これでいいのダ

心をラクに生きましょう。どんな日々もオールOKです!

整理整頓

2015-07-10 18:54:19 | 心をラクに
今年の後半戦が始まりました。
大祓いのリフレッシュとともに、職場も西から東へ変わり、公私ともども真っさらのスタートとなりました。

そんなこんなで、先週は引っ越し荷物の大整理をしました。

要らないものを棄てるという、ただそれだけのことなのに、存外これが大変な作業なのに驚きました。
皆さんも経験あるかもしれませんが、いざ棄てようとすると「まだ使える」「もったいない」と踏ん切りつか
なくなるのが最大のネックでした。
それでも普段から愛着のあるものだったらば良心が痛むのも仕方ないところなのですが、実際荷物を
ひっくり返してみると、使ってないものが多くてますます躊躇してしまいました。

お祝いに頂いた食器や、ちょっとした小物、そして洋服類...
思い返せば「せっかく頂いたのに申し訳ない」「何かに使うかもしれない」と、取り敢えず仕舞いこんで
いたものばかりです。
この「取り敢えず」というのが実にクセモノです。
まさに、問題の先送り。
そしてそのまま塩漬けとなってしまうわけです。

色あせてしまっている服も、「いや、部屋着で使える」と、“取り敢えず”仕舞ってみたものの、結局
そのまま着ることなく忘れてしまいました。
古着であればリサイクルに出せばいい話ですが、目の前にモッタイナイという言い訳がチラつくと、
後さき考えずにタンスへ押し込んでしまって、何となく解決した気になってしまったのです。

確かに、ボロになっても捨てずに着続けるというのはモッタイナイ精神にのっとるものですが、単に
タンスの肥やしにしてしまうのでは、それこそが本当のモッタイナイでしかありません。
もっともらしい大義名分に飛びついてフタをしてしまうのでは何の解決にもなりません。

そうした思いを断ち切るまでにかなりの時間がかかりましたが、あくせくするうちにあることに気が
つきました。

最初どこから手をつけていいか分からない状態の時は、一見したところ要らないもの(捨てられる
もの)など、ほんのわずかしかないように感じました。
そうして始めのうちは物がなかなか減らなかったわけですが、2巡目、3巡目と見直していくうちに、
要らないものが次々と目につくようになっていきました。
たとえば1巡目では「コレは使う」と思ってスルーしていたものでも、まわりを一つ二つと捨てた後に
あらためて全体を見渡してみると、フトそれが目につくようになったわけです。

つまり、まわりを片付けていくうちに、心の風通しが良くなっていったということです。

1巡目では自分の心が囚われていたため、ニュートラルな判断ができていなかったのでしょう。
その時は本心から必要と思っていた(見えていた)ものでも、環境が変わるにつれて心に映るその
姿が変化したわけです。
それは自分でかけたフィルターが薄まり、見えていなかったものが見えるようになったとも言えます。

思い込みというのは、執着の一つです。

まわりに激しく汚れたものがあると、多少のシミは気にならなくなります。
場合によっては、気がつかないほどです。
本来すべては無色透明ですから、それはそれ、コレはコレなのですが、無意識のうちに色がつくと
フィルターがかかってしまいます。
そして、そこにあるものが、そのままの姿では見えなくなったりします。
そうした夢見心地が、たとえばまわりの雑貨を取り除くことによって、ハッと我に帰り、初めて目に
入ってくるようになるわけです。

こうした整理整頓というのは、心の世界にも当てはまるものです。

信念や価値観というものは、自分なりの大義名分で正当化されていると、いかにも非のつけどころ
のないものに見えます。
考えるまでもなく真っ白であると思い込んでいるとフィルターがかかってしまい、自分では冷静に
なってるつもりでも、真実に程遠い姿しか映らないわけです。

見えているようで実は何も見えていない、ありのままの姿を映していない。
ある人は、これを眠っている姿に喩えました。
目を覚ましているつもりでも、実際は自分の夢を見ているだけだと。

だからこそ、先ほどの荷物整理の話のように、根気よく一つ一つ手放していくにつれて、それまで
映ることのなかった本当の姿が浮かび上がってきます。

もしかすると、そんな悠長なこと言わずにいっぺんに手放して身軽になりたいと思う方もいらっしゃる
かもしれません。
ただ、後ろ頭をガツンと叩かれるような余程の出来事でもないかぎり、それは難しいことでしょう。
要するに、自分自身を変えたいかどうかということではなく、本当に自分でそれを要らないと感じるか
どうかなのです。
手放すことに躊躇しているうちは、無理やり捨てたとしても、どこかからまた似たようなものを拾って
きてしまいます。

今の自分を変えたいというのは、自分を受け入れていないことになります。
今の自分をそのままで受け入れた時に、自分は、自然と変わっていきます。
こだわりを持っていようが持っていまいが、今の自分を受け入れるということです。

ですから、それを必要だと思っているうちは、無理に捨てなくていいのです。
慌てず、地道にコツコツ、色々な言い訳と向き合いながら、捨てられるものだけを少しずつ手放して
いけばいいのです。
そしてその言い訳に対しても、無碍に否定せず、そうだよねと優しく受け入れてあげるのです。

そうして1巡、2巡と流していくうちに、先ほどまでは絶対に必要と思ってたものが、自然に違った
見え方をしてきます。

もしも手放すことに罪悪感がある時は、これまでの感謝の言葉とともにサラッと見送るのがいいかも
しれません。
灯籠流しのように、流れ去る灯りをスーッと温かく見送る心境です。
俗な話に戻りますが、引っ越し整理でも私はこのやり方で、自分の未練を断ち切りました(笑)

また、荷物の整理をしているうちに、いかに隅々にまで心を向けられていないかも目の当たりにしま
した。
たとえば、ハンカチや靴下などは収納ケースの手前から出して使っていたため、奥の方は存在すら
忘れていました。
洗ったものをセッセとケースの手前にしまい、また手前から使っていく。
似たようなものだけを使い回していたわけです。
これは、意識の浅いところばかり綺麗にスッキリしたつもりでいながら、心の奥のほうは風通しが
悪かったということに通じます。

要は、何でもかんでも取り敢えずストックしておけば安心、という心グセがマズイということです。
収納ケースも、ギッチリ詰め込まなければ、風通しも良くなって綺麗に隅から隅まで心が届くわけ
です。

「捨て上手は買いもの上手」という言葉もあります。
あれこれ貯め込まず、隅々まで見えるようになると、無駄な買い足しをしなくなるということです。

耳触りのいい言葉や信念、信条、価値観や方便をセッセと集めて大切に仕舞い込んだりせず、
ドンドン手放して風通しを良くしていけば、真新しいフレーズを目にしてもサラリと流すことが
できるわけです。

もしも今この瞬間アレコレたくさん抱えすぎて溢れかえっていたとしても、途方に暮れる必要は
ありません。
なかなか手放せないからといって、自己嫌悪になることはありません。
手放すのを不安に思っているうちは、無理せずそのまま持っていていいのです。
なぜならば、それらは自然と色あせて見えるようになった時に、自然に手放せるものだからです。

こだわりや心グセがいくつもあるならば、まずはどれか一つを手放すところから始まります。
その一つにしても、最初からコレと決め打ちするのではなく、手放しやすいものでいいのです。
手放しやすいものいいのです。

あれもこれもと焦る必要はありません。
それ自体が、今まであれもこれもと抱え込んできた心グセそのものです。

些細なものであっても、心置きなくスパッと手放せるものからでいいのです。
一つが無くなるだけで、他のこだわりが少しずつ違った見え方になっていきます。

整理整頓をしていくうちに、サラサラと心の風通しが良くなっていきます。
知らず知らずにギュッと抱え込んでいたものが、ほのあかりとともに露わになってくるでしょう。

半年も経つとまた荷物が増えてしまっているかもしれません。
でも、そのつど整理整頓すればいいだけのことです。
荷物を増やすまいと気張る必要はありません。

世の中には何とかの法則やら様々な美辞麗句が溢れています。
もしそこに気になるものがあれば、正直に心を向けてもいいのではないでしょうか。
見まい見まいとするくらいならば、いっそ買い込んでしまった方がいいと思います。
優等生になる必要はありません。
この世界には、色々なことを味わうために来たのです。
買い込みたいものが自分の囚われや我執の象徴であるならば、それこそ買って仕舞って塩漬け
して、あとでタンスをひっくり返して整理すればいいのです。

そうしたときに手放すことが、自分の囚われや我執を昇華することになります。

押入れの奥からは怪しいダイエット用品や便利グッズが出てきたり、流行りもののドギツイ服が
出てきたりします。

あぁ!こんなの買ったよなぁ、と自分で自分を笑い飛ばす瞬間です。

それでいいわけですし、それがいいのです。
カラッとした笑いが我執を昇華させます。
いちいち自己嫌悪に陥ってイジイジと落ち込んでも、また同じことを繰り返すだけです。

捨て上手は買い物上手だそうです。

整理整頓しながら、人生を笑い飛ばしましょう。


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1 コメント

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不用品の送り先 (せきぐち)
2015-08-04 13:57:11
初めまして。不用品をもったいなくて捨てられない気持ちにとても共感します(^_^)/ なので、不用品をバザー品として送れる場所をお伝えします。
大阪府にある、『豊能障害者労働センター』では、4つのリサイクルショップを運営していて、バザー品はそこで売られています。売り上げ金は、主に障害者福祉(被災地の障害者支援を含む)に使われています。
 私も「ずっと長く使う」と信じて買ったものが、意外と使わなくなった、ということが、よくありました。以前はもったいないと思いながら、不用品を泣きたい気持ちで仕方なく捨てていましたが、今はここの労働センターに送れるので、とても嬉しいです(^^) それで、私と同じように、「使わないものを捨てられない」と悩んでいる人を助けたくて、多くの人に、ここの労働センターを教えているのです。
バザー品の送り先のHPは、http://www.tumiki.jp/bazar.html です。ここでは、一般のリサイクルショップで引き取らない物、他のバザー会場で売れ残った物も受け入れていて、それらはきちんと商品として販売されています。
また、ここの送り先を気に行って下さったら、知り合いの方にも伝えて頂けると嬉しいです。私は一人でも多くの「もったいなくて捨てられなくて困っている」方々を助けたいので(^^)
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