さくら花重さ知りたる昭和史の
( さくらばなおもさしりたるしょうわしの )
先週、とある番組で昭和天皇実録について解析していた
偏頭痛でダウンの今日の午後、やっとビデオを見た
興味は、あるけれど、膨大な実録を読み解ける力量は、わたくしには、ございません
先の戦争に関する昭和天皇のお心には、とても関心が、ありました
母が、生まれてしばらくして、満州事変が起こり、修学年齢は、戦争ばかりで過ごしたとのこと
天皇陛下は、その頃 30代になったばかりの若さ
そして、戦争が終わった頃でも、 50代前でした
自分が、その年齢の時、どんなだったか ?
そんな大変な状況にどう立ち向かったか?
桜の写真をupする心算は、ございませんでしたが、
今日の575には、どうしても「さくら」であるべしと思いまして、再びの登場です
何故、原爆投下の前に、本土爆撃の時、南の島の戦局が厳しくなり、船が撃沈された時 etc.
戦争を終わらせるチャンスは、何度もあったのに、それをいかせなかったのか ?
わたしは、軍部が、もう一度、戦に勝って、起死回生を・・と
諦めなかったからだと、思うのだが・・・
如何だろうか ?
そも、そんな判断が、おかしいよね
高校の時の社会科の先生、ミッドウエー海戦の話など始めると止まらなかった
しかし、正確に言うと、今あるソメイヨシノの殆どは、戦争を知らないかもしれない・・・
紫木蓮:
辛夷 :
しかしそれ故に悲しい歴史も背負っています。
天皇が近く訪れるパラオから届いた玉砕の電文が、
「サクラサクラ」でした。
軍歌でよく知られる歌に、
「同期の桜」がありますし、
いさぎよく死ぬことを、
「花と散る」
と戦争を推進させる道具として使いました。
今の時世を詠んだ名句ですね。
戦争をやっと止めることができたなら、開戦するなと言えなかったのか、それほど軍部が強かったという事かと思います。
中曽根さんの時も一時期、軍靴の音が聞こえると言った言葉を聞いたように思います。
また、聞こえますかね?
私の所でのコメント、お返事がうまくいかないで2個書きました。m(__)m
でも、本当のところはその場にいないので分かるはずがないですよね。
靖国参拝を途中からやめられた、そのことを意思表示されたことだけでも、大変なことだったでしょう。
先日の安倍さんの1句も
「賃上げの花が散る・・・」”散る”じゃぁどうなのよって思いました
ちなみにあれには、季語が二つですから、もう一ひねりが、欲しかった
戦争の時々「桜」が出て来ます
はい、それで、どうしても「桜」の写真を使わねばと思いました
東京、大阪、神戸の空爆後の写真をみると、木など残っていません
ですから、大阪の桜の殆どは、戦後の物でしょうね
吾亦紅さんのページ、お邪魔してまいりました
時々、変なことが起きますね
お手間かけました
一人の人間として、昭和天皇は、どのようなお気持ちで
あの時代を過ごされたのか、お聞きしたいところでした
中曽根さんも、戦争をいとわないタイプかと思いましたが、
安倍さんの方が、その程度が大きい感じです
昭和天皇は、戦犯も合祀ってことをご納得なさってなかったようですね
開戦前にも、外交重視で戦争は、補助的に考えて
すすめるようにっておっしゃっていたそうです
2.26事件の時も陛下自ら鎮圧に出向かれたとのことです
途中からは、戦況が、陛下まで伝えられず、弟君が、直接お知らせしていたらしいです
やはりね
映画「ラストエンペラー」にも、日本が戦争に突き進んでいく様子が、
見えました
国民の生命財産を守るといいながら軍隊が持ちたくて仕方なくて
つい自衛隊を「わが軍」とかいってしまったり
あとからまずいことがばれないように秘密保護法作ってみたりとかするひとが
首相になってるからではないか、と思う今日このごろ。
お腹痛くなってやめてくれないかな~
象徴であるお立ち場が、じれったいでしょうね
安倍さんの言動を知ると、軍隊の行進する音が、聞こえるみたいなことも
ございますわね
安倍さんに男の子が、居たらもうちょっと違ったかな ~ぁ ??
あの病気、完治したのかな ?
最近やけに、彼のおじいちゃんの顔を思い出すのよねぇ