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Mind Feeling 0912-2

2007年09月12日 22時03分02秒 | 急行特急TH発2007年→2019年5月1日AM11:59

  昨日から、勢いに任せて、いろいろと書いてしまい、後がとても恐かったりする。
 結構、ひとりこもってというと語弊があるが、ダーッとキーボードでガンガン文章書いていくと、いつしか「自己満足の世界」に誘われ、先述の通り「後も先も考えない」事を書いていまいがちな私である。
 個人でこうして、サイトを運営していき、「観られているには観られている」にしても、「そんなに驚くほどの人が観てる訳じゃないし」と思ってしまい、突っ走ってしまう事はある。「自由奔放な性格」(その癖、小心者という性質の悪い性格である)なので、トラブルは絶えなかったりする。20を越えているのに、いい年齢して「馬鹿みたい」だなと思うし、「子供だな」と思われてしまうのかな・・・とも思う。事実、トラックバックなんか見てると、そういう形のサイトからのが多くて、「自分ってそんな風に思われてるのかな」と思ってしまう。
 「(あくまで、〝主観〟な視点で)極力」、後々になって、何か問題が起きない様な形で文章を書いているつもりであり、誹謗中傷はしないようにしているつもりではあるけれど、所詮は「主観」なので、もしかしたら・・・というのはあると思うし、むしろそれが「恐ろしい」と思う。
 よく言われるが、ネット上は「相手と面と向かって生でやり取りする」という場でないので、「言動に勢いがつきがち」なものであると言う事は解っているけれど、「常に意識をそれに集中している訳ではない」ので、時には、間違いを犯すのかなと思う。
 昨日9月11日と今日9月12日にかけて、「言いたい放題」な話を書いているので、本当に「後が恐い」なと思う。特に、「こいつって嫌な奴で相手する価値なし」と思われるのが「一番恐い」なと思う。勿論、「厳しいコメントが来る事も恐い」のも言うまでも無い。
 色々と口に出来る事は、良い事ではあるけれど、言葉は見えない「刃」でもあるので、いつ何時、人の心を傷つけたりするかは解らないので、「扱いが難しい」なと思う。
 「言葉にしないと何事も伝わらない」けれど、「言葉にしすぎると、弊害を生む」という面もあって、「しゃべる」「書く」という行為って、本当にセンシティブなものだと思う。色んなものを形にしていくと、「余計なもの」「醜いもの」も出て来るのは、「副産物」として致し方無いにしても、「扱いに困る」ものだと思う。

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Mind Feeling 0912-1 「政治に思う」

2007年09月12日 21時15分01秒 | 急行特急TH発2007年→2019年5月1日AM11:59

 今日は、おそらく「首相辞職」という事で持ちきりだとは思う。
 突然の話に、動揺は隠せない感じがするが、気持ち的に私は、複雑な感じがする。
 支持率の低迷や参議院選挙の結果を見れば、こうなる事はある意味、察しがついていたようには思うが、そうであっても「続投」を決意した首相であった。それはそれで、良いかなとは思う。「これから」という「期待感を起こす」という事で、内閣改造もして、やっていく方向で居たのだとは思う。
 「人の気持ちは、いつでも同じ場所に留まる事は出来ない」ものだと思う。よっぽどの「信念」や「執着心」と言った「心構え」に「覚悟」とも言える「気持ち」が無いと、本当に「脆い」ものだと思う。所信表明もして、本当にやっていく気持ちが、「その時はあった」のだと思う。けれど、状況や情勢が常に変化していく中で、「辞職」という気持ちが出たのではないか、と思う。あるいは、「このまま続けて行っても、行き着き先がよりリアルに見えてしまった」というのもあるのかもしれない。語弊があるだろうけれど、「辞める」という「犠牲」を払った方が、ゆくゆく「プラスな方向に向かう」という風に思ってしまったのか、と思う。それは、よく解る気がする。案外、自分もそんな風に思う事はあるからだ。
 「これから」というのが、本国会だったと思う。国内外の諸問題について、「取り組んで行こう」と言うする「意志(意思)」は多分にあったと思う。けれど、そうであっても、「決して易しい」ものではなく、「難しい局面」にたたされている事も事実だと思う。故に、結局最後は「辞職に行き着くのではないか?」とか「続けていく事で、かえってマイナスな方向へ向かうのではないか?」という思いもその中で生まれたのかな、とも思う。いつでも「これから」が「うまく行く、という訳ではない」事は言うまでもない。「逃げた」といえば、そうかもしれないけれど、そんな「難局面」を「支えようする姿勢」はどれだけあったのだろうか?とも思う。
 「民意が“NO”」と言っても、その裏にある「期待感に応え様」と言う姿勢を「受け止める」事を理解し、「支えようとする姿勢が弱かった」のかな・・・とも思える。「民意を楯」に「降ろす」あるいは「降りるしかない」という方向に、なってしまい、結果的に「国益にマイナスを及ぼしている」事は間違いなさそうである。そうならない様に、今は、走り回っているようではあるけれど・・・。
 私はこれまで26年程しか生きていない人間であるけれど、日本の首相は私が生きてきた中で、これまで一体何人変わっただろうか?少なくとも10人は変わっていると思う。1~2年で「辞職」というパターンが殆どだったのではないか?と思う(大抵が「誘導型辞職」だったと思う)日本の首相の印象というのは、アメリカと比べると「薄い」感じがする。それだけ、多くの人が現れては去っていってるんだと思う。
 10台の頃、政治を見ていて、「何か問題が起きたり、うまく解決出来なかったら、即、首相を降ろせ!」という動きが強いなと思った事がある。それは、小泉首相が任期満了まで勤めた事で、それは薄れていたのだが、ここに来て、「またか?」という感じである。これまでの歴史で、確かに「退陣して改善された」という事はあると思うけれど、1990年を越え今日に至るまで「退陣して何か改善されたか?」という疑問は残ると思う。「辞めた」「辞めさせた」所で、「状況は大して変わらない」それゆえに、誰が首相になろうとも、政治家になろうとも、「政治そのものは変わらない」という「考え」が蔓延したようにも思う。
  首相に必要なのは「実行力」、「行動力」、「判断力」は当り前として、今、かけてるのは、「統率力」とか「カリスマ性」ではないか、と思う。それを教えてくれたのが、小泉首相かなと思う。彼には、「統率力」「カリスマ性」が充分あったと思う。なった時期が良かったという事もあったかもしれないけれど、「政治を見てて、面白いな」と思えた。小泉政治から出た諸問題もあるにしても、まだ、「政治が安定していた」様に思うし、ようやく、「今の日本の首相は?」という問いかけに、「小泉」という名前が、すっと出て来るような首相だったと思う。一度、バライティー番組系で、「今の日本の首相は誰ですか?」という問に、出演者が「答えられない」事があって驚いた事がある。やらせだったのかもしれないけれど、異常な事態だったと思う。その当時の首相が誰だったかは覚えていないが、小泉首相や今の首相でなかったのは間違いない。
 「統率力」は、簡単に身につく能力ではない事は言うまでも無く、しっかり「教育」して「育てる」ものだと思う。案外、これが、今の世の中「不足」してるのかな・・・と思う。自分にもそんな能力は無い。
 勿論、「統率力」だけでは、集団は保たないと思うので、それを支える「支援者」も必要だと思う。それも不足しているのかな・・・とも思う。そう言う人を集める事もまた、容易ではないけれど、「協調して行きたい」という気持ちも「不足」しているのかな・・・とも思う。ドラマに出て来る、3年B組の担任教諭の言葉ではないけれど、「〝人〟は、〝支えあって〟生きている」以上、「協調は大切」だと思う。これでも、言葉では簡単で、実際には「難しい」けれど、あまり1国の首相が短期間でコロコロ変わるのは良いとはいえないだろう。
 「国民支持が絶対」であるにしても、「何があっても首相を支える姿勢」や「共にやってきましょうと言う姿勢」が「必要」なのではないかと思う。
 世の中、「自分の事で手一杯で、他人の事まで手が廻らない状況」であるにしても、それが「政治の世界」にまで、浸透しているとは思いたくは無い。
 「政治改革なくして、景気回復なし」みたいな台詞を、小泉首相の時代に口にした議員氏が居たように思うが、今は、その言葉が正しい様に思う。
 と力説しても、しょうがないのだが、とりあえず、そんな所である。
   

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