キリング・フロアー/リー・チャイルド著(講談社文庫)
放浪の旅を続けている元軍人が、たまたま気まぐれで長距離バスを途中下車して朝食を食っていると、銃を構えた警官に取り囲まれ逮捕されてしまう。たまたまその朝未明に起こった殺人事件の容疑者となってしまったのだ。当然身に覚えはないから冤罪を晴らさなければならない訳だが、異常なほどの推理力と強靭な肉体を持った元軍人は、どんどんスケールの大きくなるお話に巻き込まれ、巨大な悪の軍団と戦うことになっていくのだった。
後にシリーズ化されるジャック・リーチャー・シリーズの第一弾。ハードボイルド、アクション、ミステリの三拍子の揃ったテンポのいい文体で、ぐいぐい読ませる。まあ、ハードボイルド作品にありがちな、多少の都合のよさはあるにせよ、それなりにミステリとしての整合性はあるし、冒頭の意外な展開からの流れは見事である。娯楽に徹して恋愛劇まで盛り込まれてあるし、社会情勢ともそれなりに合致されている。主人公を取り巻く歴史も含めて、物語は縦横無尽に語られることになる。もうほとんど何でもアリだ。しかしながらそうでありながらもまとまりがあって、そうしてできうる限り派手で、たくさんの人が死んでしまう。良く考えてみるとこのリーチャーという元軍人は、凄まじい殺人鬼なんであるが、人殺しで爽快になるというアクション構成がさすがなのかもしれない。悪い人間を殺していったい何のためらいがあるのか。そういう異常性が、不思議と説得力を持って語られているという感じかもしれない。
こういう作品は娯楽に徹している訳だからどうこう言うのは野暮ではあるんだけれど、やはりこのリーチャーという男がスーパーマンすぎるというのはあるかもしれない。また、捜査においても彼が信頼する兄などの業績は絶対的に揺らぐことが無く、巨大な組織的犯罪が綻びなく運営されていることに、ちょっと地元警察は疎すぎるきらいもある。自分の彼女が勤めている組織だとはいえ、彼らはあまりにも無能すぎたのではあるまいか。それにいくらアメリカとはいえ、少なからぬ人がむやみに殺されている訳で、普通はもっと大騒ぎになってもおかしくない。リーチャーさんは自由に行動が出来ているけれど、恐らくそもそもそういう自由が許されることは無かったのではあるまいか。一言でいうとそういうリアリティに自然に目をつぶって楽しむにしかず、という作品で、あらを探しすぎると興ざめしてしまうかもしれない。しかし、それでも面白かったのは事実で、窮地に立たされても、様々な情報を見事に整理して推理を展開させる実行力は、なかなかのものなのであった。これはシリーズは買ってしまうのだろうな。と思ったことだった。