くまぐー日記

くまさんの電脳室リポート

フック君家族(2)

2018年02月17日 | Weblog

◼️1日友人の家に行ったり近所の家に行って話をしたり、、。子供がいればお年玉を渡し、お客がいれば一緒に食事したり、ビールを飲んだり、テレビを見て帰ってくるということをする。ニャチャン大学講師の彼の家に行って2人の娘に5万ドンづつのお年玉を渡して彼の軍人さんのいとこと25歳で空調会社を立ち上げたという教え子がいて、食事する。彼らと奥さんとそのお母さんとこどもたちといっしょに食事をした後、テレビを見た。「ドラエモン」。こどもだけでなくみんなが面白そうに見ているのを見るのは感激的でもある。日本の漫画が日本以上に楽しんでもらえているという光景を目にしたからだ。もちろんベトナム語のナレーションなのだが話の筋はわかる。なるほど、、。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

フック君家族訪問。

2018年02月16日 | Weblog

◼️元旦。ニャチャン大学の講師をしているヴァン君の親友フック君家族の家を訪ねた。2階建の築7年。庭には趣味の盆栽が至る所に。ニャチャン大学の看板である海産食品加工関連が専門。後日ヴァン君や奥さんのタオさんもニャチャン大学卒業と聞かされた。しかしヴァン君は実習生として来日していたのだ。大学卒が機能しない国?この国は大卒の卒業先がみつからないのが大問題だ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

街にでる。

2018年02月15日 | Weblog

◼️僕はニャチャンの海岸線に沿ったチャンフー通り のパスツール研究所(イエルシン博物館)を背にして、海岸の砂浜と海水浴を楽しんでいるロシア人などを見ながら椰子の木の下のベンチに座って今これを書いている。海から吹いてくる風がほんとに気持ちいい。
明日からはテトでなにもできないけど今日は賑やかそうだからと言われて出てきた。途中までヴァン君のバイクできてタクシーで海洋博物館へ行ったが休館日。ニャチャンセンターを見てマリアスクエア近くの文具店でノートを1冊買ってダム市場へ行ってみる。歩いて海岸線まで出てまたニャチャンセンターに行って3階のフードコートで裏巻き寿司を食べる6万ドンうまい!。ここの窓側席から海岸線とヴィンパーランドの島の展望が素晴らしい。そして今ここにいる。
海岸線を歩き、こんなカッコいい浜辺で年寄りの夫婦がビーチチェアに座ってボーッとしてるなんて見とれてしまうなあ、、なんて思って、ハッと気づいた。人の事じゃないよ。僕だっていつでもそうできるんだから、、あかんなあ、俺はやっぱりゆったり旅のできない日本人だなあ。でも今日から時間があればここで1日書いたり読んだりしながらボーとしよう。
今日は大晦日なので夜中遅くまで神棚の飾りつけや門前での礼拝、お供物や焼香。日本では既に久く失われたプリミティブな信仰心を見せられている気がする。お供物のメインは丸のまま照り焼きされたチキン。それにビールや果物。ここの神はかなりの大食漢と見える。門前の土間での礼拝が終わると、早速チキンは切り分けられて食卓に、、。これを見てなるほどこれが本来の食事のルールなのだなあと気づく。獲物を獲ったら神に感謝したあとで口にする。日本では食事の前に「(命を)頂きます」という尊敬語を使うのは獲物に対してではなく神に対する行為だからだ。獲物の命を一旦神に預けてそれを人が譲り受け命を繋げていくということかもしれないと思う。戦時中の特攻の論理は死んで現人神である天皇に命を預けたのだから靖国で面倒見てくれということで、国家公務員である軍人の殉職で「無名戦士の墓」じゃやだ、という右翼思想に仮借されるのだろう。
植物にも命を考える農耕民族は毎年の収穫を仮借して輪廻思想(仏教)に至る。農耕には協働と組織化が必要でヒエラルキーを生み階級社会と権力闘争が生じた弥生時代より縄文時代の方が平和だった、との考えもある。しかし、定住しない遊牧民が略奪と殺戮のシルクロードで天下を取ったモンゴルの例もある。生産しない遊牧民が略奪するのは生きるためであり、皆殺しは復讐(戦争)回避に当然必要な時代。女性は財物で民族の血を繋げる道具であった時代や世界もあった、、、。妄想が広がる。ああ、俺は暇なのか、、。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

休みの間にベトナム語の勉強

2018年02月14日 | Weblog

◼️頑張って1日勉強。1課から17課まで通した。ここは市内からも離れているしバスも通っていない。車が1台通れるくらいの道で、タクシーの運ちゃんは必ず間違えるので、そのたびに電話でヴァン君呼び出して、、と面倒くさいのでヴァン君と一緒にバイクで出かけるときだけ出かけていつもは誰もいない家の中で勉強していることにした。集中できるので好都合。この休みにしっかりエクスプレスのベトナム語テキストを暗記しようと思っている。、

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カンチャンと別れる

2018年02月13日 | Weblog

◼️カンチャンはゲアンの故郷のお爺さんお婆さんの元へ、ヴァン君は休みなし。テキストは15課から20課まで。夜、近所の新年会にヴァン夫妻と参加。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新年会

2018年02月12日 | Weblog

◼️時間のある限りベトナム語テキストの書取り練習。夜、ヴァン君の友人の新年会をするということで夕方から奥さん達が手伝いに来て準備して10数人の家族が集まって食事にビール。毎年恒例らしい。最後に残った二家族が10年来の親友だそうだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

名前はちゃんと覚えよう

2018年02月11日 | Weblog

◼️今日は日曜でやっとヴァンくん(今までホアン君と性を呼んでいて本名:ホアン・ヴァン・ティンを知らなかった)の休みが取れたのでカンチャンと市場へ行って二人は別々の店で散髪をした。帰ると妹家族も来た。

どうも歳のせいか名前を覚えられなくて、あなたとかあの人とかの代名詞ですませ、名前をきくことさえなくなった、、、とそれはベトナムでは駄目だ!ときつく言われた。おっしゃるとおりです。自分のクラスのメンバーの名前が半分しか言えないなんて、、

「カンちゃん」ではなくて、名前がカンチャンなのだ。まぎらわしい、、でも、なんてベトナムの子供はかわいいんだろう、、おとなはそうでもないのに、、。このままおとなになってほしい、、。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ベトナムの肉

2018年02月10日 | Weblog

◼️家で皆が帰ってくる7時近くまでベトナム語テキストを勉強。3日間でほぼ一通り終了。夜は妹さん家族と食堂で共に外食。鍋で一見、すき焼き風だが臓物、野菜と麺のごった煮。聞かれるとやむなくウゴン(美味しい、、それしか知らないんだから、、、)でも、最近は日本のような赤身の肉なんて見たことがない。毎日肉を食べていてもである。血を固めたやつ、内蔵、脂肪や毛が残っている皮だったりで、逆に日本の肉食の異常さを感じるこの頃である

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ベトナムコーヒー

2018年02月09日 | Weblog

◼️朝から晩までベトナム語テキストと格闘。夜、ヴァン君の昔の友達とコーヒーを飲みに行く。川沿いの気持ちの良い広い戸外の店。明るい時間だったらさぞ素敵だったろうに、、と思う場所。3人の友人のうち1人がよく喋る。づっと喋り続けて、、それが確かにハノイ語とは違っていることは解るし、ぼくのベトナム語はわかってもらえているのだが、、僕は一言もわからない。

いわゆるベトナムコーヒー、、初めてだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カラオケ大会

2018年02月08日 | Weblog

◼️朝から晩までベトナム語。夜はヴァン君の職場の新年会に一緒に行くことになった。ヴィンパーランド工事現場の男ばかりの集まりで、15人ほどだろうか、、。班長は37歳で少し中国語のできる男。最年長が50歳ぐらいだろうか。酒盛りの時は例の、モッ・ハイ・バー・ズーてのをやって乾杯しモッチャム(100)%を言って一気飲みをする。それが延々と、、、
2次会の席までバイクで移動しカラオケ店へ。もうそこは超一流ホテルと思えるようなところがカラオケ店。そこで皆が踊り狂い、飲み食いしまくる。カラオケで日本の歌を歌わせられる羽目に、、日本語の字幕も見えるが聞いたこともない曲。まっいか、なにをどうしようがだれも何も知らない、、僕だって知らない、、歌い終わると、、拍手喝采!!それから皆バイクで帰るんだから、、考えられん、、、。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする