カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

異常なのはまともな証拠だ   ハサミ男

2014-03-21 | 読書

ハサミ男/殊能将之著(講談社文庫)

 多重人格は基本的には自分自身である。自分の中の違った側面は、普通の人でも十分意識的に持っているものだろう。そういうものが統合されて一個人の人格がある。普段は物静かで落ち着いている人が、些細なことで癇癪を起こして驚かされたりするという話は、その意外性においては目を見張るものがあるが、しかしそれが異常であるとまでは言えない。人というのはそういうものなのである。
 しかしながら本当に完全に人格が分離した多重人格者というのが居るらしい。それがこの物語のいわば主人公である。比較的最初からそのような異常性のあることは明らかにされているのだが、何故なのかはやはりよく分からない。猟奇殺人を無差別にやれることで十分に異常者であることは間違いなさそうだが、多少偏った考え方をしているとはいいながら、ちょっとしたオタク的な人には十分見られる傾向のようにも感じる。自殺(未遂)願望にはまったく何の理解もできないが、それでもそれなりに普通の生活を送りながら殺人の機会を、そして準備を整えていることが理解できる。まさに淡々と自分の趣味を楽しんでいるということかもしれない。しかし、その実行が自分ではなく他の人が行い、さらにその被害者の第一発見者になってしまうという状況に置かれてしまう。犯人が自分ではないと明確に知っているという状況と、このままでは余罪として他人の罪を背負い込む可能性が高くなってしまった。警察とは別に犯人探しをせざるを得ない状況というか、さらに第一発見という状況から、警察も知りえない状況証拠も掴んでいるという立場にあった。そのまま自殺を成功させることも可能だが、警察よりも早く犯人を割り出せるチャンスも持っているということのようなのである。
 物語は大きく警察の捜査と、このシリアルキラーとの話が交互に展開されるということになる。文章がこなれており違和感が無くこの状況にもなじんでいく。殺した後とはいえ、女性の喉にハサミをつきたてるという行動が何故必要なのかはよくわからない。もちろん、これはトリックのひとつと考えてもいいのだが、気持ちが悪く冷めた描写というものを除けば、いわば物語に身を任せて、最後の驚きの種明かしまで、身をまかせっきりにして読んでいれば済むことなのである。
 僕なりに思うことはある。しかしそれ以上に、実に良くできた物語であることには脱帽するより無い。ミステリファンなら言われなくても即読むべきだろう。だた、僕が持った印象というのは、人間の壊れ方がそれなりに冷めたものなんだな、ということだけかもしれない。そのほうが物語の効果が高いことは分からないではない。しかし、おそらく周りの人間もそうなのだが、実際にこの状況がかなりおかしいことは、平たく言ってこのまま異常を保てるほど容易ではないと感じているのではなかろうかということかもしれない。僕の仕事とも関係のある所為かもしれないが、社会生活が曲がりなりにも普通に送れるのであれば、それはかなり異常ではない。殺人を引き起こすことは異常だとはいえても、精神障害の持ち主が、冷静に事件を隠蔽できるほどの理性を持ってなしえるとは、やはり抵抗を感じてしまうのかもしれない。繰り返すがそれではお話が成り立たない。だから多重な人格が冷静になれるという設定でなければならないわけだが、そういうものを現実で思い起こすと、アメリカのような広大な社会ならいざ知らず、日本社会での成立がなんとなく危うく感じてしまうのであろう。完全に個人の感覚に過ぎないが、もっと人は冷静に異常でないからこそ、冷酷な殺人が可能ではないのかというのが僕の感覚なのかもしれない。異常者は、もっと簡単に足がついてしまうというのが、実際には現実的なのではなかろうか。それこそが本当に怖い人間性だと、僕は疑っているのである。
コメント
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