一応は、気にしているというか嫌でも気になる、自分のサイトの「アクセス数」。カウンター制度はついていないので、これまでの集計でどの位の方々がご覧になられているかは解らない。
写真を掲載すると、グッと1日の「アクセス数」が増えるのは1つの手法として使えるなとは思っている物の、デジカメを持っていない私なので、写真は全て携帯に依存している…という話は以前したと思う。あんまり携帯で「写メール」を送ると、使用料金が気になるのでそうは使えなかったりする。画像は、基本的に「適材適所」と「どうしてもこれは…」というのを厳選して掲載するようにはしている。
話はそれたが、1日に100以上のアクセス数があるとやはり嬉しい(9月4日の時点で、1日最大アクセス数が約400があったのが過去の最大値)。本当に極貧な数字ではあるが、とりあえず「見てもらえている」という事は、嬉しい限りである。
とは言え、毎度、毎度、長たらしい文章を書きなぐっているのは、相当問題あるな…と思いながらも、止められない自分自身にあきれ果てながらも、今日もこうして書いている。
前の書いたと思うが、「特に〝コレ〟という物を、強く訴えて伝えたい」という物はなく、「ただ、思った事そのまま伝えたい」という一心で、書いている。極力、毎日、更新するようにはしている。捏造も何回かあったりはしたけれど…汗。
また、過去の話になるが、中学時代に所属した部活『コンピューター研究部』で、お絵かきソフト(確か、“Kid 98”)を使って、思い思いにそれぞれが「絵」や「イラスト」を描いていた。そんな部活が、文化祭の折には、その創り上げた、描いた、「絵」なり「イラスト」なり(以下、「作品」と呼ぶ)を発表しようという事になっていた。そんな折、当時の顧問をつとめた教諭が「何か、見る人に訴えかける物があると良い」と言われた覚えがある。
文化祭の折りには、「作品」を制作した経緯等をビデオ画像を通じて解説する事もやっていたりした。当時、私は、電車の絵ばっかり(特にJRの103形1000番台のオリジナル塗装がお気に入りだった)描いていたのだが、文化祭には「絵本的」な「物語」を作って発表した。だが、その「物語」で私は特にこれと言って、何かを訴えたり、表現したい、と言う想いはそうはなく、「作品」解説ビデオ画像には、「特に訴えかけるものはないけれど…」という言葉を添えた。
所謂、ヤまなし、オちなし、イみなしの3つを取った「ヤオイ」という事になるんだと思う。ただそこに少々語弊があるのをお許し頂きたいが“Boy’s Love”の様なものが無いだけで…。
今にして思うと、そんな「物語」は、絵より「文章中心」で、「絵本」とも「マンガ」とも「小説」ともならない様なものだったと思うが、1つの「礎」になった事は否定できない。
『瞳の向こうの世界』、『東京渋谷W物語』(これはタイトル名がアヤフヤ)という2作品をその部活で発表した。
前者は、今、時折リンク先でお世話になっているブログに執筆している小説もどきで、昨日9月4日話した“Express”用の曲のタイトルにも使っている思い入れのある作品である。主人公の学校生活がある日突然、がらりと変わるという様な話だったと思う。かなり、自分の理想を込めた話だったと思う。
後者は、電車が色濃い話だった。確か、主人公の東京渋谷W(『高城剛X』という番組に出ていた、「新宿三郎」という人物からヒントを得たような気がする。その当時、土曜日深夜0時台に12chでやっていた番組で、友人がほぼ毎週観ていて、そこから教えてもらった。私も1度は観た事ある)の日常を描いたような気がする。それで、ある日、何故か夜行列車に物思いにふけりながら旅行する話だったと思う。
何分にも12年位前の話なので、記憶が曖昧であるけれど、文章をどんな形であれ、「書く」という姿勢が埋め込まれ、今に至っているが、その当時でも何とか紙面を増やそうと「アレコレ」書いた記憶がある。それが、今も生きていて、「1回でともかく多く文を書く」みたいな感じになってしまったのではないか…と思う。沢山書けば良いって物でも無いのだけれど…。
そんな長文対策という事で、「文字の大きさ」を「やや大きめ」に設定している。自分が見やすいというのもあるが、細かい文字が「ダー」っと続いているよりは良いかな…という勝手な思い込みも実はあったりする。
ただ、そんな風に、「昔話」をしたり「リアルタイムで感じた事を形にする」事を通じて、「自分自身」がありありと「表」に出て行く事が実は恐かったりする。ブログにホームページは、その様に、「個人からの情報発信の場」であるので、そこに「恐れ」は相反するものであるのは解っている。
「自分自身」という人間とは、「そんなものなのか」と言う評価を顔は見えないとは言え、第3者に知られてしまうのはとても恐い話でもある。「良い評価」が下った場合が良いが、「悪い評価が下った場合」は、やはり「恐い」。故に、あまりこう自分の想いを形にする事は危険なのだが、もはや後戻りは出来ないので、行く末を見守るより他は無い。それによって、閲覧数も減っていくのかな…と思っていたりする。
不安はありつつも、動き出しまわり始めた歯車を停めるのは今はしのび無い気がする。こんなサイトでも見ていただいている全ての人とコメントを頂いた方達に、感謝したい。ありがとう…と。そして、今後とも宜しくお願いします…と伝えたい。
もし、閲覧している方で、難しいとは思うが、何か感じえる記事があった折には、コメントを頂けると嬉しい。
「火が弱っていく」
そんな様な台詞が、火のクリスタルが砕け散った後に“Final Fantasy 5”の「カルナック」の街で聴けた気がする。
「火」の力の全てを司ったのが、この「火のクリスタル」で、それがカルナックの街は潤っていて、クリスタルが砕ける前は、街の至る所で炎が見られた…と今更、この作品の話をしても難なのだが、そんな事と今の季節の具合をちょっと関連付けてみた。
「夏が弱っていく」
それが今の様な気がする。
「季節」を、“F.F5”のクリスタルとすれば、4つの物が存在する事になる。向こうは、「風」、「水」、「火」、「土」であるが、「リアル」な世界では、「春」、「夏」、「秋」、「冬」という4つ。そして、その4つは「砕ける」という事は無いが、「消えては出現する」を繰り返す。
これからは、「秋」の力が強まっていく事になろう。夜の虫の鳴き声や夕闇時の時間が早く、夜明けの時間が遅くなって来ている昨今。ふと、夜の帳が下りた時に、灯す部屋の灯りに「力強さ」が見えるようになってきた様に思う。春を抜けるまで、「灯りの力」が強まり、そこに吸い込まれそうになる瞬間が私にはある。闇を作り出す、「夜」という時間がその分長いからなのか、それとも気温が下がるからなのかは解らないけれど…。
Blue King様、コメントありがとう御座います。
今日9月5日の雨は、本当に恐ろしい雨です。台風様のご機嫌がよろしい様で、雷と伴った大雨は、「勘弁」という所です。
きっと夏の終わりを告げる「台風」なのかなと思います。9月も5日ですし…。
9月2日に、つよんじゅん様と浅草に行ってみましたが、確かに、人は多かったですね。外国人の方は、その日はまばらだったように思いますが、日本の観光スポットの1つですので、盛り上がっていないといけない場所なのかなと思います。
Blue King様もお出でになられていたとは知りませんでした。私の浅草入りは今回でまだ4度目位です。「下町」というムードは確かに満点でした。
台場は、ついた時間が18時前後だったので、それなりの人は居ました。お台場もまだ3回位しか実は行った事の無い街だったりします。
自分が、出不精という事が浮き彫りになりそうで恐い…です。
毎度のコメント、ありがとう御座います。
今日9月5日の雨は、本当に恐ろしい雨です。台風様のご機嫌がよろしい様で、雷と伴った大雨は、「勘弁」という所です。
きっと夏の終わりを告げる「台風」なのかなと思います。9月も5日ですし…。
9月2日に、つよんじゅん様と浅草に行ってみましたが、確かに、人は多かったですね。外国人の方は、その日はまばらだったように思いますが、日本の観光スポットの1つですので、盛り上がっていないといけない場所なのかなと思います。
Blue King様もお出でになられていたとは知りませんでした。私の浅草入りは今回でまだ4度目位です。「下町」というムードは確かに満点でした。
台場は、ついた時間が18時前後だったので、それなりの人は居ました。お台場もまだ3回位しか実は行った事の無い街だったりします。
自分が、出不精という事が浮き彫りになりそうで恐い…です。
毎度のコメント、ありがとう御座います。