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モーガン流日本理解

戦前の日本で活躍した建築家の一人に「ジェイ・H・モーガン」というヒトがいます。
日本では建築家として活動したのですが、さて、来日前のキャリアは?というのを
今ひとつはっきり認識しておりませんでした。
というか、逆に鉄道会社や施工会社に所属していた時期が長かったようなので、
「ん?本当に建築家だったの??」という素朴な疑問も持っていたのです。
(施工組織に属する建築設計者は「建築家」なのか、というのは今でもある問題ですが、
 それだけではなく、イマイチ造形的な押し出しが弱い感じなので。。)
さて、その辺りの真相はいかに?ということを明かにしたのが本書。

ジェイ・H.モーガン―アメリカと日本を生きた建築家ジェイ・H.モーガン―アメリカと日本を生きた建築家

関東学院大学出版会 2009-06
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本書を読むと、モーガンはエリートコースから出てきたというよりは、
いわば「たたき上げ」の建築家であったことが分ります。
とは言え、アメリカ時代は鉄道会社や施工会社に所属する建築家として
相当大規模なプロジェクトに責任のある立場で関与していたようです。

モーガンが来日したのはフラー社から丸ビルの建設を手伝うように依頼されたから。
日本の建設業にとって丸ビルの建設工事は画期となった出来事ですが、
建築家からすると一番大きいのは「工期が異常に早くなった」ことでしょう。
(大正12年竣工の丸ビルは約60,000㎡で工期31ヶ月の工期。
 それに比して大正6年竣工の旧東京海上ビルは約20,000㎡で55ヶ月、
 大正11年竣工の旧三菱銀行本店は約10,000㎡で70ヶ月かかっていたそうだ)

そのスピードのなかでデザインの質を落とさずに工期内に纏め上げ、
しかも施工会社側の人間であるにもかかわらず、材料のグレードなども
設計者である桜井小太郎の意図を汲んで仕上げたのだから
その実力と人間性には瞠目させるものがあったのでしょう。
事実桜井はモーガン死去の折には心温まる追悼記事を寄せています。

そのモーガンの自邸が藤沢に現存していることが発見されたのは数年前、
関係者の獅子奮迅の努力により保存活用の方向が見えてきた矢先に
二度も放火されるという災難にあり、現在も関係者の苦闘が続いているのは
あるいは皆様ご存知かもしれません。

この焼失前のモーガン邸を拝見したことがあるのですが、
和風とも洋風とも付かぬ不思議な建築を前にして評価に戸惑った記憶があります。
本書を読むと、このような建築が成立した理由が良く分かりますが、
日米文化の交点に生まれたこの不思議な建築が何故に多くの人をひきつけるのか、
その理由の一端にようやく気がつかされたような気がしました。
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風邪ひいた、けど

先週の飲み~今週の鑑賞で散財、しかも風邪ひいて昨日は撃沈。
で、野田版ねずみ小僧の話はさておいて、なにがなんでも。

日曜は矢野顕子のさとがえるコンサート、この面子はやっぱ凄かったっす、はともかく。
矢野さんの次作のアナウンスあり。ピアノ弾き語りで、タイトルは「音楽堂」。

そしてこの音楽堂って言うのはなんと

神奈川県立音楽堂のことなんだよ~!

ごほごほぜいぜい。
あ~もう死ぬほど嬉しい。早く音が聴きたい。

・・・詳しくはまた後日。
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今日は歌舞伎座

これから野田版歌舞伎です。
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今度の兼次展は教会特集!

今回で三回目を迎えた多摩美術大学美術館今井兼次展
講演会とレセプションのご案内を頂いたので行ってきました。

今回は戦後の教会建築にスポットをあてた展示で、
講演もそれに沿ったキリスト教思想からくる精神性に重点を置いた内容。
個人的には前橋工科大学の石川先生が兼次の作品としては知名度の低い
鎌倉の訪問童貞会修道院の聖堂を大きく取り上げられていたのが嬉しかったです。

また、世田谷区内には兼次が設計した聖堂が二つあるのですが、
洗足男子カルメル会修道院聖堂カトリック成城教会
どちらも真摯な姿勢が込められた素晴らしい建築であることを改めて教えられました。

レセプションの会場でドリンクのサーブをしてくれた方々の胸に「実習生」の札が。
美術関係ではこの手のレセプションは珍しくないから、
学芸員の資格を取るコースの学生さんなんかがお手伝いして下さっているのか知らん?
大学が現場を持つことの可能性を上手く活かしているように思えました。
会場では環境建築の一人者である建築家のHさんと久々にお会いし、
帰りの電車もご一緒させていただいて色々お話を伺えてのも楽しかったです。

会期は今月23日までなのでお早めに。
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長い長い建物にぎっしり (三十三間堂)


今回ことのほか見学に時間を要したのがこの三十三間堂
もともとは妻が高校時代に弓道をやっていたということで訪れた訳なのだが、
妻子が仏像にはまってしまい、いつまでも出てこなかったのである。



このお堂、中心に大きな千手観音の坐像がでん、とおわしますだけでなく、
左右に等身大に近い千手観音の立像がなんと1,001体!もおられ
(一部は出張したり療養中だったりだけど)、
さらにその前にやはり等身大の風神・雷神と観音二十八部衆の像計30体が
ずらりと並ばれているという状況で、とにかく凄い量の仏像が安置されているのである。
つまりこのなが~い建物に等身大の仏像がぎっしり詰まっているのだ。

日本の兵馬俑といったら怒られますかねぇ~、でも質と量の相乗攻撃と言う意味では近いんではないかと

そんな訳で中はとにかく凄いことになっているのだが、残念ながら撮影不可なので写真はない。
で、1,001体ある千手観音の微妙な差異も見始めるとはまるらしいのだが、
なんといっても風神・雷神と二十八部衆がとにかく個性的で見飽きなかった、ということらしい。



ところで肝心の「通し矢」というのは、写真のお堂裏手側の軒下の端から端まで射って、
例えば一日で何本的に当てることが出来るかを競うということだったらしい。
で、その最高記録は8,133本/13,053本と言うことらしいが、
これだと毎分9本射る勘定になり、これぞまさに矢継早
というのは本堂の中にあった解説の受け売りだが、とても人間業とは思えん・・・。
(因みに矢は座って射る<軒に当たらない様に低い位置から射たい、ということらしい)

で、当然真直ぐ飛ばない矢は建物にガンガン当たってしまうんで、
出っ張っていて傷が付きやすい柱なんかには鉄板養生がされているのであった。
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