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吐夢さんの昔話

満映関係の興味から、映画監督・内田吐夢(1898-1970)の自伝を読む。

内田吐夢―映画監督五十年 (人間の記録 (105))内田吐夢―映画監督五十年 (人間の記録 (105))
内田 吐夢

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この方、甘粕の死の現場に居合わせたことでも有名(というか、それで知ったんだけど)。
波乱万丈の人生(だと思うんだけど)を硬軟各種のエピソードを取り混ぜ、
気楽な語り口で綴って、なかなか面白いです。
でもこの気楽な感じが曲者で、監督が甘粕をどう見ていたか、そもそも何で満洲に行ったのか。
微妙にわからない。
(一応、陸軍の後援で取る予定の映画がポシャッたお詫びと言う説明なんだけれども)
(1945年5月に満洲に行く、というのは「疎開」とも取れる行動でもあったようだし)
(「二兎を得ようとしていた」との二兎とは?)
(基本放浪癖があるのが実は一番の理由だったりして)

全体の気楽な雰囲気から監督もあんまり気にしていないんだろう、と受け取ってしまいそうですが、
多分これは相当意図的なボカシではないかと。
だって後半に収録されているエッセイの中に映画監督の著作権が著作権法で認められない、
という事態に対する見解を書いたものがあるんだけれども、
どうしてどうして、なかなかに論理鋭い文章です。

重い本、重い伝記にしたくない、という洒落っ気と気配りの結果かしらん。
だってやっぱなかなかにヘビーな人生だもの。

映画界入りした監督が師と仰いだのが作家の谷崎潤一郎(1886-1965)なんだけれども、谷崎と映画の関係って深かったのね?
お金の無い若手映画人が谷崎邸に押しかけ、それっ、とばかりに先生も一緒に飲みに繰り出す、なんて
文豪=真面目・怖いっていうイメージとは正反対。とっても気さくでステキな人だったようです。
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