圧倒的な兵力の差があるとされたロシヤとウクライナの戦いだが、現在は長期化し膠着した状態が伝えられてはいるものの、予想以上にウクライナが持ちこたえているともされる。そのようなウクライナの前線で戦っている多くのボランティアを紹介したドキュメンタリーを見た。
実際に前線近くのまちでは、廃墟の工場内を本部にして、さまざまな市民ボランティアが集まっている。彼らはそもそも兵士ではなく、元建築家や教師など、前職は様々である。彼らが戦況を分析し、西側の武器供与を工夫して使い、ドローンを飛ばし、3Dプリンターを使って足りない部品を製造したりしている。また、元兵士が率いて、前線に部隊として作戦を展開させる役割を担っているものさえいる。専門の兵士として訓練を受けているわけではないので、兵士として上官の指示に必ずしも忠実ではない場合があるものの、彼らは自分の考えをもって、どのように戦うかを模索しながら、着実にロシヤ兵を一人でも多く殺そうと試みていた。
そもそも独立して30年になるというのに、ソ連時代からの流れや風習は無くなっておらず、開戦前からウクライナの人々は、ロシヤから虐げられていた過去があるようだ。ロシヤ内でウクライナ語を使うだけで、下に見られたりいじめられたりすることがあったという。そういう上下関係にうんざりしながらも、以前はロシヤに出稼ぎのようにして働かざるを得なかったりした。開戦後はウクライナに戻り、ロシヤと戦うことにした人もいた。また現在ロシヤに侵攻を受けて家族がそのまちに留まっているものもいる。なんとか家族を救い出すために戦わざるを得ないものもいる。逃げ遅れているだけかもしれないし、占領下にひどい目に合っているかもしれない。戦うことは、切実な問題なのである。
また、ロシヤ人のことは人間とも思っていないことも語られていた。憎しみが深くそのように言っているということもあるが、相手を殺す立場において、そのように戦意を引き立てているということかもしれない。戦況が上がってロシヤ兵の死者数が発表されると、皆は心から喜んでいる。そのような心境になるなんて一般市民時代には考えられないことだったが、今はすべてが変わってしまった。もう元には戻れない、ということなのだった。
そうであるからこそ、まだウクライナは負けたわけではない、ということはよく分かった。同時にこれは、戦争が終わらない、という事でもあるようだ。命を懸けて戦い続けるということを支えているのは、そのような市民感情があるからなのである。そうして市民ボランティアの兵士が絶えない以上、西側の支援も続けられていくということなのかもしれない。