奇跡の教室・受け継ぐ者たちへ/マリー・カスティーユ・マンシオン・シャール監督
フランス映画。フランスは自他ともに認める世界で一番わがままな人々が暮らす国であるとされる。そういう前提は知ってはいたが、おおよそ日本の学校とは、その風景が全く違う。先生のそれはそんなに個性的ではないかもしれないが、学ぶ側の生徒の姿がまったく違うのである。いわゆる個性的という言葉でくくっていいものかどうかもわからない。勝手なことを言うだけでなく、はっきりと間違っているとわかる。無知なだけでなく、頭が悪いだけでなく、人間性がおかしいのである。しかし、教育とはそういうものだ、ということを言いたい映画なのだろう。
舞台は、貧困層のたぶん落ちこぼれ学級なんだと思う。問題児ばかりで、まともな授業が成り立たないこともある。そこで担任の先生は、歴史のコンクールのような大会にクラスで出場することを提案する。相変わらずまとまりに欠けて、なおかつその意義さえつかめないクラスの連中だったが、アウシュビッツの生き残りという人を招いて話を聞くと、その歴史の重みに心を打たれて改心する物語である。
実話をもとに作られた作品というのは胡散臭いという意味の代名詞だが、この作品もその一つであるように感じる。それというのも、素晴らしい話には違いないが、それはあくまで彼らが落ちこぼれだからである。アウシュビッツの生き残りの証言を聞いて、身が引き締まってやる気になるのは、何も落ちこぼれでなくてもそうなっていいはずだ。長崎市などは、繰り返し歴史の証人の話を子供たちに聞かせているはずである。その中で何かを感じる人はそうなるし、残念ながらそうならない人もいるだろう。
あるクラスの奇跡のお話ではあるが、しかしこのクラスにはもっと何かあっていいのではないか。自分たちはこのままでいたくない、とか、一大奮起するもっとキーになる生徒とか。
もちろんお話の中にはそのような頭のよさそうな子と、やっぱりどうしようもない子もいる。そういう苦労の話はいいとしても、結局賞を取ってしまうのはつまらないな、という感じだろうか。物語としては、実は落ちこぼれ学級だったんだよ、とか、これはおそらくだが、フランスでも有名な貧困地区の学校の快挙だから、映画になったということなんだろう。
子供にどのような教育を受けさせたいというのは、結局は大人のエゴである。さらに教育は、つまるところ洗脳である。そうであるが、個人としては、そのような環境にも耐えて成長することができる。それが学校というものだろう。まあ確かに、いい先生とのめぐり逢いは、人生に影響がないとは言えないけれど…。そうでない人にとっては、あこがれの映画なのかもしれない。