kosakuの雑念

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やりなおし教養講座

2010-09-23 23:42:02 | 日記
「やりなおし教養講座」(2004年)
村上陽一郎の半自伝的というか雑談風に教養論を語るというもの。
その中で、大江健三郎の現代の日本社会に対する嘆きについて触れ、それ自体として間違ってはいないかもしれないが、時代を作ってきた人間のひとりとして嘆くだけでは無責任ではないかと言っている。

そんなものを読み進めながら思い出したのは、秋葉原の殺傷事件である。
たまたま色々な業界の人達に意見を聞く機会があった。
彼らのこの事件に対する反応はいろいろあったが、単に嘆いたり憤慨するいい歳の人も多かったのだけれども、このような時代を招いてしまった責任の一旦は自分達にもあるという考えの人たちもいて、妙に印象に残った。


「知的生産ワークアウト」実行にて思い出すこと

2010-09-23 21:51:53 | 日記
新聞記事を書き写すという作業を通じて思い出すのは、堺屋太一の短編小説集「破断界」のことだ。
何十年前の小説か覚えていないが、「団塊の世代」の少し後くらいの作品のはずだ。
そのなかに、ある図書館に毎日通う老人の話が出てくる。


背広姿の老人は、毎日一心不乱に図書館の新聞(日経のはず)を広げて何やら書いている。
その男が気になったある職員が、老人は何者なのか、そして毎日書いている文章は何なのか調べだす。
内容は驚いたことに、新聞記事の丸写しなのだった。
そして、いつも身なりを整えた老人はすでに会社を定年退職し年金暮らしなのだった。
職員が老人に関する興味を失った頃、産休を取った別の職員の代わりに臨時職員が来た。
その臨時職員は、他の利用者が老人が新聞を丸1日独占していて利用できない旨の苦情を聞く。
老人が新聞を購読できないほど貧しいのだと同情した臨時職員は老人に自費で新聞を提供し始める。
いつしか老人は図書館に姿を見せなくなり、のちに職員は老人が自殺したことを知るのだった。

そんな内容だった。
なんだか不思議に味わいのある話だった。