カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

一種の性善説の証明かもしれない   脳に刻まれたモラルの起源

2021-02-07 | 読書

脳に刻まれたモラルの起源/金井良太著(岩波書店)

 副題に「人はなぜ善を求めるのか」とある。哲学的な問や道徳などのようなものは、数量化しにくく、科学では扱わないとされてきた。しかしながら、脳科学研究においては、そのような倫理的なもの事であっても、科学として研究できるようになっているらしい。そうしてそれらの研究で明らかになってきているのは、人間が善などをもともと欲している生き物であるということであるらしい。また、人間の求める幸福というようなことであっても、どのような状態に置かれると、その幸福度が高まる、ということもある程度分かっているのだ。では即誰もがそのように幸福になれるのか、という考えを持つ人もいるかもしれないが、分かっていても、そのように幸福にたどり着けるとは当然限らない。やはり条件があって、やり方が分かっていてもそれらに達しない人がいるらしいことも、これを読むと分かるかもしれない。
 近年道徳などの科目であっても、教育的に重要で、もっと時間を割いて教えるべきだという意見が強くなっている印象がある。要するに教えられていない子供が多く育ち、大人になってしまって、モラルが低下していくのではないかと懸念している人がいるのだろう。もちろん印象として、そのようなモラルは教育的には育まれる可能性は感じられる。ところがそのような善意ある人間を育てるというよりも、そもそもそのような善幸のようなものを、人間の脳は欲しているのだという。教わる前に良いことを行うことに、そもそもの快感や喜びがあるのだ。そうだとすると倫理的な教育を受けることは、単なる快楽のようなものなのではないか。もっとも過去に倫理や道徳を習った時間が、楽しかったという印象は無いのだが。
 確かに収入が増えることは幸福と無関係ではないが、むしろその前に働くということ自体が、人間の幸福度をあげている可能性が高い。さらに収入が増えていったとしても、一定以上になると、もうそんなに幸福度が上がるわけではない。むしろ自分に近しい周辺との比較においての差があることが、幸福度の高い低いに影響がある。そうしてさらにそれよりも、社会とつながり、孤独ではなく、社会との貢献度が高いことこそ、個人の幸福度は上がるのである。さらに目標のようなものへの達成度が幸福度を上げていくわけで、当たり前だがそのような生活を組み立てていくことで、個人の幸福は変化するのであろう。
 薄い本だが、コンパクトにそれらの根拠がまとめられており、下手なビジネス書を読むより、仕事や勉強にやる気がおこるかもしれない。また、そもそも高い倫理観を欲しているにもかかわらず、そのようなことをしないひねくれた人間のいることにも、なんだか不思議さを感じてしまうのだった。現実に人間は複雑な感情を持つ生き物で、その複雑さそのものを克服する必要があるのかもしれない。
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