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Mind Feeling 0921-2 「溢れた言葉達」

2007年09月21日 18時46分44秒 | 急行特急TH発2007年→2019年5月1日AM11:59
 現在の自分がおかれている状況的な問題もあるのか、最近よく、「前向き」とか“Positive Thinking”に「プラス思考」という言葉を耳にする。何れも同じ意味を持つのだが、「マイナス」に“Nagative”、「憂鬱」というもので覆いつくされた時代に、「逆行」するもの。だからこそ、という意味を込めて使われるんだろうが、その意味は果たしてあるのだろうか?
  「カラ元気」に「バカ笑い」というものがあるが、何れも「無理をして」とか「故意に」という意味が含まれている。
  そこまでして、ある意味、「偽り」を「演じて」まで、「前向きさ」を持たなければならないのだろうか? 考えは人それぞれにあるとは思うが、「逆行」でうまくいくこともあれば、いかない事もある。そこはしっかりと理解されているのか、時折、疑問に思う。
 「偽」は、「似ているだけ」でそれ以上のものはないし、「偽を演じられるのは、限られた一瞬」でしかない(それを剣に、人を疑って攻め立てる人物もあるようで、見苦しいものだ)。 「前向きさ」を「無理に持たされるような言葉達で溢れかえっている」ようにも思う。「“Nagative”の根底に潜むもの」に「せまらず」に居続けても、「一瞬」でしかない。長期的な物を望む社会と逆行する動きな気がする。
 言葉だけでは、何も形にならないし、誰もが「実ある物」「形の在るもの」を望んでいる割に、「言葉だけが横行」している気がするし、私も「言葉だけが先行」している感は、ぬぐえないので大きな事は言えない。溢れる言葉に、一体何時から溺れているのだろうか?
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Mind Feeling 0921-1 「晴が皮肉めいて見える日」

2007年09月21日 12時15分54秒 | 急行特急TH発2007年→2019年5月1日AM11:59
 今週は、「空」のネタばかり話しているが、今日もそれに関する話である。
 「晴」の日も休日以外だと、その空の真っ青さや澄み切ったものを、特に朝起きて、これから、職場なり学校なり、あるいは、「望んで行きたくもない様な場所へ行く」時なんかに思う。

 「や~い、がんばってね~。厄介事起きたり起こしたり、不幸にあったりしたら、大笑いしてやるからな~」

  と言っている様にすらおもう。憂鬱な気分を皮肉に嘲笑うかの様なのだ。
  何事もなく、自由に過ごせる時の「晴の日」は、確かに、気分が悪くない事は無いけれど、気分が重たい時(それを私は「ヘウ゛ィな時」と呼んでいる)だと、「皮肉だな」と思ってしまう。
  こんな事を思うのは私だけだろうけれど、気付いてしまったと言うか、思う様になってしまったので、今更、変える事は出来ない。
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