カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

作家には誰でもなれるというが…   おかしな二人

2020-05-22 | 読書

おかしな二人/井上夢人著(講談社文庫)

 副題は「岡嶋二人盛衰記」。岡嶋二人というのは推理作家のペンネーム。そしてその名前の通り二人が合作して推理小説を書いていたコンビの名前だ。僕はちょっと前に彼らの作品である「チョコレートゲーム」を読んでおり、そうして忘れてしまったけど、誰かがこのエッセイをほめているのを読んで、ああ、ちょうど読んだばかりの作者だな、と思ったから買ったのだと思う。チョコレートの方は、今となってはトリックに使われているものがいささか古くなっているけど、内容はなかなか読ませるものがあって、印象に残っている。
 岡嶋二人が出会ってからコンビを解消するまでのいきさつが描かれている訳だが、何と言ってもこの作品が面白く素晴らしいのは、推理小説をどうやって書いたのか、ということが惜しみなく披露されていることではないか。嘘ではない保証なんてないのかもしれないが、読んだ印象からは、これはもうかなり信頼していい本当の話ではないかと思わされる説得力がある。もともと執筆担当だった著者が、ほとんど素直に、そのテクニックのすべてをさらけ出している感が凄いのである。
 小説といっても様々なジャンルがあるし、作家の書き方というか個性のようなものがあるから、このような書かれ方をする作品というものが多数派であるかどうかは分からない。分からないが多くの作家が、その書き方を素直に正直に紹介しているなんてことは、ほとんど信頼してはならないことだと思う。実を言うと、そういうものをそれなりにいくつも読んだとは思うのだけど、いやそれはもう嘘じゃないかな、という感じのものが多いのである。ちょっとくらいは本当の話かもしれないが、作家だって人間であって自尊心があるし、それにもともとウソを書くのが商売の人たちである。全部が嘘ではないかもしれないが、一般的な作家の書いたものは、かなり嘘でくるんで自分の書き方を紹介している風にしか受け取れないエピソードばかりなのだ。いくらやり方を教えたところで、そのように誰もが書けるはずが無いという思いがあったとしても、同業ライバルだってたくさんいるわけだし、よしんばそういうことを意識してないとしても、いちいちしちめんどくさいことを言語化して紹介できるような力量のある作家なんて、ほとんど存在しないのではないか。さらに言うと、自分が一体どうやって書いているのか、自分でもよく分からない人だってたくさん居そうである。そうであっても作品は生まれてきたわけで、恐らくそんなことをしてもそんなに面白みを感じない作家たちが圧倒的に多数であって、これまでこのように紹介できる人がいなかったのではないか。そもそもそんなことをするより前に、小説を一つでも作品化したい欲求の方が上であろう。岡嶋二人については、その二人のいきさつをできるだけ正直に作品化しようという目的もあることで、著者はそれなりに正直に書かざるを得なかった事情が見て取れるのである。これはもう、奇跡に近い作品が、このように出来上がったのだというしかないように思う。実際の内容はなかなかにつらいものがあるんだけど(人間の葛藤としてという意味で)、創作記としての躍動と衰退が、実に見事に描かれた名作エッセイといえるのではなかろうか。
 ということですごく面白いが、しかしこれで作家をあきらめる人もたくさんいるんじゃないかな、と思った。とにかく作品を生み出すことも作り続けることも並大抵のことでないことが、ものすごくよくわかる。まさにそれを証明しているのが二人の作家のもう一人であるはずで、これだけ制作の一部である当事者であっても、一人の作家としては、その後作品を書いていないらしい。それはもう、このような体験をしたからということや、性格があるからということ以上に、作家という存在と、そうして作品を書き上げる能力というもののすさまじくハードルの高いことを、証明しているのだということだろう。
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