カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

アレルギー雑感

2011-12-14 | 雑記

 録画でアレルギー治療のものを見る。
 あえてアレルギーの原因となる食品を少量から摂取していく免疫療法が紹介されていた。食べると蕁麻疹が出る恐怖から泣いて拒否していた子供が、20日後にはおいしいと言って食べるまでになる様子が映し出されていた。ごく少量から始めて段階的に食べられる量を増やしていく。体の免疫反応の許容が広がっていくということらしい。患者の子供の母親も、実際の子供の変化に、なんだか不思議だと言っていた。狐につままれたような感じでもするのではないか。しかし実際に食べられるようになったのだ。
 他にもアトピーで悩んでいた女性の皮膚がみるみる回復するのは、単に薬を丁寧に塗り続けることを実行しただけという、ある意味で当たり前すぎて驚きの結果だったりした。僕も二十年以上水虫とつきあいがあるわけだけど(一時まじめに薬を塗って症状が出ていなかった時期もありはする)、やはり塗り続けるという単純さをやりきれていないだけなのかもしれないと反省する。
 それにしてもそんな単純なことを指導してこなかった医師の側の問題が大きかったという話は、なんだかなあ、という思いだった。単にその場で薬を実際に塗ってやるという行動を示すだけで、患者は同じように薬を塗れるようになるわけだ。
 しかしながら、考えてみるとこのような事は他にもあるような気もする。ちゃんと言っておいたから大丈夫だろうと思っていたら、実際には改善がなされていないまま問題が放置されていたような事はむしろよくあることなのではなかろうか。
 また、最近問題になった石鹸の小麦アレルギーの発症の件もなかなか考えさせられるものがあった。食べても問題無かったものが、皮膚から入ることにより異物としてアレルギーを起こすようになり、一度発症すると、食べても異物認識をするように変化してアレルギーを起こしてしまう。恐ろしい話だが、これからは様々な新しいものがつくられるにつれて、そのようなリスクは益々増えていくだろうとのことだった。新しいものが、生活を豊かにしていくのと比例して、人間の身体には、新たな脅威が増える可能性が高まるわけだ。要するに人間の身体という自然は、新たなリスクに対して、実は無防備は存在なのではなかろうか。
 僕らの身の回りの物は、事実上人工のモノにあふれている。また、そのような環境を作り出すことによって、人間の生活は成り立っているわけだ。どのように抵抗したところで、過去の環境に戻ることはあり得ないだろう。しかし人間の身体は、時にはその変化に耐えられなくなり、アレルギー反応を起こして拒否する意思を見せるのかもしれない。皮肉なようにも見えて、示唆的な事のようにも思える。生命としての人間とは、本当に面白いものである。
コメント
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