狙ったわけでなく本当に偶然で、乗ってしまった、小田急5200系(正しくは5000形)の第5編成に乗ってしまった。嬉しいっす…と思う私目は、「単なるガキ」だな。
「報われない恋心も、叶う当てない遠い夢も、今は月に照らされて、束の間満たされた様に見える」(篠原美也子『月の河』1993年 より引用)
「明日にはまた欠けて行くのに、黙っている訳を教えて…中略…満たされた月の淋しさに、問いかける言葉は尽きることなく…中略…はかなくはないですか 恐れたりしませんか 淋しくは無いですか 繰り返して行くことは」(篠原美也子『満月』1993年 より引用)
「白い月が笑っているよ」(篠原美也子『白い月』2005年 より引用)
当初曇りと言われ、十五夜は見られないかも…と言われた満月、何とか見る事が出来た。
冒頭から3つも「月」に関する曲の詩を引用してみたが、割と彼女が世に出した曲には、「夜」や「月」、「星」に関する物が多くあり、その影響を多分に受けている私である。
つかの間の満月。引用にもある様に「明日には欠けていく」のだ。満ち足りた瞬間をうたった藤原氏もやはり天下の座から退いて行った。永遠や絶対を求めても、そんなもの等ありはしない。以前も書いた通り、時間の長短こそあれ、長い目でみれば、「一瞬」でしかない。
そう思うと、こうして静かに満ちて空に浮かぶ月も、はかないものだと思う。
物語に終わりあるけれど、移り変わる日々に終わりはなく、ずっと長く続いていく。無論、話だってやろうと思えば、永遠に続けていく事は可能だ。
1つの終わりを見たとき、自分自身にも、もしかして、終わりがすぐ傍にあるんじゃないか、と思う時がある。物語と共に自分自身も消えて行く…単なる錯覚ではあるけれど。 絵に描いた餅に騙されるように、物語というつくられた虚構の世界が、あたかもあるように騙されてしまう。美なる世界に引き込まれると、現実という世界の生生しさや醜さがありありと見えてくる。
遠い空の彼方には、闇がある。全てを静かに包み込む時が。しかし、それでも、時は止まる事なく動いている。
1つの終わりを見たとき、自分自身にも、もしかして、終わりがすぐ傍にあるんじゃないか、と思う時がある。物語と共に自分自身も消えて行く…単なる錯覚ではあるけれど。 絵に描いた餅に騙されるように、物語というつくられた虚構の世界が、あたかもあるように騙されてしまう。美なる世界に引き込まれると、現実という世界の生生しさや醜さがありありと見えてくる。
遠い空の彼方には、闇がある。全てを静かに包み込む時が。しかし、それでも、時は止まる事なく動いている。
おっしゃる通り、「引きー」にならないで、外へ出ろよという感じですね。汗
そう言えば、泊り込みの1人旅って、これまでの人生の中で1回しかないかも知れないです。なんて事なんでしょう…(驚&少し鬱)
つよんじゅん様や名川@東武バス様を見ていると、自分という人間の「保守的さ」が露になってしまいますけれど、もう少し「自分の欲望に素直に忠実になる」事と、「旅の目的を電車以外に見出す」という事を考えるべき所だと思っています。
とは言え、こういう言葉を自分にかけても、その効力って弱くて、「実行に踏み切る」所まで行かない自分が居たりします。現実考えると、連休遊び来るって、その次の日、仕事をこなせる自信がないです…。
そう言えば、泊り込みの1人旅って、これまでの人生の中で1回しかないかも知れないです。なんて事なんでしょう…(驚&少し鬱)
つよんじゅん様や名川@東武バス様を見ていると、自分という人間の「保守的さ」が露になってしまいますけれど、もう少し「自分の欲望に素直に忠実になる」事と、「旅の目的を電車以外に見出す」という事を考えるべき所だと思っています。
とは言え、こういう言葉を自分にかけても、その効力って弱くて、「実行に踏み切る」所まで行かない自分が居たりします。現実考えると、連休遊び来るって、その次の日、仕事をこなせる自信がないです…。