カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

引きこもりの日

2011-12-08 | 時事

 野田首相の年内の訪中の日程がなかなか決まらないという報道を見た。12月の13日が南京事件の日らしいということの配慮であるといわれている。
 僕も確か年末あたりに南京に行ったことがあって、道を歩いていると西洋人らしい人から声を掛けられた事がある。「あなたはもしかして日本人じゃないか」と心配してくれたらしい。恐らく連日テレビで南京の日本人兵の残虐ぶりを見ていたのだろうと推察される。
いつだったかは忘れたけど、抗日の日というのもあって、この日は日本人留学生は出来るだけ外出を控えるように言われたようにも思う。学校の大きな講堂では、やはり日本の残虐行為の映画を延々と上映しているようだった。もちろんテレビもそのようなドラマばっかり。変な発音の日本語や、「馬鹿野郎」とか「貴様」という日本語がたくさん聞ける日だった。普段は何にも身の危険など感じないが、抗日の日は盛り上がっているので、ひょっとすると、という感覚はあったかもしれない。
 しかしまあ、当時の僕は若かったので、せっかく南京に来たんだからということで、南京虐殺記念館でたっぷりと日本人の虐殺ぶりも見て帰った。さすがに心が痛むものがあったが、このあたりの事は複雑なので、意見は保留します。本物らしいしゃれこうべがたくさんあって、なかなか圧巻であったことは確かだ。
 そういう訳で、その日を避けるというのは、大人としては仕方のないことだと思う。
 しかしながらこれを日本にいる人がけしからんと考えるのもどうかとは思う。中国というのは抗日運動の末に出来上がった国だという、建国にかかわる問題である。いわば彼らのアイディンティティなのだ。日本人としてはお隣の国がそういう認識であることは愉快ではないが、そういうものを持たなければ現代の中国人というものが成り立たないということも、理解する必要があるのではないか。それは中国人としてもある意味で不幸なことであって、僕はなんとなく同情すらしている。日本人の多くは、たぶんそんな感情は必要がない。それは、ある意味で僕らの方が自由なのだ。
 自由な方が少し相手の事を考えてみる。そういう視点は特に外交には必要なんだと思う。むしろ日本の国内世論は、だいぶ考え方が偏狭になりかかっている気がしないでは無い。そういう余裕のようなものが無くなるのは、大人であることの放棄なのではないだろうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする