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つれあいが料理番組を見ている。誰かと思うとケンタロウ。楽しい料理で旨そうだが、残念ながらチーズもの。何かの本でダイエット中は乳製品がこの世に無いと思わなければならない、と書かれていて妙に納得したので、今回は見るだけで残念である。知識として刻んでおこう。
料理番組を黙ってみていると、意外に面白いことに気づく。僕は囲碁や将棋番組(どちらも趣味ではないのでまったくできないが)も好きであるが、そういう感じと少し似ている所為か。アナウンサーというのか、進行係と掛け合いになっており、楽しそうな雰囲気ながら、ちょっとぎこちない。ふたりとも俳優ではないので、演技をしているわけではないからであろう。そういうわけで、ある程度のシナリオどおり進行しているのだが、ちょっと踏み外すような場面がある。トーンが変わるというか、場の空気のようなものが少し変化する。危ういような、それでいて開放感があるような。僕にはそういうものが好ましいように思える。
ケンタロウも料理というものに「簡単・旨い」を基調にしているようである。それが結果的に「楽しい」なのであろう。簡単で本格派というのは一種のマジックなのだろうが、そういうものが鮮やかで、なんだか羨ましい。
僕は壇一雄ぐらいしか知らない(一人暮らしの時は彼の料理本が役に立った。もちろん読み物としても傑作である)のだが、男の料理は確かに楽しいのだろう。そういえば壇一雄の息子も料理するんじゃなかったか。ケンタロウの母親も有名な人らしいから、やはり料理の世界はある程度の伝統も必要なのかもしれない。
キャンプの時ぐらいしか能力を(火をおこすだけだけど)発揮しないお父さん族としては、何かひとつぐらい、と力んでみたくなる。そうしてせっかくだからといろんなものを買い込んで、本格料理などに挑んでしまう。普段仕事ではコスト削減をやかましく言われているにもかかわらず、大いに散財するのだろう。格闘した後には、掃き溜めのように台所を汚すことになる。
結局自慢したいだけだから、かえって嫌われることになってしまう。人のためでなく自分のためでは駄目なのだ。(多くの場合)女の人は偉いと思う。どうせやらなくてはならないのであれば、楽しくしようということなんだと思う。けなげにもともと料理が好きだとかいう人まである。人間性が高いに違いない。
僕は料理が好きだと思ってはいるが、僕が作る料理を食べたがる人は少ない。友達を呼んで大いに腕を振るったことがあるが、大量に残飯が残ってもったいなかった。残り物を自分で食べてみて、確かに感心しなかった。それに片付けが嫌いだから後回しにする。すぐに衛生面が危機的状況になる。黒くてすばやい昆虫を大量に飼育してしまう。ああいう生活をしていて生きながらえたのは、一種の奇跡ではないだろうか。だから事料理において、僕は封建的に「男子厨房に入らず」になっている。つれあいにも僕は何にも期待されていなくて、たまには手伝おうとすると、黙って座っているように懇願される。
ケンタロウは見た目はたいして色男ではないけれど、十分かっこいい人であると思った。こういう男がもてるのは、僕は嫉妬しない。変な薀蓄をたれず堅実においしそうは、理想的な家庭料理ではないだろうか。もちろん昨夜のチーズを使った料理が本当に美味しいのかは、もう少し体重が減ってからしか立証できない。まことに残念である。