僕は食にうるさいとかグルメとかいうのではない。しかしながら、別段不味いものを好んで食べるということもない。そんなことは当然だとは思うが、しかしながらせっかくだからうまいものを食べたいというのは、人並みにはあるはずだと思う。日々の食事は楽しみだし、おいしいものを食べるというのは、ささやかなる幸福である。
他人と比較してどうなのか、というのはよくわからないのだが、例えば外食をする機会があって何かを食べるわけだが、これは最初にビールで乾杯などをして、それさえ済めば、あんまり食べるものはどうだっていい気分では普段はいる。そうなんだが、その時の自分の体調のようなものがあるのか、何かその店と相性のいいことがあるのか、忽然と食べ物に集中したくなる時があるのである。はっきり言って何もかも旨く感じるというか、味覚が冴えわたるというか。気が付くとバクバクと食いついており、いくつもの皿が空になっている。僕はおしゃべりだからその間も絶え間なく話をしているはずだが、話をしながらでも食べ物はちゃんと咀嚼しており飲み込んでいる。廻りの人間も同じようにバクバク食べているのならともかく、明らかに自分だけ非常なペースでもって食べてしまったようなときには、さすがに何か自分でも呆れてしまうような、気恥ずかしいような気分に襲われている。そうなんだが、旨いというのはそれだけ魔術的なものが潜んでおり、安易に止められるものではない。
そういう時の食べ方というのは、やはりあまりよく噛んでいない気もする。例えば「カレーは飲み物」という言葉はよく聞かれるようになったが、だいたいにおいてカレーは、あまりよく噛んで食べられるような食べ物ではない。一所懸命よく噛もうとしても、スルスルと食道の方へ消えて無くなってしまう。だから次の動作としてスプーンを動かさなくてはならなくなって、カレーもライスもいつの間にか皿の上から消えている。実際は飲み物だとはみじんも思いもしないが、上にカツなどが乗っていない限り、あまりよく噛んで食べるものではそもそも違うのである。
さてしかし、旨いものならよく咀嚼して味わうべきもののようにも感じられるのだが、無意識ではそれはあまりできていない。何故かというのはあまり考えないが、旨いものを食べているときには、何故か忙しいのではないかとも思う。食べることに忙しくなって、よく噛んでいる余裕を失う。だからいつの間にかやはり食道に逃げてしまうので、次のものを口に放り込まなければならない。これはもう忙しい。だからやはり早くなる。そうして気が付くと、あらかたもう食べつくしている。そうして呆然とする。これはもうある種の悲劇である。しかしながら旨かったのだから、救われない話ではない。単に過ぎ去った幸福だったのである。