他人がどんな職業に就きたいかなどということにあれこれ言う気はさらさらない。職業に貴賤なし。泥棒などの犯罪(それはすでに職業とは言えないし)をするならいざ知らず、それでそれなりに生計を立てているというのであれば、他人が何をしようと知ったことではない。だからたとえば芸能人になりたいような人がいたり、それを夢にするような人がいたとしても、確かに自分の身内にいると少しばかり厄介な気分になりそうな予感はするにせよ、基本的に反対なんてことをするようなつもりはない。
そうなんだけれど、やはりそういう世界に足を踏み入れるというのは、単なる憧れというのでは、なかなかうまくいかないものがあろうかもな、と思うわけだ。もちろん強いあこがれもないことにはどうにもならんだろうけれど、なれる人は案外すんなりなってしまう人もいるだろうこともある一方で、やはり本当に苦労しても身にならない人が圧倒的に多数だろうな、とも思う。中には本当にロクに金ももらえずに、こき使われてポイと捨てられるような人もいるはずで、さらにだまされたりいじめられたり、精神的にも本当につらい思いをするような人もいることだろう。努力をしかたから必ず報いられるという保証はないし(これは他の仕事でも一緒かもしれないけれど)、さらに少しばかり生活の足しになるようなことがあった人であっても、その後それが保障されるとも限らない。そういう中にも長い間スターであるというような人も確かにいるが、そうでない人がいるからこそ、そのような人が君臨できるという社会というのは間違いなさそうなことだ。
しかしながらそれがたとえ不公平に映ろうとも、誰もがこの職業で飯が食えるわけではない。誰でもなれるような社会じゃないからこそ、一部の人がこれで生活を成り立たせていることもできるのではあるまいか。だから彼らは憧れられることもあり、そうしてそれを支えるようにして、ファンやそれを目指すというよう人をたくさん生み出すことになる。その循環に本当に付き合うことができるのかどうかということを、やはりある程度は考える必要があるだろう。
まあしかし考えてみると、これは特に芸能で生きる人々のみをさしているとは限らないのかもしれない。必ずしも憧れられるだけの存在にないような職業であっても、大成したり少なからぬ成功をしたり、さらにその仕事を継続して続けられたりということも含めて、うまく立ち回ることはそれなりに困難がつきまとうわけだ。そうであるならば、できるだけやりたいことをやってもいいじゃないか、という理屈にはなるのだろう。まだの人も手遅れみたいに感じる人も、等しく自分のやりたいことは、無理にでもやってみていいのかもしれない。