六波羅蜜寺は町中にある小さな寺ですが、国宝の十一面観音、重文化財の14の木造彫刻が
ある! 京都のたびかざなる戦火や大火に、よく残ったものですね?
六波羅蜜寺は、天暦5年(951)醍醐天皇第二皇子、光勝空也上人により開創された
西国第17番の札所です。
有名なのは空也上人立像ですが、口にくわえているのは、なになの??
ネットで調べて解りました。
鎌倉時代、運慶の四男・康勝の作。疫病が蔓延していた京の街中を、空也が鉦(かね)を鳴
らし、念仏を唱えながら悪疫退散を祈りつつ歩くさまを、迫真の描写力で表現している。
空也の口からは、6体の阿弥陀仏の小像が吐き出されている。
6体の阿弥陀仏は「南無阿弥陀仏」の6字を象徴し、念仏を唱えるさまを、視覚的に表現して
いる。六体の小像は針金でつながっている。 なるほど!! 納得!
六波羅蜜寺も変わった名前です。
六波羅蜜の意味は下線をクリックすると、リンクできます。
まさに仏教の教えなのですね!
六波羅蜜寺の本堂
国宝、重要文化財の木造彫刻の案内! 平安時代から鎌倉時代の彫刻です!
空也上人立像 口からはいているには、6体の阿弥陀仏像
平 清盛座像 なぜ平清盛の像があるのでしょう?
平安後期、平忠盛が当寺内の塔頭に軍勢を止めてより、清盛・重盛に至り、
広大な境域内には権勢を誇る平家一門の邸館が栄え、その数5200余りに及んだ。
寿永2年(1183)平家没落の時兵火を受け、諸堂は類焼し、独り本堂のみ焼失を免れた。
ということです。
願石 石の柱につけた輪を回しながら、願う! もう神頼みしかない!!
境内はせまい!
お線香とろうそくを供えました。
かわいい、少年もお線香に火をつけて、供えていました。
本堂内
五条通から六波羅蜜寺まで歩いて行きました。途中にあった建物!
清水焼の工場???
ある! 京都のたびかざなる戦火や大火に、よく残ったものですね?
六波羅蜜寺は、天暦5年(951)醍醐天皇第二皇子、光勝空也上人により開創された
西国第17番の札所です。
有名なのは空也上人立像ですが、口にくわえているのは、なになの??
ネットで調べて解りました。
鎌倉時代、運慶の四男・康勝の作。疫病が蔓延していた京の街中を、空也が鉦(かね)を鳴
らし、念仏を唱えながら悪疫退散を祈りつつ歩くさまを、迫真の描写力で表現している。
空也の口からは、6体の阿弥陀仏の小像が吐き出されている。
6体の阿弥陀仏は「南無阿弥陀仏」の6字を象徴し、念仏を唱えるさまを、視覚的に表現して
いる。六体の小像は針金でつながっている。 なるほど!! 納得!
六波羅蜜寺も変わった名前です。
六波羅蜜の意味は下線をクリックすると、リンクできます。
まさに仏教の教えなのですね!
六波羅蜜寺の本堂
国宝、重要文化財の木造彫刻の案内! 平安時代から鎌倉時代の彫刻です!
空也上人立像 口からはいているには、6体の阿弥陀仏像
平 清盛座像 なぜ平清盛の像があるのでしょう?
平安後期、平忠盛が当寺内の塔頭に軍勢を止めてより、清盛・重盛に至り、
広大な境域内には権勢を誇る平家一門の邸館が栄え、その数5200余りに及んだ。
寿永2年(1183)平家没落の時兵火を受け、諸堂は類焼し、独り本堂のみ焼失を免れた。
ということです。
願石 石の柱につけた輪を回しながら、願う! もう神頼みしかない!!
境内はせまい!
お線香とろうそくを供えました。
かわいい、少年もお線香に火をつけて、供えていました。
本堂内
五条通から六波羅蜜寺まで歩いて行きました。途中にあった建物!
清水焼の工場???