カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

日本の希望/風に吹かれて豆腐屋ジョニー

2006-10-14 | 読書
風に吹かれて豆腐屋ジョニー/伊藤信吾著(講談社)

 世の中にはけっこう変人がいるものだ。しかしながら変人でありながら社会的に成功するのは大変ではないかと思ったりする。いや逆に、一定以上の社会的な地位を確立すると、変人ぶりがかえって愛嬌になる場合はあるだろう。そうではなくて、変人だからこそ道を切り開いていけるということがあるという奇跡のような物語があったのである。少なくとも、本田宗一郎だけが成功した日本を代表する変人ではなかったのである。
 豆腐は日常的に食べる。爆発的に旨いわけではないが、しみじみうまい食材だ。冷奴なら多少醤油をかけて食うけれど、醤油をかけなくてもそれなりに旨い。湯豆腐も旨いし、麻婆豆腐も大好きだ。変わりものなら沖縄の腐り豆腐(「豆腐よう」と言うらしい)も珍味だ。厚揚げも、ついでにオカラもけっこういける。甘くなければ豆乳も旨い。
 しかしながら男前豆腐は、これらのどの豆腐とも違うものだ。ひとことで言うとものすごく濃い。値段は特価品の10倍ぐらい(300円)するけれど、ものすごく旨いことは確かだ。旨いだけでなく、どうにも変わっている。僕が食べたのはこの本の表題と同じ「風に吹かれて豆腐屋ジョニー」である。食ってみてそれなりに感心し、どういう工夫があるのか、興味が湧いてこの本を手にしたわけだ。
 最初はウケ狙いなのかな、とも少し思った。しかしそんな考えが根本的に違うことに気づかされる。いや、ウケは狙っている。楽しんで狙ってはいる。しかし、そういう側面だけでは解けない謎が、いかんなく紹介されている。はっきりいってかなり凄い。これってものすごく日本人くさい。だけれど凄く新しい感じだ。どんどんいくところまで行ってしまって、それでも遠くに行くわけじゃない。これはウケなきゃ損である。がんばれっという気持ちと、なんだかもりもり力が湧いてくるような、躍動感に満ちている。閉塞感の微塵もない世界。ちょっと次元が違うところに行き着いている感じだ。偉い。
 正直に言うと、男前豆腐の価値観自体が憧れるほどかっこいいとは思っていない。僕の好きなデザインでも全然ない。しかし本当に共感できるのだ。
 僕は宝塚やジャニーズという世界は、冗談としては面白いと思う。しかしながらあれがかっこいいというのはダサいと思っていた。別に嫉妬して言っているわけではない。あれが好きな人は別にかまわないけれど、遠くの世界でがんばって欲しい。別にハーフの人には何の恨みもないけれど、芸能人にそういう関係者が多いということに、決定的な価値観の違いを感じる。それじゃ駄目なんだよな、と漠然と思っていた。別にそこだけ共感したわけではないが、この人も同じようなことを考えていたようだ。なんだかとても嬉しい。かっこ悪いけれど、とてもいい感じだよ。
 こういう世界は主流ではないかもしれない。しかし着実に支持を広げていくのではないか。亜流だって生まれるだろう。しかし生き残るのは結局この考えを本当に理解した人だけだろう。そうしてもっとごてごてしたり、ごつごつしたりしていろんなところから顔を出したらいいと思う。お互い「ああ、やられた」とか「おーし、こんちくしょう」とか思うような世界が開けたら、日本の未来は安泰ではないか。まあ、日本だけでなくてもいいんだけれど、日本人には向く世界なんじゃないかと思う。面白くなってきたなあと思うのである。これはもうすぐ次の伊藤さんが生まれてくるよ、きっと。僕は希望を込めて確信したのだった。
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事実と世界観に衝撃を受ける

2006-10-13 | 時事
 ケンタロウ話題が続いて恐縮だが、彼のブログを見ると「アラビアン焼そば」の紹介があって激しく心動かされる。焼そばはそんなに好きではないので食べたいという欲求ではない(まあ、食べてみたいが)。千葉でしか売れないという現象である。日本も捨てたもんじゃないなあと誇らしくなるのはこういう事件だ。これだけ多様な特徴と文化を内包しているからこそ、日本という底力があるのだと思う。漁師がまとめ買いするって想像するだけでも、ものすごく楽しい。
 
 まったく違った衝撃だが、平川社長のブログでも驚く。「李さんの意見」は個人的だと断ってあるが、けっこう驚くべき認識ではないか。だから韓国人はどうこうなどと考える前に、既に毒されて疑えない自分の立場に気づいて驚くのだろうと思う。彼は一人で戦ってたんだ…。こういう感覚が分からなくなったのは、生まれながらに属国に暮らしている所為なのだろうか。もう少しこの問題は考えていくと面白くなりそうだ。世界は広いなあ、と改めて開眼した。
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朝礼暮改もいい意味で修正主義

2006-10-13 | ことば

 実は昨日のブログに最初は誤りがあった。「ケンタロウ」のことを「ケンシロウ」と書いていた。書く前に一応ネットで検索してちょっとばかり確認していたのに、「ケンシロウ」と思い込んでいた。ちなみに僕は「北斗の拳」はほとんど読んだことがない。アンチジャンプだったのだ。
 子供の二学期制についてどう思うかというアンケートに「違和感」のところを「異和感」と書いてしまった。まったく間違いの自覚がない。
 考えてみるとこういう間違いを日常的に犯しながら生活しているんだと思う。寅さんではないけれど、思い起こせば恥ずかしきことの数々である。
 ミラーマン「植草一秀」のことも、何故か「植島啓司」だと思っていた。字面をよくみると似ているようで微妙である。大学教授という共通点はあるにせよ、かなり違う立場の人のようにも思える。報道があったときも、「ああ、あの植島という人も懲りないな」と思ったので、二度にわたって修正できていなかったのである。思い込みというのは恐ろしい。
 「定石」をテイセキだと思っていたので「ジョウセキ」と発音する時はなんとなくドキドキする。萌芽を「ホウヤ」だと思っていたので、なんども辞書を引いて確かめる。辞書はたくさん持っているが、いろんな辞書に萌芽を調べた痕跡が見られる。授業は「ジギョウ」だと思っていたので、ワープロでなかなか変換されない。鳥瞰図をカンチョウズと言っていた頃があって、聞き流していた人たちは何を想像したものだろうかと心配だ。
 思い込みというのはなかなか修正が難しい。気づいたときにはガツンと衝撃を受ける。はっきりいってかなり恥ずかしい。
 間違いに気づいた折にはやさしく指摘してくださいね。速やかに修正いたします。
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男子厨房に入らず

2006-10-12 | 

 つれあいが料理番組を見ている。誰かと思うとケンタロウ。楽しい料理で旨そうだが、残念ながらチーズもの。何かの本でダイエット中は乳製品がこの世に無いと思わなければならない、と書かれていて妙に納得したので、今回は見るだけで残念である。知識として刻んでおこう。
 料理番組を黙ってみていると、意外に面白いことに気づく。僕は囲碁や将棋番組(どちらも趣味ではないのでまったくできないが)も好きであるが、そういう感じと少し似ている所為か。アナウンサーというのか、進行係と掛け合いになっており、楽しそうな雰囲気ながら、ちょっとぎこちない。ふたりとも俳優ではないので、演技をしているわけではないからであろう。そういうわけで、ある程度のシナリオどおり進行しているのだが、ちょっと踏み外すような場面がある。トーンが変わるというか、場の空気のようなものが少し変化する。危ういような、それでいて開放感があるような。僕にはそういうものが好ましいように思える。
 ケンタロウも料理というものに「簡単・旨い」を基調にしているようである。それが結果的に「楽しい」なのであろう。簡単で本格派というのは一種のマジックなのだろうが、そういうものが鮮やかで、なんだか羨ましい。
 僕は壇一雄ぐらいしか知らない(一人暮らしの時は彼の料理本が役に立った。もちろん読み物としても傑作である)のだが、男の料理は確かに楽しいのだろう。そういえば壇一雄の息子も料理するんじゃなかったか。ケンタロウの母親も有名な人らしいから、やはり料理の世界はある程度の伝統も必要なのかもしれない。
 キャンプの時ぐらいしか能力を(火をおこすだけだけど)発揮しないお父さん族としては、何かひとつぐらい、と力んでみたくなる。そうしてせっかくだからといろんなものを買い込んで、本格料理などに挑んでしまう。普段仕事ではコスト削減をやかましく言われているにもかかわらず、大いに散財するのだろう。格闘した後には、掃き溜めのように台所を汚すことになる。
 結局自慢したいだけだから、かえって嫌われることになってしまう。人のためでなく自分のためでは駄目なのだ。(多くの場合)女の人は偉いと思う。どうせやらなくてはならないのであれば、楽しくしようということなんだと思う。けなげにもともと料理が好きだとかいう人まである。人間性が高いに違いない。
 僕は料理が好きだと思ってはいるが、僕が作る料理を食べたがる人は少ない。友達を呼んで大いに腕を振るったことがあるが、大量に残飯が残ってもったいなかった。残り物を自分で食べてみて、確かに感心しなかった。それに片付けが嫌いだから後回しにする。すぐに衛生面が危機的状況になる。黒くてすばやい昆虫を大量に飼育してしまう。ああいう生活をしていて生きながらえたのは、一種の奇跡ではないだろうか。だから事料理において、僕は封建的に「男子厨房に入らず」になっている。つれあいにも僕は何にも期待されていなくて、たまには手伝おうとすると、黙って座っているように懇願される。
 ケンタロウは見た目はたいして色男ではないけれど、十分かっこいい人であると思った。こういう男がもてるのは、僕は嫉妬しない。変な薀蓄をたれず堅実においしそうは、理想的な家庭料理ではないだろうか。もちろん昨夜のチーズを使った料理が本当に美味しいのかは、もう少し体重が減ってからしか立証できない。まことに残念である。
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世間はどうでも機嫌よく飲む

2006-10-11 | 雑記

 百姓の季節が始まって少し労働。しかしながら機械の故障続き。ほとんど何にもできなかった。業者さんを呼んでいろいろと症状を聞く。まあ、金がかかるということはよく分かった。将来的にもどうこう(つまり、ついでに直しておけという意味)などと聞いていると頭が痛くなる。メーカーも必死なんだな。早急のものだけ、こまめに修理を選択する。
 さて、夜は例会。講評したのでコメントはパス。いい流れだったんじゃないか。
お隣(T岡会計理事)は出張から帰ってこなかった様子で、専務理事との不仲説は深まるばかりだ。
 マインドボックスでのTきちゃん発言も、シリアスだと(最後は何かオチるんではないかと思っていた)最後まで気づかなかった。ま、馬鹿げた事件だ。しかし個人的には、過剰に反応してもどうかな、とは思う。事件をおこした人の想像力のなさに呆れはする。しかし、それは一般化できない。会としてどうだ、というのは、軍隊みたいじゃないか。
 飲酒批判騒ぎは酔っ払い帝国の振り戻しかもしれない。酔って無礼講なんてもともと嘘なんだけど、若いから分からないだけである。つまり、酒とは無関係だろう。酒屋が被害を受けたり飲み屋が困ったり、まあ、とばっちりである。経済効果はどうでもいいけど、幼稚な世論にはげんなりだ。じゃあどうするは他人に聞くことではない。自分がどうするかだ。
 跳ねてメシ。A山さんは退院後久しぶりのビールといって喉を鳴らしていた。僕は労働のヨロコビで激ウマのビールを堪能した。辛抱が喜びを深くする。しみじみそう思う。
 食ったのは「シャポー」のコース料理。オードブルからピザにスパゲティ、生ハムサラダにおでんなんかもあったりして実にバラエティ。8人だったので4人前頼んで、ビールの後にワイン飲んで、そのあと焼酎飲んで大目の割勘3500円。バクバク食ったけど食い切れない。客の方が心配になる店である。
 最近では珍しく2次会。O方君も副委員長復帰らしい。少し腰が引けていたが、覚悟を決めるように。逃げる奴は結局本当の友人なんかできないよ。適当な奴に心を開くお人よしなんて、存在するわけがないじゃないか。JCができるからといって仕事ができるとは限らないけど、JCもできなくて仕事ができることもまずありえない。学者なら別だが、人間関係も構築できないで仕事ができているというのは、誰かが犠牲になっているだけだということを気づかないデリカシーだということだ。仕事か家庭か、なんて設問もあるけど、なんで分けて考えるんだろう。どっちかを選択するから失敗するのである。
 深酒しても気分良かった。この気分の良さが酒飲みに必要な節操なのであると思う。喧嘩もしないで、よかったよかった。
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事実上の敗北感

2006-10-10 | 時事
 北朝鮮の核実験には憤りを通り越して呆れてしまう。北のニュースのコメントでは、西側諸国は実験の成功にエールを送るべきなんだそうだ。なるほど、ものはそういうふうにいうこともできるのかと、少し感心すらする。頭にはくるが、面白い文法だ。
 しかしながらちょっと脱線して思うと、いくら抗議しようが平然と核実験を繰り返してきた、米国・ロシア・フランス・英国・中国などの国は、同じ様なことを言ってたんだよな。結局核保有国は一緒なんだよなあ、と思うのである。北朝鮮は脅威の度合いが違うといっても、それは日本の都合である。国交がないのでそう思っているだけで、韓国などは日本より覚めてみているんじゃなかろうかと思う。
 太平洋戦争(ま、いろいろ言い方はあるが、とりあえず無感覚に使う)を仕掛ける前の日本も、西側諸国には今の北朝鮮のように見えたのだろうと思う。これだけ追い込まれると、後は仕掛けるより選択がなくなっていくのだろう。制裁に譲歩するというような駆け引きに応じるのは、アジア以外の西洋思想ではないかと思ったりもする。リビアとかそういう国なら、結構簡単になびくもんね。これにはそれなりにあきれるが、彼らのルールではアリなんだろう。
 日本は散々経済制裁されて、自由ってなんだろな、とそのたびに疑問に思っていたけど、牛肉などで仕返ししてみると、けっこう快感なんだと気づいたわけだ。それでもあれは直接的な行動なので、不当な制裁と一緒にはできないものではあるが…。
 まあ、はっきりいって、いじめの効果がかなりあるんだということは分かってきた。米国の金融制裁って破壊力あったんだと、正直に驚いている。
 しかしながら日本国民が密かに期待しているのは、米国の具体的な行動だろう。軍事施設に空爆するなどの案があるなど、ちょっと前からささやかれだしたが、表面上米国は、あくまで慎重な姿勢を見せている。日本の報道は少しそういうところにも不満げな感じもする。自国のことでもこういう人任せな姿勢ばかりの体質は、やっぱり変わらないものらしい。
 更なる制裁の掛け声はつのるが、もう日本のやれる範囲はやりつくしたところじゃないか。米国どうすんだよって、はっきり言えばいいじゃないか。そうでなければ、素直に無視しとけばいいのだと思う。
 少なくとも彼らは、ある意味で日本を無視しているのは明らかだ。彼らも米国どうすんだって言っているわけで、皮肉にも日本にもそういう声が出て欲しいと思っているはずなんだと思う。勝手に変な同盟関係を作りやがってなんてことだと思うのだが、むちゃくちゃなりに彼らはよくやっているということでもあり、結局日本は敗北したのだと思うのである。彼らの方が、戦略は上のようである。残念ながら、日本の外交カードは尽きてしまったのである。
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危険な道

2006-10-09 | 雑記

 今まで誰からも何も教わったことがないとは言わない。しかし、何を教わったかというと、なんとなく明確化できない。数学や英語やなにやら、実にいろんなことを学んできて、身につくかどうかと言うこともあろうが、確かにいろいろ教わったようである。結果的に意識的か無意識かということもあるだろうけれど、経験的に身についたものは、それなりにあるはずであろう。
 いわゆる師匠のような先生もいて、それなりに影響も受けた。N野先生はその代表格だが、教わったのは、多分大げさに言って精神の自由だった。年齢的な時期もあろうが、僕はあれから自由になったのかもしれないと思う。先生はちっとも先生らしくなくて、僕らもちっともまじめじゃなかった。僕は本当のことを知りたいと望んでいたが、本当のことなんて甘い夢だった。
 さて、わけがわからないので先にいくと、しかしながら多くの場合、あんまり何を教わったという記憶は希薄だ。それは由々しきことのようにも思えて、実のところまっとうでもあるように思う。教わったことが決定的に自分に影響があったなら、誰かのせいで現在の自分が形作られていることになる。僕らはそんなに単純ではないだろう。
 ところが雑誌を読んでいて、改めてうーむ、と思わず唸った。
 養老先生が弟子の布施さんに「安全な道と危険な道があったら、危険な方を選べ」と教えたという。これはちょっとわかりにくいかもしれないが、本当に弟子のことを思って言われたことなのである。
 自分にとって本当によいことは、危険な道にある。なぜなら、そこを選ばないと成長できないからだ。安全な道を選んだ時点で、何かが終わってしまうのかもしれない。まあ、僕なりの解釈だから、実は違う意味かもしれないけれど、そういう風に思ってくれる師匠というのはありがたいものではないか。
 親も子のことを本当に思ってくれるだろうが、なかなか師匠にはなれない。それはこういうことをなかなか言えないからではないか。ライオンの親の話もあるが、崖から落とせる親は、多分変人だ。「かわいい子には旅をさせよ」とは、修行させたり、つらいことをさせても一定期間放っておけ、という意味だろう。今の親なら金を出してやって、本当に楽しい旅行をさせかねない。意味がないとは言わないが、解釈は誤りだ。
 僕の目の前に危険な道があるとして、安全な道との選択だと考えることができるだろうか。僕に言われた言葉ではないが、僕はこのことを考えなくてはならないと思う。教わるというか、学ぶ姿勢というのは、たぶんそういうことなのであろう。
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九ちゃん、欽ちゃん、どん兵衛

2006-10-08 | 雑記

 あれはまだ僕が小学校低学年の頃だったと思う。夏休みに学校のプールが開放(今思うとある程度時間は決めたれていたのだろうが)されていて、海パンにバスタオルをまとって学校に通っていた。目的ははっきりしているのだから、いちいち着替えるのが煩わしかったのだろうと思う。そうやってプールで遊んで帰る途中に、道でばったり「坂本九」に出会った。
 いや、正確には人だかりがしていて、何だと覗くと坂本九が僕に話しかけてきたのだ。普通の住宅街になぜ坂本九がいたのか不思議なのだが、テレビ局のような取り巻きはいなかったようにも思う。大人がたくさんいた中に僕のような水着だけの小学生に目が留まって声をかけてきたのだろう。
 「このあたりに海でもあるの」と聞かれて、「いえ、プールです」と答えた。
 元気いいね、とか何とか言われたかもしれない。まあ、あんまり覚えていないが、近くにいたおばちゃんに「坂本九ちゃんに話し掛けられてよかったじゃない」とうらやましがられて、それなりに恐縮した。
 その頃には既にそんなにテレビに出ていなかったようで、ずいぶん後でテレビに出ている坂本九を見て「あのときのおじちゃんだ」と妙に感激した。航空機で死んだときも、お気の毒だと思った。

 何のイベントであったかこれも忘れたけれど、何故か父と二人だけで公園かなにかに行ったときに欽ちゃん(萩本欽一)が来ているというので見に行った。ものすごい人だかりで何がなんだかわからない。大人の股下からもぐっていって前に出て、人ごみの中から顔を出した瞬間に欽ちゃんに話しかけられた。確かマイクを向けられた。
 「誰ときたの」「おとうさん」「お父さんどこ」「うしろ」
 僕の後ろには知らない爺さんがいた。「あなたおとうさん」と欽ちゃんが聞くと当たり前だがその爺さんと僕がかぶりを振る。人だかりがどっと笑う。
あとは違う人にまた何か聞いていたようだ。
 帰りに「欽ちゃんって馴れ馴れしいね」
 と父に話すと、「誰とも知り合いみたいなもんだからな」というので、なんとなく納得したのを覚えている。

 三井グリーンランドのステージでマジックショーが行われていた。失礼ながらこのマジシャンが有名なのかは不明なのだが、確かばってん荒川ショーの合間にこのショーが行われていた。それなりの人だかりで、大いにウケていた。僕にはばってん荒川が男だとは信じられなかった。どう見ても面白いおばちゃんである。
 さて、そのときも「坊やちょっと手伝って」とステージに上がらされた。別に一番前に陣取っていたのではなかったが、なんとなく目が留まったのだろう。もじもじしていると「せっかくじゃないか」と誰かから(兄だったのだろう)せっつかれて、ステージに上った。
 白い紙を細く長く切れ、といわれて、そのようにして、テーブルの上のどんぶりに入れる。ヤカンのお湯を注いでハンカチをかぶせてしばし待つと、中の紙がうどんになっていた。仕掛けがあるに違いないが、マジシャンは種も仕掛けも無いと言った。もちろん、僕には見抜けなかった。「ちゃんとしたうどんだから食べてごらん」といわれて嫌々口にすると、不味いながらうどんであった。「うどんです」と答えると、まさに拍手喝采。恥ずかしかった。
 後になって考えてみると、あれは「どん兵衛」ではなかったろうかと思い当たった。母に頼んでカップ麺を買ってきてもらって食べたが、やはり不味かった。
 あれ以来、どん兵衛は何度となくマイナーチェンジして、ダシがうまくなったとか何とかいっているが、もう騙されないぞと思う。もちろん確認はしていない。
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蚊もがんばっている

2006-10-07 | 雑記

 最近はまた蚊が増えたような気がする。朝職場の窓を開けて簡単に掃除する。いつの間にかいろんなところが痒くなる。机の下などに隠れているのであろう。人が近づくのを一晩ずっと待ち続けていたのだろうか。
 体の重たくなった蚊がゆっくり飛んでゆく。うまくつぶすことができると、案の定たっぷり血をすっている。せっかく出産のために血を吸うところまで成功したのに、無駄骨である。気の毒だが、敵対関係は改善の余地はない。しかしながら、お互いに無益な戦いであることにかわりはない。ああ、無情である。
 今からボウフラが増えて、ちゃんと成虫になれるものなのだろうか。朝夕は結構冷えるようになった。そんな無駄なように思えることを、なんで蚊はせっせと行うのだろう。
 そんなようなことを考えていたら、蚊は種類によっても違うようだが、ちゃんと卵や幼虫で越冬するらしい。そうすると、今はまさに冬支度に入ったということなのだろうか。
 何でも擬人化して考えるのは時には大きな勘違いになりかねないが、今の時期の蚊はあんがい必死なのではないかとも思われる。血を吸われるのは迷惑だけれど、けなげな蚊の行動は尊敬に値するのではないか。蚊とはいえども、これだけのリスクを背負いながらがんばっていると思えば、キリギリスだって少しは反省するかもしれない。
 玄侑宗久の本で、座禅を組んでいるときに飛んでくる蚊の恐怖のことが書いてあった。蚊の羽音が近づくと、なんともいえない恐怖を味わうという。確かに修行中なので動けない。じっと吸われるのを辛抱するよりない。中には特別好かれる人もいて、まさに蚊がたかっているような状況になる。なんとなくユーモラスだが、当人にとってこれは恐怖であろう。せめてもの復讐として、袈裟の上から刺す蚊の場合だけだが、少し体を動かして口吻を折るのだそうだ。坊主の修行も変な技を獲得するものらしい。
 そういうわけで僕らは修行中ではないので、蚊が飛んでいると、多少意地になってつぶしにかかる。嫌われ者の蚊ではあるが、敵対しながらも共存しなくてはならない宿命なのだろう。蚊を食料源として生きている生物もあろう。そのためだけではないが、彼らも増えなくてはならない。人間だけが生きているわけではないのである。
 説得しても聞いてはくれないだろう相手なので、せめて敬意を持って殺生することにする。時には病原菌を運んで、人間をも結果的に殺すことができる蚊である。こんなに小さな厄介者でも、人間にはどうにもならないものがある。それはそれで教訓的な存在なのではないだろうか。
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悪癖なので勧められない

2006-10-06 | 読書

 読書家ですねと言われることがある。確かに読書は日常である。しかし、多くの人々が本を読まなさ過ぎるだけではないかと思っている。
 月にどれくらいともよく聞かれる。これはあんがいむつかしい質問だ。一字一句全部読むということなら、五六冊の月もあるだろうし三十冊の時もあるだろう。目を通すという意味では五十冊の月もあるだろうし、三百冊の月もあるのではないか。
 なんというか正直言って、これぐらいの量で読書家とはおこがましいと思う。恐らく普通の学者とか、作家だとか職業文人だとか、本当の読書家といわれる人たちは、確実に僕の10倍ぐらいの読書量だと思われる。それぐらいでやっと一流というか(大成しない人も含めてだが)はじめて読書家と名乗っても恥ずかしくなくなるのではないか。日本全国にはそういう人たちが15万人くらいいるんではないかといわれている。僕はその予備軍に過ぎず、100万人程度の仲間がいるのではないかと考えている。数にすると多いようにも思うかもしれないが、1億を超える人口の国なんだから、たいした数ではない。やっぱり読まない人が大多数だから、読書家に見えるだけである。
 しかしながらつくづく特殊なのではないと思う。これぐらいはたぶん誰でもできる程度だからである。本を読まないで暮らせる人たちの方が特殊能力があるんじゃないかと思う。それで日常を送れるのだから凄いことではないか。僕にはあんまり必要性がないのでこの程度なのであって、もう少し必要にかられると量が増やされ大変であろう。おちおちメシをくっている場合でなくなる。本というのは時間がかかるので、生活が破綻してくる。本に寄り付かない方が健康的なのではないだろうか。
 立花隆などは本を読むために仕事(雑誌記者だった)をやめたという。荒俣宏などは(本を買ったせいで)億単位の借金があるという。草森紳一は本に埋もれて死に損なっている。趣味として読書というと、無趣味と思われかねないが、本当に本に取り付かれた人は、皆なんらかの異常をきたしてくるように思える。はっきりいって読書は悪癖の代表である。今のところそういう危険のない人は、本に取り付かれないために距離を保っておく方がいい。うっかり手にとって読んでしまうと、ずるずると引きずりこまれる可能性がある。本を読む人には近づかないことである。本の魅力を説かれる危険がある。納得でもしてしまったら、洒落にならない。幸いあまり魅力的だと思われていないから犠牲者が少なくみえるのだろうが、歴史的に人間は本に取り付かれてしまう習性があることが明らかだ。知らないうちが花なのである。
 読書は癖なのだから、そう簡単に直らない。適当に付き合うという方法を覚えなければいけないな、と思う。しかし、どんどん本は増えて僕を待っているような気がする。読めば読むだけ次々に疑問は増えて、あらたに買い足さなければならなくなる。僕に好奇心がなければ、読書を止められるのに、と思う。
 人付き合いが忙しくなると、本を読めずに精神的にまいってくる。イライラして喧嘩腰になる。僕の二十台後半と三十台前半は、本を読めない焦りだったのかもしれない。もう取り返しがつかないので精神的には安定してきたが、好奇心の方は枯れず、残念である。まだ何も知らないという焦りは、年を追うごとに増している。取り返しはつかないが、ほんの少しでも埋めてしまいたい。そのためには、やはり本を読む以外にないのである。
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ガソリン焚いたら

2006-10-05 | 雑記

 監査で一日中缶詰状態。流石に肉体的にも精神的にも疲れた。終わると脱力するも、なんとなく開放感がある。重点的に準備していたところは素通りで、ノーマークのところはしっかり突っ込まれた感じで、脇が甘かった。いろいろあるけれど、一年のアクセントにはなっていると思う。まだまだ勉強しなくちゃな。不当な感じも一部あるが、真摯に受け止めなければならないところもけっこうあった。思えば以前とはだいぶ見解も変化したものだと思う。10年前の監査とはまったく別物である。

 夜はPTA理事会。終了後祝賀会準備の役員会。これで10時。久しぶりに「行こうや」とY光会長から誘われるが、パスして今度はJC今年度(業界人しかわからんだろうが、この時期は今年度と次年度が別々に存在するんです。嗚呼、)理事会。議題が多くて2時少し前に閉会。修練になってるなあ。もう、へとへとである。
 O塚専務に今日は遅くなるとは聞いていたので、飯を作ってくれるようつれあいに頼んであった。この時間に終了しても居酒屋はOUTだし、だからといって僕は吉野家はあんまり好きじゃない。団鬼六は酒の制限がある吉野家はあんがい良いと書いていたようだが、単に変人なのだろう。12時過ぎに酒も出せない店に、良いもクソもなかろう。ま、そういうわけで飯の準備もしてあるようだからと珍しく失敬することにした。
 帰るとちょうどつれあいも起きたらしく、話をしながら食事ができた。帰りがけに、家で食事なんて鬼だ、と誰かに言われたが、確かにそうだがしあわせである。焼酎が体にしみて、気づくと一人でしゃべっている。しかし、ストレスはさっぱり消えるのである。
 翌朝本当に寝たのか疑わしいつらさだったが朝飯食って復活する。おーし、本当に開放感があるようだ。ちょっとやりたいこともやってみっかな、と思う。まだまだガソリン焚いたら動く感じなのであった。
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うわさのちゃんぽん

2006-10-04 | 
 会議の前に立山公園側の「じゅん食堂」でちゃんぽんを食う。なんでうわさの店なのか忘れたが、隠れた名店などといわれているとだいぶ前に聞いたことがある。立山公園がどこにあるのか知らなかったのだが、日銀の横から登っていって大きな楠が道路に鎮座してる通りをくねくね曲がって(以前に迷ってきたことがあるのでまた迷いたくなったのである)とにかく行くと、たまたまたどり着いた。鼻が利いたのである。駐車場が分からなかったので戻って立山公園に車を止めて急な階段を下りてやっとたどり着いた。
 12時前なのに、既に肉体労働者系のおじさんたちが占拠している。テーブルは4つ。ひとつだけはグループのようだが、後は単独相席である。見るからに段取りの悪そうなおばちゃんが注文を聞きに来るのだが、僕のところには来ない。仕方がないので水をくみにいくついでに暖簾の奥に向かってちゃんぽんを注文する。
 前の人が置いているスポーツ新聞をパラパラめくるが、ほとんど読むところがない。文章もへたくそである。よくこれでメシが食えるものだ。いや、内容がないのにかかわらず書かなくてはならないのでこうなってしまうのだろう。
奥の方でさっきのおばちゃんが叱られている声が聞こえる。「箸を一本一本洗うな」とか言われている。
 出前などもあるのかもしれない。テーブルに品物が並ぶテンポがそんなに速くない。他の人のテーブルに中華肉うどんとかかわった品もあることを発見。ああいうものも食ってみたかったな。
 新聞も読むところがないので携帯でニュースを拾って延々と読む。ひたすら読む。気がついたら僕より後に来たおじさんのちゃんぽんが先に来ている。明らかに僕から目をそらそうとしているさっきのおばちゃんに「僕のちゃんぽんは」と聞いたら「すぐ来ます」という。仕方ないので昼のテレビを眺める。改めて店内を見るといろいろ取材を受けたという雑誌の切り抜きなどが張ってある。僕はこういうものの中の何かを見たことがあるのかもしれない。芸能人のような人の絵も飾ってあるが、いったい誰だろう。知り合いなのだろうか。
 そうこうしているうちに、すべての人の注文がそろって僕だけ取り残された。厨房から白い服を着たおっさんがこちらを眺めて、ひょっとすると前から来てましたかと聞く。「うん、ちゃんぽん」と力なく答える。三回注文したのは初めてである。
 そうやって、静かになった店内で(みんな帰ってしまったのである)やっとちゃんぽんを食べることがかなった。味のほうはオーソドックスな食堂ちゃんぽんで、むしろ懐かしい。まあ、550円という感じであった。
 一気に食って外に出ると日差しが暑い。階段を登って駐車場まで帰るのに、噴出す汗でどろどろになった。昼はソバがいいんじゃないかとつれあいに言われていたのを思い出したが、長崎なんだから仕方がないじゃないか、と思うのだった。
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勘違い

2006-10-03 | ことば

 新聞を読んでいたら校正係が自分の出身は愛知で「常磐」と書いて「ときわ」だったので、水戸の「常盤」という表記に悩んだことが書いてあった。しかし彼の悩んだのは「常磐」か「常盤」かという漢字の違いのことだった。実にまぎらわしい。さきに読みのことでふっておいてそれはないだろう。まずは文章力を高めていただきたい。
 ラジオを聴いていたら「ときめきダンシング」というような邦題の曲がかかった。たぶん原題は違うんだろうな、と思う。そういうアナウンスが流れた後に聞くと、どうにも複雑な心境である。そういえば昔アラベスクというノーランズのようなグループに「さわやかメイクラブ」という曲があったよな、と思う。別にさわやかにしてもいいことかもしれないけれど、本当は違うニュアンスで付けられた邦題だとは思う。恥ずかしい。
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同情できない風邪

2006-10-02 | 雑記

 子供の運動会であった。いろいろと役割があって、あんまり子供の姿を見ることができなかったけれど、少しだけみた範囲で思うことは、それなりに成長しているようだなあ、という感慨だ。少なくとも家ではあんなに真剣な顔はしていない。社会性のかけらもないような連中だが、僕の思い違いもあるのだろう。

 さて、O塚さんは風邪をこじらせて大変だったそうである。原因は恐らく僕にうつされたのであろう。それが事実なら、他人に感染させると風邪は治るという俗信は、あながち嘘ではないかもしれない。僕は前日にはひどい風邪に苦しんでいた。体温計で測っていないので憶測だが、熱も出ていたのではないかと思われる。くしゃみと鼻水がひどくて、まったく閉口した。
 しかし、そういう僕を残してO塚さんとI野理事長は釣りに行ったのである。僕はといえば、キャンプ場で子供達とオリエンテーリングをしたり、料理をつくったりしたのである。
 12時過ぎから行われる開会式に出席した後はとんぼ返りする予定であった。しかし行ってみると人員が足りないという。M本委員長とK谷っちが、仕方がないので残るという。もう一人当てにされていたK也君は葬式があるとかで早々に帰ってしまった。I野理事長は用事があるので、という。一緒の乗ってきたのだから、じゃあ僕も、と言っているのに、M本委員長が残るのだから、一緒に帰ればいいじゃないか、などというではないか。殺生である。僕だってちゃんと用事はあったのだ。義理もあるので顔だけでも出さねばなどと色気を出して、風邪で苦しい体を押して一緒にやってきたのである。
 抗議もむなしく、子供の班に配置され(なんと、担当委員会メンバーの配置さえない班だった。余計抜けられないよ)、名札を書いたり、班長決めたり、テントを張ったり、パンフレットを読みながらいろいろ指示する。それじゃあオリエンテーリングに行きましょう、ということで一時間山道を歩くのである。行きは下りでどんどんいくが、あんまり下るので嫌な予感がしていると、わき道に入ってほとんど帰りは登山である。全身汗まみれ。鼻が鼻水で大変なので、口でしか息ができない。適度の疲れで熱も上がってきたようだ。はっきりいって久しぶりに最高の具合の悪さである。しかし、こんな山道の途中でダウンするわけにはいかない。子供の手前もある。あんがい見栄っ張りである。
 今考えると、これがよかったのかもしれない。料理の最中も具合は悪かったが、なんとか乗り切ることができた。何とか役目は果たして大村寿司を完成させ、お役御免となった。
 昼は抜いていたので(大人には弁当さえなし。厳密には参加者ではないからだ)、腹ペコになり、帰りに淋淋という周富徳の写真が飾ってある店でラーメン餃子春巻きチャーハンを食う。なんというか、これで復活したような手ごたえを感じた。
 そういう苦労をして運動会当日は6時過ぎから場所取りしたり準備して、雨の中濡れ鼠になりながら駐車場係などをして運動会に臨んでいるのである。今頃具合が悪くなるのはお気の毒だが、僕にはちっとも罪悪感はない。僕をおいて千々石の海で釣りをして帰ったというネタは割れているのである。それじゃあ置いて帰らなくてもよかったじゃないか。もしくは一緒に苦楽を共にすべきだったのだ。
 しかしながらO塚さんは熱が下がらなかったらしく、午後には家に帰ったという。奥さんには恨まれているかもしれないが、はっきりいって自業自得なのではないか。

 さて、午前中は息子達の姿もあんまり見られなかったが、午後にはゆっくりとその動きを追うことができた。活躍はしていなかったけれど、僕は満足しました。
 本人達も大変だが、親だって大変なのだ。忙しくても正直に生きて、体調を管理する心掛けが肝要なのであると思う。
コメント
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