♪句あれば 楽し ♪♪

独りよがりのおしゃべりを綴っています
photoと575で、私なりの世界を作りたいと思いつつも・・・

家康さん

2016年04月27日 | カシャッと575
      春の夜話家康見かけるバスの中 


       ( はるのやわいえやすみかけるばすのなか )


堺市の私鉄の駅を結ぶシャトルバスです

  市内を巡るいろんなタイプのバス路線が、あります
  違うラッピングになっておりますからご注意

自治都市として華やかなりし頃(安土桃山時代)、当時の堺の風俗イラストです
イラスト、最近リニューアルされました
この金箔モドキの色も悪くは無い

さて、ご存知でしょうか
家康は、夏の陣の折、傷を得て、堺で討ち死にしたと言う説が、あるのを
とあるお寺にちゃんとお墓も有ります

私は見た時、<眉に唾> って思って、 フン 程度にしか感じませんでした
家康ファンが、勝手に作ったお墓だと思っていたのです

関西に若一光司って作家と言うか、まッ TVにしばしば出てくるおじさんが居ます
彼が、レポートする関西に関するレポートを見るのは、好きなんです
大阪城の地下道の話も面白かった

若一氏が、その家康は、堺にて討ち死にしたのかもとレポートしていました。

家康は、天ぷらに当たって死んだと聞いています
その若一氏が、云うには 息子の 秀忠と孫の家光が、相次いで
堺を訪れその寺に参ったと言う史実が、あるとのこと
当時とすれば、余程 深い縁があったということでしょう
江戸から堺です
新幹線も、飛行機も無い時代
行列は、箱根を越え、三河を過ぎて来たのです

家康とすれば、徳川の世を盤石なものとするまで、死を公にしたくなかったんでしょう
腹違いの弟が、影武者になったということです

みなさん  そんなお話、信じますか

ちなみに、傍にある家康が、絶命する前に座った石が、パワースポットとなっているそうです
復活したのなら「パワースポット」になり得るでしょうが ??
信じるものは、救われるですわね

そうしてみると、家康さんは堺には度々いらしていたのでしょうか
本能寺の変の夜も堺に滞在していたのです

こうしてみると 堺には、面白い話が、未だありそうです

<注> 写真のシャトルバスでは、家康さんのお墓のあるお寺には、行けません
    違うバスをご利用ください




珍しいこともあるものです
お花を頂きました
久しぶりに、アレンジメントしようっと

緑は、我が家にあるものを使って活けてみました
紫蘭も家で満開です

写真にすると平面的見えます
中心が歪んでいたりするのもよく分かります
何度も写しては、取り込んで  ガックリ
花を活けるより、写真を撮るのに時間を取られました

室内の写真って難しいです








コメント (16)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする