2004年11月3日 動物愛護センターで譲渡してきたコロ。
2018年5月23日 虹の橋を渡っていきました。
コロがいなくなってから1年。
あっという間だった気もするけど、まだ1年かあ。という気も正直する。
当時小4だった娘のおいたからコロがもらわれてきたいきさつは詳しくは書きませんが、逆に娘がおいたをしなかったら、コロは我が家の一員にはなっておらず、
よそのお宅にもらわれていたかもしれない。
子どもたちの情操教育の一環のために1度は動物を飼うということをしたほうがいいかも。という話は夫婦間でしてはおりました。
でも、私も10歳から24歳までともに暮らした愛犬の死を経験していたし、あの哀しみをまた経験するという未来を考えるとなかなか決心もつかず、
延ばし延ばしにもなってたのも事実。
飼うなら犬がいいと思ってはいたものの、買うということには抵抗があったため、動物愛護センターで譲渡してもらうことに。
たまたま見にいったときにコロと出会い、どうしてもこの子がいい!という子どもたちの要望に負けてしまったあの日。
ケージを捨てる寸前のトモダチに連絡をしたり、餌のことを聞いたりして急遽、我が家に迎え入れることになりました。
タブン、生まれて2か月くらいだろうと愛護センターの方から言われ、ホームセンターで色々と足らないものを揃えたことが
懐かしい・・これが我が家に来た日の夜。
名前は娘が決めることに。
なぜなら、娘が原因で一員になったから。
名前の条件は頭文字がKであることだけ。
即座に『コロ』と命名されましたね。小学4年生の考える王道な答えだと思います。
犬の名前の代名詞的な。
この時、息子は小1。
コロからは相手にされず、散歩に行ってもひきづられてケガをするほどの逆転ぶり。
そして、コロが私たち家族にはなくてはならない存在になるには時間もかからず、中心的存在になっていきました。
娘が今になって言います。
中学生の時によくコロに愚痴を聞いてもらったと。
トモダチ関係のことで悩んだりしたとき、部活の上下関係で悩んだりしたときも。
そういえば、私にもそういう思い出があるよなー。
私は末っ子だったので、しかも兄弟とは歳が離れてるので一人っ子のように育った感があり、パピ(実家の犬の名)にいろいろと聞いてもらってたなぁ。
子どもながらにどんなことを言っても犬はしゃべれないから安心して言える。。っていうのがわかってたんだろうなーと今になって思います。
そういう役割もしてくれるペットってホンマ癒しなんですね。
子どもたちと共に成長したコロ。
10歳を超えるとやはり老いは確実に目に見えてわかってきました。
12歳になって心臓が悪いことが判明。小型犬か大型犬に多い心臓の病気と先生は言いました。
ちょうど狭間の大きさにひっかかってしまったんだろうね。
1番大きいときで体重が25キロありましたから。
とはいえ肥満犬ではなく、中年太りはすこしあったもののスタイルのいい犬でした。
それからというもの1か月に1度病院にクスリをもらいにいく生活が。
これからは食べたいものを好きなだけ食べさせてやってもいいよ。
という先生の言葉がいつ別れが来てもおかしくないという言葉に思えてとても悲しかった。
2018年5月22日の朝。
毎日朝、仕事に行く前に外につないでいくのは私。ちゃんと言われなくても支度をしてる私を見て、いつもの時間になったら黙って玄関から一緒に出て、小屋の前まで
自分で行く。そして、黙って繋がれる。
犬は賢い。
ホンマ賢い。
若い頃はやんちゃもしたけど、愛おしくて愛おしくて、、かわいくてならない我が子でした。
お願いよ、かあさんがかえってくるまで元気でおってよ。
毎日そう願って仕事にいく私。
結局、看取ったのはオットヒトリとなりましたが、(オットにはとても辛いことを任せてしまって申し訳ないと今でも後悔してる)コロもそれを望んでいたのかも
しれないと今では思えます。
オットはコロのことをとても愛してたし。
息子がちょうど出張中で冷たくなったコロにしか逢えなかったことを今でも悔やんではいるようですが、
それも致し方ない。
コロのお墓は私たちがよく通る道路の上。
子どもたちもそれぞれクルマを運転するようになって、その道を必ずといっていいほど通るので、そこを通る時にはコロのことを思い出してやって
ほしいと思ってます。
私はいつもその場所までくると、ヒトリで『コローーーーーーー!』とクルマの中で大抵叫びます。
しかも大声です。
聞こえなかったらいけんけーね。コロに。
仕事から帰ったら玄関のコロの写真に、話しかける。コロ、ええこにしとった? 帰ったよ。
朝、オットが出社するときには必ずコロも玄関まで見送りに来てた。
コロ、とおさんいってらっしゃいじゃね。
ここにコロの姿はなく、 もうここにつながれることもなく
家主のいなくなったおうちはいまも我が家の庭に佇んでいます。 家の中にはコロが
確かにいたという証が。
水入れはすずめたちのオアシスに。
あの角にいつも座って道行く人たちを監視してたよねー。
コロ。もう2度と犬は飼えないかもしれない。コロ以上にかわいいと思えなかったらいけないから。
大好きだったちくわを今日は食べてね。
コロの冷たくなったカラダを何度も触りながら、いっぱいお別れをありがとうを言ったけど、やっぱりまた抱っこしたいよ。
両耳もってわしゃわしゃしたいよ。
1年経ってやっと書けたこの想いはこれからも大事にしていきたいと思う泣き虫の私です。
一生忘れないから。