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バウハウスに行っちゃった女(ひと)

山脇道子さんの「バウハウスと茶の湯」(新潮社・1995年)を読む。
以前にも読んだことがあるのだけれども、古書で倍以上の値段が付いているというので
(安値で手に入らないかと思った私がアサハカでした)図書館から借り出して再読。
道子氏へのロングインタビューを川畑直道氏他が纏め、資料等を加える形で構成されています。

さて、著者は「お父さんはお茶だけたてて毎日過ごしています」、
というような大地主のお家に生まれた超お嬢さんで、
その彼女と12歳年上の建築家(藤田→山脇 巌)が逆玉お見合い結婚することになりまして、
さて、その建築家が出した婿入りの条件がこともあろうに「バウハウスへの留学」。
このなんのこっちゃな条件を山脇家はあっさり受け入れたので
新婚旅行ならぬ新婚留学に夫と旅立つことになった彼女(付いていっただけ)ですが、
なんと旦那の取り計らいで彼女もバウハウスに入学することになってしまったのです。

・・・という嘘みたいな話から始まる本書なのですが、
デザイン教育を受けたことも無い18歳の彼女はなかなかの才能を発揮、
半年後には無事専門課程の織物科(当時の織物と言うものの重要性が垣間見えますね)に進学。
(デッサウバウハウスは1932年に閉鎖されたので卒業は出来なかった)

帰国後はモガの代表として一世を風靡した時期もあるとのこと(まだ20代前半!)、
確かに和服のお見合い写真だとイマイチな彼女ですが(すみません)、
アーモンド形のくりっとした眼と意志の強そうな口元の彼女の洋装姿はとにかくカッコイイ。
(「婦人画報」のファッションモデルになった写真(1933年)が掲載されていますが・・・最高です
 撮影場所が新居を構えた徳田ビル(お父さんが借りてくれたんだそうで)なのも凄いですが)
交友関係には名取洋之助やB.タウトの名前も見え興味深いですが、
(名取やタウト側からは言及されていただろうか?)
戦争中の活動については触れられていないのが残念、でも軽々に話せないのかも。
育児休暇っぽかった感じでされっと流されています。

工芸とモダニズムという視点からは、装飾的な和食器しかなく、仕様が無いので特注で
東洋陶器(TOTO、ですね)に白磁で無地の和食器を焼かせたとのエピソード有(1934年頃らしい)、
これは工芸・民芸方面の方々に何か影響を与えたりしたのだろうか?

などなど話は多岐に亘って興味深いネタ満載で面白いのですが、
実は分量的にはあまり多くないし(すぐ読めちゃいます)女性の伝記としても面白いと思いますので、
どこかの出版社で文庫化して安価に手に入れられるようにしてくれないかな~。
川畑直道さんの細部まで気配りの行き届いたバウハウスな装丁も捨て難いんだけどね。

071221訂正:
建築家・山脇巌さんの旧姓は蔵田ではなく藤田の誤りでしたので訂正しました。
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