カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

他人のブログが何故面白いか

2010-04-15 | 雑記
 他人の日記を読んで面白いかというと、正直言って面白い。おそらくブログ文化がこれほど浸透しているのは、書くことの面白さはもちろんだが、読んでもそれなりに面白いからだと思われる。厳密に日記だとのぞき見的な面白さもあるのかもしれないが、公開されているから、むしろ自己主張なんであるから、そういう問題ではない。知った人だと、なるほどそういう面もあるのかという発見もあるし、知らない人だって変なこと考えてやがるな、などと笑える。プロの文章でないから価値が無いのかというと、ぜんぜんそんなことはなくて、むしろプロじゃないから面白いともいえる。それはいったい何なのかな、と考えるのだが、つまるところよく分からない。
 面白い人に出くわすとそれなりに過去ログも遡って読んだりするが、たいていの人は更新した新しいもののみ拾い読みする。しばらく更新しない方はすぐに忘れられる。日々の継続性が一種の中毒性を生むのだと思う。よくネタ切れという話も聞くけど、ネタを考えなくてもいいように思う。まあ、そういう苦労の跡も面白かったりするからいいんだけれど…。
 僕もときどき書いたりするので批判するのは卑怯かもしれないが、あんまり主義主張が強すぎるのも考えものだ。例えば政治ネタなどは、あんがいつまらないものだ。自分の考えと違う場合はそれなりにウンザリするし、同じだったからといって気恥しかったりして。それに、なんというか普遍じゃないというか、世の中の影響で簡単に変わってしまう主張のような気がして白々しいのかもしれない。もちろん好みがあろうから好きな人はどんどんどうぞ。
 僕自身は日頃のことを書いているようで、あえて書かないということも多い。その代表格はPTA関係かもしれない。理由は簡単で、書こうとしても(実際に書いても)なんとなくウンザリしてそのつまらなさにUPするのを諦めてしまうからだ。たぶんそれは教育論のようなどうでもいいものが含まれているからだと思う。正しい教育があるのなら、それはすでに長い人間の歴史の中で確立されているはずであって、つまり今自分が信じていることなんて、どうでもいいことのように思えてしまうのだ。たぶん僕が正直に書くと怒る人も出てくるだろうと思うし、平和を愛する僕の主義に反する(嘘だけど)。そういう訳で実際にかかわっている時間に比例しないまま、現在にいたっている。そうはいっても書くかもしれないので、期待している人はお楽しみに。
 普遍的なことを書くべきかというと、ぜんぜんそんな必要はないのだが、ある程度はどうでもいいことの中に、あんがいそういうものがあるような気がしているのかもしれない。たとえば僕は焼酎のお湯割りが好きだが、お湯を先に入れて焼酎を入れないとなんとなく気分が悪い。水割りだと氷をたくさん入れて、焼酎を先に水を後にしてくれなければ機嫌が悪くなるだろう。そんなことどうだっていいじゃないかと思う人もいるだろうけど、絶対にどうでもよくないと断言したい。つまり何が言いたいかというと、そういう日々のどうでもいいようなことに、その人のどうでもよくなさがにじみ出てくるもので、そういうことの中にある種の人間的な普遍性を観る訳だ。それが面白い理由ではないか。と僕は考えているわけだ。
 ネタ切れだよ、とつぶやいている人は、悩むのは勝手だけど、僕のような読者がいることは、励みにならないだろうか? あえて言わせてもらうと、出来るだけどうでもいいことを書いて欲しいのである。僕の焼酎の話が面白くない人もいるだろうけど、それはあくまで引用でいっているだけで、人は何故かそのようなことをしてしまうしやってしまうということは、断然面白いことだと思う。なんとなくわかりますよね?
 ブログの面白さは、あんがいそのようなどうでも良さ加減ではないかと、思ったというだけの話でした。これからもよろしく。
コメント
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