スピリチュアル世界の誰も見たがらない所を書いています

スピリチュアルブログが多いアメブロでは絶対に書かれていない、スピリチュアル世界の陰の部分を赤裸々に書いています。

オカルトとスピリチュアルは陰陽の関係

2014-03-12 21:00:00 | 現代実践魔術と魔術師修行に関する話
少し前から考えていたのですが、やっぱりスピリチュアルとオカルトは人間の精神世界における陰陽の関係なんだなと思います。

スピリチュアルの文化と言うのは、はっきりと言えば受容の文化なんだと思います。

「そのままで良いんだよ。」「許す事」等に代表されるような、自己も含めた有りとあらゆる物を受け入れ、全体的に温かく柔らかい印象があるのが特徴です。
区別も差別もせず、排他的で有ることや選民意識を嫌い、ワンネスに象徴されるような集団意識を好みます。

苦難に直面すると自己の試練と捉え、じっと耐えながらにも地道に進む事を望みます。
で、攻撃をされた時の対応は個人差が有ると思うのですが。ワタリは逆に受け入れようと歩み寄る自己犠牲タイプ、そのまま受け流すカエルの顔に水かけタイプ。逆に攻撃してきた事を元気が良いと解釈し、敵意を消失させる調子狂わせタイプの三種類有るんだと思います。

オカルトの文化と言うのはスピリチュアルとは反対に脅しの文化です。

「これをしなければならない。」「これをしなければ恐ろしい目に遭う。」に代表されるような、全体的に切羽詰まった感がすごい攻撃的な文化です。
選ばれた存在である事や自身の努力等、いかに自分が特別であるか?と言う事を主張する事を好み、相手よりも上位に立つ事を望む個人主義文化です。
もちろん、排他主義選民意識大好きで、集団として群れている時も有りますが内部には明確な階級制と言うのが存在しており、上位者は下位の者から脅かされないよう結構必死だったりします。

苦難に直面すると耐え忍ぶ時も有りますが、基本戦える時は得意の脅しと精神攻撃で戦う為、スピリチュアルと比較すると結構物騒だったりします。

象徴としてはスピリチュアルが観音菩薩、オカルトが閻魔大王。と言えば馴染み深い分日本人には皮膚感覚で解ると思います。

で、攻撃的でない分スピリチュアルの方が入りやすく、偏っても実害は少なく、ちょっと陰を入れれば即行元に戻るのですが、改めて整理整頓をして考えると、本当に対になっているんだなと感じます。

でも、実際を見てみると解る通り、オカルトもスピリチュアルもどっちかに偏っている人っていないんですよね。

典型的なキラキラスピリチュアルの文章を書く人は実生活でもそうか?と言えばやる時はやったりするし、典型的な脅し系のドロドロオカルトの文章を書く人は実生活でもそうか?と言えば特定の人には受容的だったり。

ワタリは意識的に行う部分も有りますが、皆知らない間にその時その時で陰陽のバランスを取っているんだと思います。

ただ、陰陽の差を知る為だったり、極端に傾いたものを矯正するために極端を入れる必要が有ったり、本当にその時その時で極端に傾くのも必要だと思うんです。

例えば、数年前癒しブームなんて言ってヨーロッパ系セラピーが大流行したり、受容する発言がネットの至る所に有った事有りますよね?

まあ、当時よりは落ち着いたと思うのですが、それ以前まではオカルトの文化でも有る競争社会で、皆上位に進む為に頑張っていて、遊ぶにしても仕事するにしてもパワーぎんぎんで、エキセントリックな事が好まれたような気がします。
で、当時はちょうどオカルトブームの真っ最中で、スコーピオンいわく当時のオカルトブームはワタリの魔術師教育に素晴らしく良い材料だったんだそうですが、逆に言えばそれだけ当時はオカルト文化に偏っていた=陰に傾いていた。って事なんですよ。

でも、バブルの時欲望の限りを尽くした対価ですごい事になった時、社会的にパワー不足に陥って皆現実逃避にも準じるような癒しを求めたと思うんですよ。

これは陰を取り込む時はそのエネルギーを完全に取り込まないようにするために反発するエネルギーが必要である事に関係が有るんだと思うのですが、とにかく陰を取り込む。ないしは陰に染まると言う事はものすごくエネルギーを消費するんです。

その結果、社会的にパワー不足に陥って対極にある陽を求めた結果、癒しブームと言うのは起きたんだと思います。

ワタリは当時ツインを全力で無視していた頃でしたが、今考えても当時はすごかったなと思います。

そこら辺中にスピリチュアルが得意とする受容の言葉が並んで、そこら辺中でヨーロッパ系のヒーリンググッツが買えましたから。

ただ、当時のワタリはそれに言葉にならない疑問符と違和感を皮膚感覚で何となく感じていました。

なんでしょうね。今考えると当時からキラキラスピリチュアルなんて瞬間的な現実逃避以外の何物でもない。と言う事をJかツイン辺りから教えられていたんですかね?

で、今現在と言うのはもう極端になるのは終わりのような気がしています。

少し前から話をしていますが、この大極図が示す通り陰陽のバランスを取る事が望まれていると思うんですよね。

もちろん、極端になる事もまだまだ個人レベルでは必要です。
そして、がむしゃらになって努力する事はいつの時代にも悪い事では有りません。

でも、極端を経験したその後は陰陽のバランスを取る事を重視するべきではないのでしょうか?

最低限、今のワタリは必要な物を過不足無く取り込む事が一番快適です。

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