日本人のための世界史入門/小谷野敦著(新潮新書)
ざっくり世界史を理解するというのでいいんだが、むしろ普通に習わない世界史についていろいろ考えをめぐらすということになるだろう。研究者やマニアで無い限り、綿密にその世界の歴史を学ぶ必要なんてほとんど無いが、日本はともかく、あまり馴染みのない地域の歴史となると、本当に歴史には疎いものである。近くても東南アジアのようなところは、あんがい以前は関係があったのに、今の人間にはまったく謎のようなことが多い。ニュースで聞いた事件の背景に歴史があることすら、まったく分からなくなりつつあるのではなかろうか。
実に当たり前の話だが、歴史というのは物語ではない。あとの人間がその歴史の振り返り方において、ほとんど勝手に物語っているだけのことである。人の場合には物語になる場合があるが、そのような個人史が、そのままその社会の歴史なのではない。しかしながら人間の癖ともいうべきものがあって、歴史だって物事を考えるときには、どうしても物語として理解しなければ覚えられないということもあるだろう。結局はざっくり理解のうえに、歴史上の物語を作らなければならない。いくら事実に沿ってそのような語りをするということであっても、事実上客観的な事実とはなりえなくなるということになろう。二面性の両面から意味を考えることは既に歴史なのかどうかも分からない。結局歴史が正しいことの根拠に置かれるような考えは、既にイデオロギーであるというだけのことである。
さてさてしかし、多少ひねていることはあるが、人によっては国の見方を変えることにもなるかもしれない。そろいもそろって歴史的にはひどい国が多いことよ。もっとも人間の歴史なのだからひどいのは当たり前だということは言えるが、強ければひどいし、弱くてもひどい。ひどいことばかり繰り返しているからいろいろ懲りて、そうして近年の一時の状態になっているというだけのことかもしれない。民主的だからいいということもいえないし、もちろん独裁だから何とか上手く言っているような変なバランスの国はあるにせよ、さらに不孝な状態を抜け出せない地域も多い。歴史が悪かったとも言えるし、いい歴史を作るのが人間の使命でもなかろう。その場の運で振り回される個人がいて、その中でささやかながらしあわせを探し出せたものが幸福であるということなんだろう。
基本的には面白い歴史面を考える上でのブックガイド、ということが素直な読み方だろう。西洋の宗教の絡んだ歴史というのはいまひとつ分からないところが今まであったわけだが、なんのことは無い、異教徒の僕が分からなくて当然ということも分かって有益だった。分からないなりに熱くなっている人々を、僕らはどうにも出来ない。歴史は傍観するから楽しいわけで、当事者の歴史はたいがいつまらない。繰り返すがこれが政治に使われるわけで、日本の不孝は近代の歴史ゆえのことだろう。僕らの何代下った世代だと、この不幸から脱することが可能だろうか。いっそのこと戦争でもやってひっくり返すか。まさしく過去の歴史がそうしてきたように…。