いつも帰り道には閉店しているので気付くのが遅くなってしまった。しかし、やはり何か様子がおかしい。あるべきところにあるべきものが無い。いや、建物はあるから存在がなくなっているという違和感ではない。損なわれて戻らない何かがそこから無くなってしまったのだ。
休日にいつもの愛犬との散歩コースを外れて遠回りして確認しに行った。そうしてやはりシャッターに張り紙がしてあるのを確認する。閉店する旨と、長らくお世話になりました、とそこには書いてあった。白紙にマジックで、少し引っかかりながら書いたような文字だった。痕跡はそれだけで、看板やその他のもろもろのものは、きれいにというか、全部剥ぎ取られてしまっていた。何の事情かは分からないが、その店は消失してしまった。
特に通っていた店というわけではない。比較的ご近所だけど、歩いていくのは少し遠い。さらに駐車場が狭い。昼時に数台の軽トラックが停めてあることはあるが、普通車では二台停めたらもう一杯になったような狭い感じだった。バイクもあるので出前もあったのだろう。そういう近所の店として利用している人がほとんどだったろうけれど、少なからぬファンが居たことも聞き及んでいた。どういうファンかというのはだいたい決まっていて、いわゆる元気な人である。
田舎の店ではたまにあるが、とにかくこの店の売りは量が多いので有名だった。何も言わないのにいつも大盛。常態化した特盛サービス。質より量とまでは言わないが、とにかく腹いっぱいに食ってもらおうという魂胆だったのだろう。
店の名前は「とんとん亭」といっていた。これはうろ覚えなんで間違いがあるかもしれないが、なんとなく「トントン亭」だった時期もあったように思うし「豚豚亭」だった時期もあるような気がする。最終的には看板に「東東亭」と掲げてあった。確かめたわけではないが、そういう気まぐれっぽい紆余曲折があったのか、単に僕がそのように勝手に頭をめぐらせていたのだろうか。キティちゃんのマークを勝手にメニューに使用していたこともあったように覚えていて、これは後に修正したようで、誰かに注意を受けたのかもしれない。善良そうなオジサンオバサン(年齢少し高め)の二人で切り盛りしていたが、客はたいてい黙々と漫画などを読みながら何のつながりも無く食うというスタイルが多かった。
時々一元さんが入ると、ちゃんぽんとチャーハンのような組み合わせをうっかり注文する。出てきて「うはーっ」となるわけだが、回りの人間はそれを楽しみになんとなく黙っているというのはあった。それでも無理して食うような客が、好ましい姿であったと思う。苦労して完食するような充実感が、味のひとつであったことは間違いあるまい。
メニューの名前もユニークなものが多かった。スタミナ定食というのが比較的平凡で、男前定食とかルンルン定食とかヤング定食とか恥ずかしげな名前が並んでいた。横に括弧書きで(ジンギスカン)とか書いてあって、それなら最初から…、などとは言ってはいけない。まあ、そういう洒落っ気が正直に伝わらないようなガサツさも、またこの店のいいところだった。
詰まるところなんでやめられたのかは分からないのだけれど、昼時はそれなりに繁盛していたようには見えた。学生街じゃないんだからむやみに多い必要は無かったのかもしれないが、やはりこういう無理のあるような特徴のある名店が消えてしまったことは、残念に思えて寂しいのだった。