7月になりました。区切りのいい時期に(単なる月が変わるってなだけだけど・・)
書き綴りたいことがありましてん。
ふるさとなべーのまなーびーやにぃぃぃファンのみなさま、(え、そんなファンはおらん)
はいはい、えーんです。
私の自己満だけで・・・
いや、でもねー
今は遠く離れた場所で、ふるさと鍋のことを想ってる人も中にはおってんじゃと思うんですよ。
あぁぁ、あの頃はえかったのーー。
とか、
あぁぁぁ、あの頃はめっちゃ、楽しかったのぉぉ。
とか、
あぁぁぁ、○○ちゃんのこと好きやったのぉぉぉ。。
とか、
私なんて、比較的近い場所におるというのに、すぐにでも行けるというのに、いくチャンスがなかなかない。。っていう。
残念なことに鍋に親戚もなんもないので、帰れる場所がないというのは実に寂しい。
なので、祭のときがチャンスなんですね。
カメラ片手にあのドキドキするヤブとの対面をもう、オトナだというのにいまだにワクワクしながら路地を歩く。
懐かしい鍋のニオイと、路地の狭さを感じながら。
2年前に、どうしても今がどうなったか見てみたかった路地がありましてん。
その路地はなぜか夢に出てくる路地でしてん。
気になって仕方がないので、思い切ってカメラ持って探訪に行ってきました。
知ってる人が見たら、絶対懐かしいと思う路地です。
鍋小ファンの人たちにとっては好物かもしれません。
お楽しみいただければ幸いです。
出発は、警固屋体育館。
クルマを置かせてもらわねばなりませんからね。
昔はここは海でした。
夏休みに日新の煙突をデッサンしに来ていたあの断崖絶壁だった場所が今は「小島」と書かれたところです。
覗き込んでは、こわーーーっ!と思っていた小島は現在はこうなっております。お墓のような石碑が建っておりましたね。
それもちゃんと今でも昔のままあります。
そしてまわりの海はぜーーーんぶ埋め立てられております。
そして、立派な体育館が建っておるのでございます。
ま、今日の目的地に急ぐことにしましょう。
大正橋の岡本衣料品店とか、卓球場があったあたりとか、土手のお好み焼き屋さんがあったあたり、もしくは菅内科、お隣は
田口という雑貨・野菜・惣菜・パン・駄菓子を売ってたあたりを通り過ぎて左に曲がりとうございます。
曲がった場所がここです。
昔は左手のビルが建ってるあたりは空き地で、でっかいダンプとかが停まってました。
その奥は松村プロパン。
右手には散発屋さんがあった。同級生の女の子がおったハズ。確か歳の近いお姉ちゃんがおったんじゃないかと・・
右手のグレーチングなんて、昔は、でっかい石(長方形の立方体)だったよね。
雨が降った後なんて、隙間からよく覗いては勢いよく流れてく水を見よった記憶あり。
私の父なんて、その隙間から釣り糸を垂らしてあなごを釣りよったと、聞いた記憶があり。
懐かしい・・
そこをバス通り目指してあがっていきます。
このお宅は、そろばん塾をしていたお宅じゃないかと・・
少しお歳をめしたお母さんがそろばんの先生で、娘さんがわたしらより少し上で、めっちゃキレイな人だった。
2階のあの手すりのお部屋が塾で、木の長机に座ってそろばんをしてた。
私も2年生から4年生くらいまで行ってたんだよね。
そろばんをしながら、お菓子を食べてもいい塾で、田口でベビースターラーメンとチロルチョコを買って合間に食べてた。
その向かいは千恵盛の酒蔵。
ここいらでは大地主さんの家系ですよね。
今おもえば、この小さな地域に白天龍さんと、千恵盛さんと、酒蔵が2つもあるなんて、かつて鍋桟橋が賑わってたことが伺えます。
あの角には、畳屋さんと新聞屋さんがあったと思うんよね。
左の駐車場になってるところはアパートがあったような・・
この左の道をあがってくと、すぐに駄菓子屋さんがあって、(でも、私は行った記憶がない。名前も知らない)その先は
もっと小さい路地になって分かれ道のところにブルドックが飼われてて、怖かった記憶があるんよね。
風呂屋の裏手を通って、宮本スーパー(八百屋)のあたりに出る道に繋がる。
懐かしい路地です。
今日はここには行きません。
家がみんな新しくなってるので、街並みが違って見えます。当たり前よね。私がいたのはかれこれ40年近く前ですから・・
バス通りに出ます。
この景色もまったく違う。家がなくなってる・・
ちょうど、鍋タクシーが通るっていうね。 ナイスなタイミング。
右を向けば、
宇佐神社と鍋小学校。この右手の新しいお家のあたりに、平(ひら)時計店があったよね。
白髪のおじいちゃんが時計をよく直してくれた。
父とこのお店に何回か行った記憶があるわ。
左を見ると、手前にはえびすマートが。もう、閉店してしまってるそうです。
右手の空き地には昔、はとば薬局か、まとば薬局か、武田の歯医者のとなりにあったのが、はとば薬局で、ここにあったのがまとばやっきょくかな・・記憶が定かではありません。
よーおつかいに行かされてたのを覚えてます。
右手のシャッターがしまってる赤い屋根のお店はお肉屋さんだった?
惣菜屋さんだった?
母はここまでは買い物には来なかったなぁ。
バスの停留所の前よね。
そして、今日はこの真正面の道を上がっていくことが私の目的なのです。
鍋小ファンのみなさん、ここはあの松岡の斜め前の道ですよ。
この道をあがっていくと、右手に駄菓子やさんがありましたねー。
1円飴とか売ってて、私もたまに行ってましたわ。
どの道も結局は、うわ道路に繋がるんですがね。
鍋小からみたこの上にある道路。
通称「うわどうろ」
この道路に繋がる路地は、そりゃ、たくさんあります。
今日はここからあがる道を探訪するっちゅうことで、つづきはまた・・
画像に手を加えることに結構、時間がかかるんですよ。
しかも、いろんな思い出と共に書きたいと思ったら、心が穏やかなときでないと、なかなか筆も進みません。
長いスパンで書いていこうと思います。
鍋小ファンのみなさまのためにも。。
私の記憶のためにも・・
私の記憶もアテにはなりません。
あ、ソコソコ違うよ~ってのがありましたら、つっこんでくださいまし。
と、いうことでつづく。