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瀧口修造と映像
先日出かけたデュシャンと瀧口の展覧会が面白かったので、
今まで何となく食指が動かなかった瀧口修造の著作を読んでみました。
と言ってもみすず書房から出ている全集ではなく、こちら。
たまたま図書館にあったということでのチョイスです。
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タイトルの白と黒、というのは写真のことだったんですね。
全集にも未収録だった写真全集の紹介文を中心に、美術評論、詩等が収録されています。
瀧口の評論は作者に寄り添ってその芸術的な企てを丁寧に解説する、紳士的な印象の文章でした。
展覧会では功成り名を遂げた評論家が実作に挑むに至った経緯に興味が湧いたのですが、
こういった、ある意味読者に向けてアーチストを紹介していくことが主眼で、
従って自身は背後に隠さざるを得ない面もある「ジャーナリスティックな評論」というものを
ある時期から書けなくなってしまったというのが、何となく理解できるような気がしました。
ところで、砧にあったPCLの撮影所で戦前瀧口が映画のスクリプターをやっていたことから
現在世田谷文学館で開催中の「都市から郊外へ―1930年代の東京」展で
瀧口やその周辺の画家たちの紹介がされていました。
図録には瀧口や映画人による彼のPCL時代に関する回顧談やエッセイも収録されていて、興味が尽きません。
小学生のころのカメラいじり(自己流現像体験)と言い、映画製作の現場への係りと言い、
瀧口が映像に関しても並々ならぬ造詣を持っており、技術に疎いと何となく憚られるような気がする写真評論を
苦も無く(?)手掛けてしまえていたのも「さもありなん、」という感じでした。
それにしてもプラナリアは長年「新興写真」に興味を持っていたにも係らず、
そっちのラインから瀧口に引っかからなかったのは何故だろう?
新興写真と言っても瀧口は(プラナリアがバウハウスの中で一番敬遠気味の)
モホリ・ナギなんかに関心が向いている(実際戦前から信書を交換していた)ように思えるのに反して、
プラナリアはロシア構成主義のロドチェンコや報道写真の名取洋之助などの
グラフィック・デザインがらみに興味が偏っていたからか。
でも瀧口って戦争中「国際文化振興会(KBS)」の嘱託だったんたってぇ。うぐ。
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