終わらすんじゃないとばかりに、最後の最後まで息もつかせぬ展開が待ってました。

本来ならば、今日は会社のカレンダーを沢山抱えて都内のお客さんのところを駆けまわっているはずでした。
そして夜には資料作りで悶々と残業しているはずでしたが、昨晩の急展開で、何故か松江に居るのでした。

体がいくつあっても足りない年末に、まさか日帰り出張が入るとは思いませんでした。
もとより松江は大阪支社の管轄。
普通だったら有り得ないのに、その有り得ないことが起きたのにはわけがありました。

競合他社が立て続けに二社も事業撤退するという、うちの業界としては戦後初の出来事が起きたのでした。

東京に来てから慌ただしいことだらけでしたが、ようやっと諦めきって受け入れたところで、そこからさらに畳み掛けてくるというのは本当に
ヒドい話です 笑
しかも、休み前日のせいか、丁度いい時間帯の飛行機はソールドアウト。
早朝の飛行機で行って、最終の飛行機で帰って来る羽目になりました。

といって、会社の仕事は山積み。
朝でも夜でも、どちらかだけでも東京で仕事を片付けたいところだったのですが、完全に丸一日拘束されることになってしまいました。
(実際には拘束ではなくて、隔離だったわけですが)

ここで、必然という言葉を使うつもりはありません 笑
ただ、やはりこの世というのはサプライズに満ちたアトラクションなんだなぁと思うばかりです。

さて、全く頭にありませんでしたが、今日は冬至です。
ご存知の通り、一年のうち最も夜が長い日です。

このことから、冬至は別名「一陽来復」とも言われます。
これはもともと易の言葉で、陰暦十月に陰が極まって十一月に陽が現れる、という意味なのだそうです。

そんなことから、

「陰極まって陽となる」
「冬が終わって春となる」
「悪い状態から脱して良い状態となる」

そんな意味に使われます。

夜が一番長い日、それをもって陰極まるとはよく言ったものです。
とはいえ、陰は暗くて悪いものツラいものだという決めつけは如何なものか。

さて、そんな冬至だったわけですが、今日の松江は驚くような暖かさでした。

これまで何度か来ていますが、この時期いつもなら日本海独特の厚い雲に覆われドンヨリと重い空気が漂っているところです。
なのに、今日は青空に小さな雲がチョコチョコとあって、いったいこれは何処の空?というような晴天。
まさかこの季節にコート要らずで出歩けるとは思いもしませんでした。

仕事が早めに終われば空港に行ってキャンセル待ちで早めに帰るつもりだったのですが、お客さんの会議が伸びたため、面談もスライド遅れで、
あえなく断念となりました。

時間だけは余るほどあるのに、仕事をしようにも資料やら何やら全て会社に山積みされたままで遠隔作業も叶わず。
もちろんそれを持って出張に出て来れるようなものでも無かったので、完全にお手上げ状態です。

となると、あとは割り切って遊んで帰るしかありませんが、松江には何度も来ていますので、お城もお堀も、屋敷も蕎麦も、史跡や神社に
しても行き尽くしていました。

次の便まで6時間近く、何もすることがありません。

しかもポカポカ陽気。

レンタカーを借りて神社巡りでもしたかったのですが、勤務時間中に何かあったらそれこそクビになってしまいますので、そこはグッと
こらえて、結局一番時間が費やせる出雲大社に電車で行くことにしました。

あと、温泉というのもチラッと頭をよぎりましたが、さすがにコラッと怒られそうだったのでそこは諦めました。

大社はこれで何回目になるか覚えていないくらいですが、ヨシ行くぞと思って行ったことは最初の一回だけだったような気がします。

行ったら行ったでジンワリ来るのですが、といって積極的に計画することはなくて、気づけば行っていたというのがとても不思議に思います。

よく、アマテラス系とかスサノオ系とか、人それぞれ感覚的な落ち着き感があると言いますが、これは事実だと思います。
それは勝手な思い込みで自己満足に浸るような類いのものではなく、芯の部分と全身の皮膚とでスッと感じるものです。

そういう意味では、自分はアマテラス様の御縁の神社の方はジンワリきまして、そちらは積極的に計画してお詣りするのですが、スサノオ様の
御縁の神社は緊張感というか、よそ行きの心になってしまいなかなか進んで行こうという気にはなれないのでした。

昔は、みんなそんなもんだろうと思っていましたが、逆にスサノオ様の系統の方が落ち着くという人が結構おられることに、己の視野の狭さを
思い知らされたものでした。
この世は、バラエティ豊かな多様性に富む、本当に奥深い世界です。

そんなわけで私にとっての出雲大社は、喜び勇んで飛んで行こうという心地にはなれないというか、生半可な気持ちでお邪魔してはいけない
という感覚の特別な場所なのでありました。

ただ、今日に関しては自分の我で押し進めているのでなく、もうそれしか無いというほどの追い込まれかただったので逆に気がラクというか、
大河が支流へ枝分かれしていくように否応もなくボヘーっと、居直りというのでは無いのですが、緊張することなくリラックスしてその流れに
乗らさせて頂きました。


それにしても、まさかここで出雲大社とは、それが自我によるものだったら僭越すぎるというか、畏れ多くて描けない展開だったろうと
思います。

出雲大社と伊勢神宮とは、太陽のラインで結ばれています。
日出ずる伊勢に対して、日暮れる西方の出雲です。
伊勢を陽とすれば、まさに出雲は陰であるわけです。

毎年11月の新嘗祭には伊勢神宮に行っていたのですが、今年は激しい忙しさで諦めざるを得ませんでした。
それが、まさか一年の締めに出雲大社に行くことになるとは、未だしっくり来ないというか、不思議な感覚この上なしです。
それは例えるなら、和服と洋服ほど趣きの異なる一張羅を着させられて、晴れ舞台でご挨拶をさせられたような、そんな場違い感でした(笑)

趣きが異なるという感覚は、要は、自分の趣味に合う合わないということです。
趣味というのは、感覚だけでなく、自分のこだわりや好みにも影響されます。

スサノオ様の系統は、正しく、陰陽で言うところの「陰」です。
それを辛気くさいとか、暗いとかいう価値判断は人間の勝手な思い込みでしかありません。
自分もまた、それを趣きとして、距離を置いてしまっていたのだと思います。

陰にせよ陽にせよ、元ひとつの同じものです。
別に、裏だ表だというものですらありません。
そうした理屈こそが真実を遠ざけてしまいます。

スサノオ様は、黄泉(見)も司る、陰の象徴です。
一方のアマテラス様は、太陽を司る、陽の象徴です。
それは裏でも表でもなく、全く同じものです。

まさに「陰極まって陽となる」です。

黄泉の国も、高天原も、中つ国も、そこに何ら違いは無いのです。

帰りのタクシーで運転手さんが、こんな暑いのは今日だけだと笑っていましたが、そのあと出雲大社宮司家である千家国麿さんと高円宮典子様
の御結婚のことを嬉しそうに話していました。

それは、何千年も続いたスサノオ様とアマテラス様の住み分け、陰陽の切り分けが無くなりこの時代に一つになったことを示すもの
でもあります。


今日は冬至です。
一年の中で、最も陰が極まる日であり、陰と陽が重なる日です。

高円宮典子様のお輿入れにより、陰陽天地が溶け合い一つになったように、今日という日を境に、この世の陰陽が溶け合い一つになると
いうことなのかもしれません。

私もまた、今朝まで抱いていた陰陽の切り分けが、今日の御参りを境に、溶けて一つになっていくようでした。

冬なのに、春のようなポカポカ陽気。
日本海なのに、太平洋のような広い青空。

今日という日は、あらゆるものが一つであることを示された日だったのかもしれません。



(おわり)





(本殿の真裏にあるスサノオ様のお社です。式年で綺麗になっていました。出雲で一番好きな場所です。)


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