バトル・オブ・ザ・セクシーズ/バレリー・ファリス、ジョナサン・デイトン監督
70年代に実際に起こった事件、というか事柄を再現して性別を超えた優越の戦いという架空の価値観を検証したもの。実際にテニスの試合では、男女で優勝賞金の額が8倍もの開きがあった。見に来ている観客の人気から言っても、それほどの差があることが不当であるとして、当時の女性のチャンピオンであるビリー・ジーン・キングが反旗を翻し、独自の女子リーグを立ち上げて全米協会とたもとを分かつことから始まる。
そういう騒動の中、ビリーは夫のいる身でありながら美容師の女と関係を持ってしまう。そうして完全に恋に落ちてしまうのだ。そういう苦悩が混ざったためか、テニスの成績は振るわなくなる。もともと男性が強いか女性が強いか(もしくはどちらが優れているか)というような議論を高めて、ギャンブルで一儲けしようと目論んだ元男性チャンピオン(しかし55歳)がいて、ビリーが低迷しているときに女王(女子チャンピオン)になった選手と試合をして、大勝してしまう。これでやっぱり男のほうが優れていると息まいて、そう思いたい男たちが大勢気勢を上げる風潮になってしまった。そういうバカげた試合には構っていられない(実際茶番のようなものだし)と考えていたビリー・ジーンだったが、これは自分が真の女王である以上逃げられないと覚悟を決めて、戦いに臨むことになるのだった。
バトル自体は基本的にコメディのようなものだ。女性の権利であるとか、社会的に不当な扱いというのは、一見自由のある国の中であっても、なかなかそう簡単に解決できるものではなかった。もちろん今でもそのような問題は度々表面化することがあるわけで、ましてや、70年代の米国の文化であっても、公然と不当な扱いに泣き寝入りせざるを得ない女性たちがいたことだろう。その象徴たるビリー・ジーン・キングの半生を描いた作品なのである。
それにしてもだが、世の中にはこんなにも同性愛の人があふれているんだな。僕が観る映画の三分の一程度は同性愛が絡んでいるし、そうでなくても日常的にそんな題材を扱ったものばかり増えている。昔はちゃんと狙ったものが作品化されていたものだけれど、今はもう特にそういう特殊性を扱うようなものでは無くなっている。
劇中奥さんの部屋に入った旦那さんが、妻のブラジャーとは違うブラが落ちているのを見つけて妻の不貞を悟る場面があるのだが、同じようなシチュエーションになったとしても、僕には全然わからないことだろう。そのことに、いったいどんなサインを理解できるかなんて、あまりにも複雑すぎてわかりようがないではないか。
まあ、それはいいのだが、強い人もそうでない人も、とにかく大変である。試合そのものはコメディのようなものだが、これで勝ったり負けたりして優越があるということを延々と議論していることは、まったくの不毛だ。もちろん映画は基本的にそういうことに組したいわけではなかろう。そのような時代があり、そうして現代がある。日本は今、どこのあたりにいるのだろうか。