こんな事すら言葉にしなければならないほど、自分の心すさみ具合や歪み具合を露呈する事になることをお許し頂きたい。
よく耳にする、
「頑張れ」
「元気出せ」
「考えろ」
という言葉。これを「相手の状況をかえりみずに使われる」事がある。取り立てて言う必要ももはやないが、3つは「無責任な言葉である事の認識が足らない」と思う。
この現代、「誰もが何らかの形で自分の事で精一杯に生きている」ものだと思う。それは「苦境を越えてでも生きていこう」とする姿勢が現れていて、素晴らしい事だと思う。けれど、「終わりの無い苦境」を越え続けるのは、どうあっても不可能なのだ。
いくら「考えても答えが出ないのだ。だから、問うている」のだ。 「頑張り」も「元気」も「枯れて果てている」状況の中で「苦境反発する強い意志がある場合は除いて」だが、2つの言葉は、単なる「キレイゴト」でしかなく、かえって「マイナスを生む」だけだと思う。その事の認識がどれだけされているのだろうか?
「自分の事で手一杯」となると、「他人なんてどうでもよい」となる。それはごく当然な話であるし、どうにも出来ないのもまた事実である。だからだろうか、「無責任感丸だし」のあの3つの言葉が出てくるんだと思う。「私だって考えているんだ。手一杯なんだ」と言って突き放す。全くもって「意味をなさない」のだ。
先日も、溢れすぎて意味を無くした言葉について話たが、こんな言葉を口にしなければならない問題を解決をはかる方法は解らないままだ。何が悪いと特定出来ないから「個人が悪くなる」。考えても答えなんて出ないから、考えない事を選ぶ。考えさせる事をさせる。 今1つだけ、自分が出来そうな事は、
「常に相手を傷つけない言葉や言い回しをする」
「むやみやたらと〝頑張れ〟や〝元気だせ〟それに〝考えろ〟という言い方をしないようにする」
「〝考えろ〟は、〝自分の思う方向性を明確に〟示し、〝解らない時は、はっきり解らないと言う〟。さも〝知っている振りや言い回しをしない〟事」
という事くらいしかなさそうだ。