カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

私は誰かがわからない   シンデレラの罠

2019-01-25 | 読書

シンデレラの罠/セバスチアン・ジャプリゾ著(創元推理文庫)

 火事で生き残った女は記憶を失っていた。自分が誰なのかわからない。その時に焼け死んだ女とは友人だったようだし、世話を焼いてくれる女は、何か大きな秘密を抱えているようだ。何が何だかわからないが、それを教えてくれる人はない。火傷のせいで皮膚の移植を受けており、顔や姿はすっかり以前の自分とは違うらしい。また後遺症があるようで、まだまだ不自由である。そうであるのに会わせてくれる人はごく限定されている。どうしてもそれらのことを知りたくて、何とか世話をしてくれる女から逃れて、手紙に書いてある人物を訪ねてみるのだったが…。
 いわゆる名作といわれるミステリ作品らしい。読んだことはなかったが、このようなトリックは見聞きしたことがある。この作品がオリジナルなのかどうかは知らないが、そうだとするならば、かなり亜流の作品が量産されているに違いない。
 本人が自分が誰なのか知らないわけだが、途中で物語は大きく動いて、かなり明確そうになっていく。本人はまだ確信は持てないが、そっちのほうではないかという理由が、かなり明確になっていく。そうでありながら、また展開が変わり、新事実が現れる。そうなると、自分は又違う女でなければつじつまが合わなくなってしまうのではないか。そういうどんでん返しが、最後の最後まで続く。なかなかうまいトリックである。もっとも現代の科学捜査にあっては成り立たないお話ではあるのだが。
 金持ちがどのような生活をしようと自由だが、一度金持ちになってしまうと、金持ちの生活をしづづけなければならないのだろうか。いや、一種の典型的なわがままで自由な生活と言おうか。僕は女でもないからさらに思うが、こんな生活で本当に楽しいのだろうか?
 実は読みながら一番の疑問はそんなところで、登場人物は少ないし、かかわりのある人間であっても、みなずいぶん遠くにいる人が多すぎる。いわゆる家族関係のようなものが希薄である。金があればそれでいいのだろうか? よくわからないが、そんなことになると、トリックが面倒だったのかもしれない。いわゆる、少人数を欺くトリックなのであろう。
コメント
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