セデック・バレ/ウェイ・ダーション監督
評判は聞いていたが、長いので(4時間以上)少し敬遠していた。しかし、それもほとんど杞憂だった。前半後半という具合に分けてみても差し支えないし、実際の感覚として、たるんだところは無く、実にシャープである。情緒的な部分もしっかりあるし、一筋縄ではいかない物語ではあるけれど、やはり評判どおり素晴らしい作品である。
しかしながら実際のところ、悪人は日本人である。台湾を占領していたんだから当然ではあるし、悪く描かれているのは仕方が無い。そうではあるが、不思議と日本人である人間が観ても、日本人自身を嫌悪で蔑む目的で描かれていないことを感じることが出来るはずだ。もちろん中には唾棄すべき人間も描かれる。後にちゃんと殺されるわけだが、普通の復讐劇ならもっと残酷にねちっこく殺しても良さそうなところ、ずばりと殺してしまう。描写はえげつない所はありながら、しかし本当の憎悪でやっていることではないのである。人を殺すのが狩猟としてやっている感じなのだ。軍と関係の無い人も虐殺されるが、やはりそれはそれで悲惨ながら、壮快にやっているわけではない。深い悲しみを内包しながら、まさに自分らの誇りをかけて戦っている結果なのだ。
戦争だとかこのような動乱のようなものの動機に、正義というものがある。大儀ということでもよい。普通のそれは思想的なものであったり、あんがい都合的なものであるわけだが、時代において致し方ないものもあろうけれど、これがどうにもいただけないものが多いように思う。この物語の基本にも、このセデック族の誇りということになっているはずなんであるが、しかし厳密な意味で、現代的な誇りというものとは、少し違うのではないか。人間としての生き方そのもの。別段決まりで定められているわけではないが、代々そのようにして生きてきた、生き方というか定めというか、もっと根本的な生き物としての習性のような根本的なものが、現代的に言って「誇り」というような言葉で代用されているという感じではないか。近代では人は支配されても生きていくしかないが、野生動物が人に飼いならされないように、古代から生きている本来的な人間は、たとえ相手が人であろうと、支配されることは無いのである。
結果的には滅びの美学のような感じにはなっている。考えようによっては、無謀だし、愚かだ。しかしだからこそ、本来人間とはこのような崇高さを持っていたのではないか、ということなのだろう。
集団自決はするし、考えようによっては危険な思想なのかもしれない。強烈な共感と悲しい物語に心を打たれるわけだが、現代では既にいなくなってしまった人々だ。もちろん台湾人の中にはこの血が受け継がれている人もいるだろうが、精神が残っているものかどうか。日本人にだって、あるとすれば古代日本人の血が流れているかもしれないが、もう思い出されることは無いだろう。今は無くなってしまった人間の生き方がこのような映像で蘇る。CG全盛の世の中にあって、改めてこのような作品が世の中に出る。それもハリウッドで無く台湾である。映画の可能性がまたひとつ飛躍したような、強烈なスペクタクル巨編といってよかろう。