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バストーク 0904-1

2007年09月04日 22時02分59秒 | 急行特急TH発2007年→2019年5月1日AM11:59

 最初で最後になるかもしれない、バストーク。
 実は、昨日の夜に発表しようと原稿を書いていたのだが、回線不具合(未だに、電話回線でやっている愚か者)により、投稿した文章が全て消えてしまい泣いた。そんな話はさておき、本題へ…。

 これも昨日9月3日になるのだが、とあるインターネットのサイトを見ていたら、横浜市営バス1系統ともう1つの路線が今年の10月に、神奈中に移管されるという話題があった。
 1系統は、横浜駅西口から緑車庫または中山駅まで行く路線であり、学生時代、趣味でよく乗っていたので、思い入れのある路線でもある。神奈中もこの1系統のルートに酷似する路線があるのだが、そちらがどうなるのか気になるところでもある。
 さて、写真はその1系統で横浜市営バスの車両である。これは、今から5~6年前に撮ったものである。私は1系統と言うと、この写真の様な「大型」ではなく、「中型車両」で運転される方が印象に強かったので、掲載写真の車両でやって来たのは、もの凄く驚いた。確か、バスターミナルに上がったら、偶然これが居て、急いで写メした記憶がある。まだ写メが出立ての頃だったので、それほど質良く写真を撮る事が出来なかった(私の腕の悪さのがデカイかもしれない。若干は、加工を施してみた)のは、お許しいただきたい。
 なんの変哲も無いバスだが、この車両、今はもう横浜市営バスでは存在しないし、神奈中でも存在しない。全て廃車されている。地方都市に行くと、まだまだ元気に走っているかもしれないが、東京ではもう見られない車両である。
 このバス、「エアロスターK」という三菱が出した車両である。車体は、新呉羽車体が製造している。そして、横浜市営バスで、この型のバスは「オートマ制御」である。“M-MATT”と呼ばれる、「機械式オートマ制御」であり、発車時に「カチカチカチ」という音がするのが特徴である。そして、「オートマ」と名乗りながら、実は、通常の「ミッション制御」の様に、「5速以外(推測)」は自由に変速可能なのである。クラッチは勿論ついていない。ギアは、同型のミッション制御の車と同じく「フィンガーコントロール」で、形もそのままであった。5速の位置に入れると、「ドライブ」になり勝手に変速してくれる。自由に変速が効く所為か、アクセルを強く踏み過ぎて(2速から3速に自動また手動で変速する場合)変速させると、「ガリ」という音がするのも特徴である。しかし、「不経済走行」という警告灯が運転台に表示されないという不思議な車両であった。通常は、「空ぶかし」という事で、2速から4速までの間で、回転数を上げすぎると、「
不経済走行」という警告が出て、それを無視して回転数を上げていくと最後は、「ピー」という警告音がなる仕組みになっている。まがい也にも「オートマ」という事で、その辺りは「ミッションとは違う」という事を言っているんだろうと思う。
 さて、この“M-MATT”で気になっていたのが、「5速の存在」である。その謎を解いたのが、この時乗ったこのバス車両だった。ようやく、この型のバスで「2速」から始まり段をおって「5速」へ自動変速される事が解ったのである。どうも時速60キロにならないと変速されないようである。それも、一瞬、アクセルを緩めてちゃんと変速されるように仕向けないといけないようで。
 横浜市営でも神奈中でもそうなのだが、オートマであっても、この手のバスは、「ダイレクトドライブ制御」であり、一般道路でも「5速が使える仕様」になっている(それは、この型の車両に限らず、現在ありふれて走り回っている三菱車両でも同じである。)殊に、三菱車のダイレクトドライブ仕様は、2~4速の間で高速になればなるほど、回転数の上がり方も大きく、「騒音」も激しくなる。故に、こまめにシフトチェンジする必要があるという面倒さも実は併せ持っている。それは、今も変わらないはずである。特に、4速は、なやみ所で、「一般道は4速まで」という原則をあくまで貫くと、このダイレクトドライブ三菱車は、「騒音が激しくなる」のである。故に、4速で時速40キロを越えると騒音が気になり始め、エンジンもどことなく苦しそうになるので、「5速」での走行が望ましくなる。だが、5速を使うと、「エンジンブレーキ」が効かなくなる上に、トルクが若干落ちるらしいので、倦厭される場合もあるようだが、エンジンブレーキ対策は「排気ブレーキ」を使えば、余程の急で長い下り坂でない限りはある程度は対応できる筈なので、勝手に私は、「三菱車両のダイレクトドライブ仕様のバスは時速40キロ以上は5速使うもの」と決めている。その方が、騒音も乗り心地も良くなるし、燃費も良くなる筈である。
 話がそれたが、私が何度か乗った横浜市営バスの路線でこの“M-MATT”車両では、どうしても5速にはならなかった。一度ある路線で乗った時、瞬間的に60KM/Hをマークした事があったがそれでも、4速のままだったので、思わず運転手に「この車に5速はついていないのか?」と訊いてしまったのだが、「ある」とだけしか答えてもらえず、私もそれ以上は訊けなかったので、疑問はふかまるばかりだった。あるサイトで、「この型のバスだと、どうやったら5速になるのか?」と訊いた事があるが、やはり明確な答えは出なかった。「5速は存在しないのでは?」という意見さえ出てきた。
 そんな時、一度、京王バスで、車体は違っても同じダイレクトドライブ仕様の“M-MATT”制御車で乗った時、5速になったのだが、その時、どうやってなったのかは調べきれなかったが、「5速があるんだ」という認識は出来た。
 この写真の1系統に乗車した時に5速が使われたのを皮切りに、異なる他の2つ路線で、同型のバスに乗った時にも体験が出来て、嬉しい上に、「萌えた」記憶がある。
 私は、何を隠そう「5速狂」で「5速大好き人間」である。地元の路線バスも10年以上前は、三菱車に限っては「5速」が当り前の様に使われる事が多く、4速に比べると騒音がなく走りが安定しているのが良くて、いつしか「5速好き」になったのである。
 

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Mind Feeling 0904-1 「“Express”を巻き込んで描かれた物」

2007年09月04日 22時00分18秒 | 急行特急TH発2007年→2019年5月1日AM11:59

 一度、“Express”というユニットをかつて作ったという話を出した。
 今回は、その話をしてみたいと思う。
 実は、先にリンク先の例のブログサイトの
http://blog.duogate.jp/tsuyoshiexp/?p=0&disp=entd_p&EP=17340602で、ある程度発表してしまったので、新鮮味のある話ではないのだけれど…。
 シンガーソングライターに憧れた(今も、実は少し)のが、結成した当時の自分自身だった様に思う。故に、そんな音楽ユニットを作った様にも思う。
 私が演じると書くと言い過ぎだが、ペンネームとして掲げた「塚村 尚人」という名前は、それを結成するより前に書き出したあの小説“The Singer Song Writers”(参考
http://blog.duogate.jp/tsuyoshiexp/?p=0&disp=entd_p&EP=16139665
の中にあったのは、以前も話したような気がする。
当初は、本名で行こうかと考えていたのだが、結成した相方の友人から、「塚村 尚人」という名前を使うんじゃないのか?という話になったので、その様にした覚えもある。
 結成当初は、自分自身は単なる脇役的な存在で居ようと私は思って居た。理由は単純で、相方(これより先は、Koukiと表現する)に任せた方が全てがうまく行きそうに思ったからだ。後は、「Koukiの思う通りさせる為」というのもあった。私が、曲を作ればそれで、色々と文句が来そうで怖かったというのもあったし、何れ、似たような曲しか作れない自分自身(それは、結成前に書いていた互いに書いていた小説を発表する場面でも見られた)が目に見え、負けを認めていた…というのもあった。
 一度、作詞したものをKoukiに渡して、曲を作ってみよう…という所までは行った事があるが、「詞の内容が、どこか盗作っぽい」と言われて引っ込めた覚えがある。その「盗作」は、当時も今も好きな、例のシンガーからである。
 その後、卒業によりKoukiとも学校が変わった時点で、この“Express”の活動は休止状態になり、私もKoukiも表立って、曲は作らなかったと記憶している。
 再び動き出したのは、4年位経過してからだと思う。私が、どんなに変だろうが、曲のようなものを形にする事に成功した事による。その後、3年位の間に20曲位とりあえず自分の方で、曲は作ったが、取り立てて発表するという場はなかった。2人の間でさえもである。
 名前だけの存在になりつつあった、この“Express”は、リンク先のブログで、『“Express”のプライベート特談』という小説の中で書いてきたが、フリーランスで作った「ていとラジオ」で、とりあえずは動いている事になっていた。世に出る事は、結局なかったというのが全てのオチではあるが、そんな「ていとラジオ」の番組を、ワープロソフトで発表する中で、私は自分自身が“Express”用として、作った曲のタイトルだけは載せていた様に記憶している。
 ラジオ番組のスクリプトは、もはや手元には無いが、“Express”用として作った資料は、全て私の手元に残っている。
 
 さて、結成から4年位経過した頃が、一番、私も作詞作曲活動が盛んだった様にも思う。

 「ユニット名である、“Express”という曲をデビュー曲としたい」

 そんな野望も実はあったりしたので、本当に私はそのタイトルの曲を作ってしまったという話も以前したと思う。本当は、Koukiに全てを作ってもらいたかったのだが、結局それは叶わないままであった。
 「表現する」と「急行電車」の「速さ」を取り込んだ曲が、“Express”という曲であり、改めて出来上がった詞を見てみると、「解散の時に、歌うと良いかもしれない」という感じがしなくもなかった。懐古思想が色濃い私なので、それが一杯に出た様にも思う。
 
 後に、私はこのKoukiとのつきあいを辞めてしまう事になる。実は、つきあいが終わる前にも、2回、「決裂」を起こしている。原因は、自分自身にあると思っているが、「付き合うために、相手の嫌なところを我慢しなければならない事に疲れた」と言うのが一番大きい。
 1度目の決裂は、“Express”を結成する前で、「自分対Koukiではなく、自分と彼を取り巻く周辺の人間関係のもつれにあった」と思う。私も付き合っている1つのグループ集団に、Koukiも彼が付き合っているグループ集団に、引っ張られ、それのグループが対立していたので、溝を作った様に思っている。
 2度目は、本当に、私の個人的な我侭による物(詳しくは、とても恥ずかしくてかけないし、思い出したくも無い)そして3度目(決裂とは言えない面が大きい)似たような物だが、もう「お互いが付き合うという上で繋ぐものがなくなってしまった」事が一番大きい様に思うし、互いを取り巻く生活環境が変わった所為もまたあり、良い言い方をすれば「自然消滅」と言っても過言ではない。一方で「お互いが一方を支配しよう」「自分が相手よりも優位に立とう」という姿勢もあったりして、それに「疲れた」というのもあったりはする。そんな付き合い方が、周囲の環境でもあったのは驚きである。
 このKoukiという人物とは、これまでの人生の約10年位関わり『“Express”のプライベート特談』に登場した、中学時代の放課後に学校の愚痴中心として、趣味の鉄道にバスを語ったあの「談義」という場と、その当時、互いに所属していた「部活(『コンピューター研究部』と言って、お絵かきソフトでパソコンと親しみましょうというのが目的だった)」そして「鉄道・ラジオフリーランス」に繋がる等、とりあえず残した足跡は、しっかりとしたものであるし、このKoukiに私もかなり影響された面がある。
 先述の「談義」という場から、この“Express”は生まれたのは、述べた通りであり、この「談義」という場は、Koukiと私を繋ぐ場所であり、後の「ていとラジオ」も切り離せないものでもあった。
 当時、Koukiとつながっていたいが為に、メールが発達しても尚、「普通の郵便」を使って、お互いの近況やらなにやらを話していたりはする。その当時の資料が出てきたのだが、「他人行儀」というか、「友好の度合いを高い所まで深めようとしていない」姿勢が窺えた。私自身、「秘密主義」という姿勢が強いので致し方無いにしても、共に電車やバスが絡んだ旅行までしているのに、友好の度合いが浅いままで、よくも10年も続いたなと思う。Koukiもそれなりによく我慢してくれたな、とも思う。きっと彼は全てを解っていたと思うのだ。
 そして、決裂を2度、3度起こしているけれど、歩みよる第1歩はいつも自分だったのも不思議な話である。そして何故にそこまでして、「繋がっていたい」と思ったのだろうか?所詮、うまく行かない付き合い方しか出来ないというのに。
 今は音信不通であり、連絡の1つもKoukiとはとっていない。そんな話をここでしてしまった手前、再び…という訳にも当然行かないので、過去の笑い話として永遠に自分の中で語り継がれるんだろうな…と思う。

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