自宅に居て朝から民放などをみることは無いが、旅行中などは別だ。たまに人と同じ行動をとると、民放が目に入る。それでまあ驚くということは無いが、当たり前だがCMがうるさい。よくまあこんなものを見ているなという思いもあるが、しかしながら見馴れてないので、一体これは何だろう、と思うことがある。意味がまったく分からなかったり、何を売っているのか分からないというのがある。それでいいから忘れるけれど、そんなんで本当にいいのか。いや、それは良いに決まっているが、もう30年くらいCMを意識的に見ていないと、ちょっとしたウラシマ状態になるのかもしれない。
僕は日ごろ映画を観るからあんまり気にしてなかったかもしれないけれど、テレビに出てくる美人というのが、ずいぶん変わったような気もする。いわゆるあんまりかわいくないような人が増えたような気がする。それは普通っぽさかもしれないし、多様性かもしれない。または予算の都合かもしれない。それでも旬の可愛い人は居て、それは確固たるものかもしれないが、それ以外での可愛さというのは、確かにかわいいんだけど、角度的なもののような疑いを持ってしまう。一瞬芸としての可愛さというようなものを、彼女らは持っているのではないか。いや、可愛い問題だけでは無くてかっこいい問題ももちろんある。男たちは過去の映画スターなどに比べて、格段にカッコよく無くなっている。さらにそのカッコよさのようなものが、僕には良く分からなくなりつつある。記号としての二枚目の筈なのに、それは本当にそうなのか? という確認に時間がかかってしまう。
CMに戻ると、分かりにくいものがあるのと対比的に、分かりやすすぎてギトギトしているものもけっこうあるようだ。いわゆる小林製薬を代表する分かりやすさが、他にも一定以上あるように感じる。分かりやすさと分かりにくさが混じってどーんと流れていて、もっと無茶苦茶な圧力を感じる。CMで疲れて、そのまま見続けるのがつかれるような感覚がある。もういいかな、という気分に早くなりやすい。それは単に年の所為なんだろうけれど。