プロフェッショナルで見て、素直に一度食べてみなくてはと思い立ち、注文した。
それにしても僕らが作っている米は、玄米で30キロ8000円程度でも立派な値段である。石井さんのコメはキロ1500円を超える。なんだかそれだけでも凄まじいインパクトだ。
有機農法での取り組みの大変さは良く分かる。自然な状態では草は生えてくるし、虫だって湧く。水田という形は既に人工的な環境ながら、コメが育ちやすいというのは、ほかの生命だって育ちやすいのである。そういう中で米だけを育てようとする試みは、それなりに無理をしているのである。また、米作りは地域の共同作業的な側面があって、一人だけ奮闘しても回りに迷惑を掛けてしまう。よっぽどの理解を得ない限り他の農家が有機農法でのコメ作りを許してくれないのである。つまりはっきり言ってしまうと、現代のコメ作りの現場では、本当に完全な有機農法で米作りをしているところなんてほとんど無いのが現実だ。趣味でやっている小規模なところはボチボチ存在するし、絶対に無理な取り組みとは言えないというのは理屈では分かる。しかし、その手間を考えると、そんな馬鹿らしい事をやって採算のとれる農家なんてほぼ存在できないのが現実なのだ。更に言ってしまうと、この値段で売れるほどのカリスマになれなければ、生きてはいけない世界なのだ。そういう奇蹟的な取り組みの後に生まれたシロモノだからこそ、これは食わねばならないのであった。
そうしてやっと口に出来たのだが、確かにほのかに深い甘みがあって本当に旨い。うんちくを知っているということもあるだろうが、やっぱりさすがの旨いご飯であった。
しかしながらもう少し客観的に評価するなら、実は他にも旨いコメはあるだろうと思う。これが絶対評価の最高の味であるとは言いきることは出来ない。お米が旨いというのは、それくらいの微妙な差でしか無いのも確かだ。この値段の差を知らないまま食べたら、ちょっと旨い飯、という評価をしてもおかしくない。やはりありがたく食べてナンボのお味なのかもしれない。
それでも奇蹟のお米であるというのはそうなのだろう。事実僕はこのコメを買って食べたのであるし、恐らく売れてもいるのだろう。そういう物語を含めて味わうことの出来るということが、食の豊かさなのだろうと思う。石井稔という人と、そういう人を認める事の出来る人達の存在が、このお米を支えている「味」なのであろう。